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森と人のつながり(5) ~子どもたちと里山開拓~

はじめましての記事で書いたように、いろいろな人に森とのつながりのお話を聴いています。

五人目は、里山をベースに児童保護施設の子どもたちと居場所を作っているHさん。Hさんと私は元同じ会社で働いていたご縁で知り合いました。

里山との出会い

36歳のとき、名古屋から東京に転職してきました。挑戦する気持ちで東京にきましたが、期待とは異なり、会社と家との往復や大企業の歯がゆさなどに物足りなさを感じるようになり、自分の居場所を見つけたいと思うようになりました。

たまたま親類が八王子に所有していて、放棄されている山林の存在を知りました。もともとアウトドアが好きだった私は、その山林にピンときて通い始めました。自分の居場所づくりの始まりでした。

手作業での居場所づくり

私は、この山林を自分の手で整え、居心地の良い場所にしようと決めました。山林を整える作業は、想像以上に大変なものでした。荒れ放題の地には野生動物が生息しており、人の手が入っていない不快な場所でした。チェーンソーを使わず、ノコギリのみを使って作業を進めることに決めたのは、木々一つ一つに対して、木々が自然に生き、天寿を全うできるように、環境を整えたいと思ったからです。1回30mくらいずつ切り開き、約2年かけて、基本ひとりでふもとからの道を作り、徐々に山林を居心地の良い場所へと変えていきました。

里山づくり

この活動をしながら、里山づくりに、正しい里山のつくり方はなくて、大切なのは、永続的に関わることができるかではないかと考えるようになりました。「正しいやり方」で里山を作っても、継続しなければ、元にもどってしまいます。そのため、継続できるやり方を、その場所、その人にあったやり方で見つけたいと思いました。その点、八王子は私にとって通うことができる場所だったのは幸運でした。

また、継続するためには楽しみもないと続けられません。例えば、生物多様性のために、SDGsのためにと言っても、実感もよくわからないし、動けないなと思いました。自分を外して社会課題を語ることは学者的と感じてしまい、自分がその社会課題にどう関わっているのか、それについてどう関わっていけるのか、ということを考えるようになりました。また、実際には自分が関わることでマイナスの影響もプラスの影響もあると思うけれども、少しプラスになっていればいいのではないかとも思っています。

里山づくりの価値、子どもたちと

これまで15年間、里山づくりをやってきて、わかってきたこととして、私にとっての里山の一番の価値は、里山に入ると心が開かれる、ということでした。これを生かして、ふだん都会で過ごしている自分と友だちが里山でいっしょに過ごす、という活用もしてきました。

さらに、心開きたい人、と考えたとき、学生時代に少し関わっていた児童養護施設の子どものことを思い出しました。里山が児童養護施設の子どもたちが喜んで通い続ける場所になって、OB、OGとしても関わっていけるようになったら、そこが「ふるさと」になるのではないかと思うようになりました。

そこで、いろいろな施設に、いっしょに里山で活動しませんかと声をかけましたが、20くらいの施設から断られました。断る理由ももっともで、荒れた山林に行く、動物がいるかもしれない、やぶ蚊にさされる、など施設にとって心配事はたくさんあります。でも、あきらめずに声をかけていく中で、一つやってみましょうという施設が見つかりました。その施設長さんは、新しい施設を作る時に自ら切り開いた経験があり、里山での子どもたちの経験に可能性を見つけてくれました。そこから広がり、いまでは、5つの施設と連携しています。

子どもたちは、里山での活動を通じて、心を開き、自然と触れ合うことの楽しさを知りました。これらの体験は、彼らにとって、ただのレクリエーションではなく、自立支援の手段となりました。私たちは一緒に、里山を「ふるさと」のような存在にすることを目指しています。子どもたちがこの場所を自分たちのものと感じ、喜んで通うことができるようになること。それが私たちの目標です。

連携する児童養護施設の東京家庭学校の創設者・留岡幸助さんは「土地は人を化し、人は土地を化す」という言葉を残されていますが、当団体の活動もまさにそんな開拓者精神の発揮を目指しています。大人が「心のケア」をしてあげる、というのは勘違いだと思っていて、自然の中でこそ癒されると思っています。里山がある意味で、社会福祉制度であり、自分の力を活かして、自分ができるという感覚をもつ場となると考えています。里山では五感がとぎすまされて、それぞれの人の中に眠っていた「本当の生きる力」が出せるようになります。

里山での活動

永続させるために

もう一つ考えているのは、永続していくにはどうすればいいかということです。大事な要素は社会課題を解決しよう!ではなく、「私たちの」という意識があると解決に向かうということです。都会ではお金があれば解決することも多くあります。でもお金に恵まれないとき、埋もれた資産を活かす、ということができると考えました。例えば「埋もれた資産」である、荒れた山林と人的資源(人の空いた時間(ボランティア)、心の中の開拓者精神)があれば、解決できる!と考えました。

児童養護施設といっしょに12年間里山を切り開いていたところ、新型コロナの流行が始まってしまいました。そのとき私が子どもといっしょに参加できなくなってしまい、里山に子どもだけで行くのはむずかしい、これでこの活動は終わりか、となりました。そこで考えたのが、里山のふもとにある空き家の活用です。里山のふもとまでは子どもたちだけでも行ける。空き家を自分たちで改装して、自分たちの居場所をつくろう、と活動を始めました。大家さんから無料で借りて、300年の古民家を子どもたちといっしょに改装して「さとごろりん」を作りました。ハンモックをつるしたり、バーベキュースペースを作ったり。上下水道はないけれども、雨水をためてつかったり。里山を思えば、不自由を感じることはありません。この場所は、OB、OGになってもいつも来ることができる居場所になると思います。

そこからさらに発展させて、都会の空き家の活用も「まちごろりん」と名付けて、はじめています。児童養護施設を退所して働き始めた子の自立を支援するしくみをつくっています。

さとごろりん

Hさんの原体験

子どものころカブスカウトに参加していて、アウトドアや自分でつくることが楽しいと思う経験がありました。また、大学時代、美術サークルで「ゴミ展」という作品展をしていて、これが大好きでした。ゴミをあさりにいって、そこから新たな価値が生み出される、ここまで生まれ変われる、と知らせることもおもしろかった。また、実家の愛知の近くに、ミツカン酢がありました。ミツカン酢は捨てられていた酒の搾りかすを使って作られていました。価値を見いだされないものに価値を見いだす、それが社会を変えていく、それが単純に楽しいと感じています。

Hさんの話を聴いて

「開拓者精神」が自然の中で呼び覚まされる、というお話がとても印象的でした。Hさん自身が、まさに開拓者として、里山を切り開いたり、さらに20もの児童養護施設のドアをノックして、子どもたちの居場所づくりをいっしょにつくれる同志を見つけたり、新型コロナで里山活動がむずかしくなっても里山のふもとの空き家を開拓したり。どうしてここまでできるのだろうと思わされますが、それがHさんの中の開拓者精神が、自然の中で呼び覚まされているのかと感じます。

また、Hさんの「埋もれた資産」を活かす考え方にもとても魅かれます。荒れた山林、空き家という場所や、一人一人が持っている空き時間などが埋もれた資産だし、表に出ていない開拓者精神それ自体も埋もれた資産かもしれません。それを使えば価値あるものが作れる、という発想や、それを実現する努力がすばらしいと思いました。Hさんの場合はそれを自然に(大上段からでなく)、児童養護施設の子どもたちの居場所、ふるさとづくりという社会的価値につなげています。私自身の周りもそういう目で見てみると世界が変わるのかもしれないと思っています。

もう一つ「継続」について。日本の里山がいろいろなところで放棄されて、荒れてしまっているという話をよく聞きます。Hさんは楽しさがないと継続できない、と子どもたちとバーベキューをしたり、ブランコや、ツリーハウスを作ったり、楽しみながら、里山活動をされています。
里山ができたあと、1年に100人が通れば里山の形が守られる、というお話もありました。開拓に深く関わる人だけでなく、ちょっと里山に行ってみようという人も含めて100人が通ればいいとすると、関わる人のすそ野の広さも大切なのかなと思います。里山だけでなく、コミュニティづくりにもとても示唆があるお話だと思いました。







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