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“読書”について述べた、知見あふれる本

こんにちは
編集部の稲川です。

かれこれ編集者になって25年以上経ちますが、振り返ってみるとベストセラーの確率がなんとも低い編集者だなと常々思います。
勝率は・・・まさに1勝9敗(9敗のうち2引き分けくらいか)、3割バッターには到底及びません。まあ、それでも長年、編集者として仕事が続けていられるのは、ひとえに本が好きだということなのかもしれません。

このnoteでも、さまざまなジャンルの本を紹介し、少しでも読書の楽しさをお伝えしてきたつもりでしたが、「実際に人生で読むべき本を20冊挙げろ」と言われると、そうそう自信もないのが事実です。

そんな思いに駆られながらも、そもそも“読書って何だろう?”と考え直してみたときに、ふと昔の本を掘り起こしてみました。

『人間通』(谷沢永一著、新潮選書)

人間通

谷沢永一先生は、私が初めてこの世界に入った時(出版社)に出会った方で、盟友の渡部昇一先生との対談本などを作らせていただきました。
谷沢先生は2011年、渡部先生は2017年にお亡くなりになりましたが、とにかくお2人の話は博覧強記。出来事が起こった年、そこに絡んださまざまな人物の名前と関係性、時折出てくる書籍名(出版社まで)など、すべて間違うことなく話され、それをお互いが打てば響くように評論していく様は、同席していた若造には圧巻のひと言でした(今はあの世で、今の日本についてあれこれと語っておられるでしょう)。

そんな谷沢先生には、晩年までお付き合いいただきました。
『日本の命運を決めた「坂の上の雲」の時代』という本をまとめた時に、原稿をチェックいただき、「はじめに」と「おわりに」をご執筆いただきました。

坂の上

この本は、NHKスペシャルドラマが放映されていたこともあり刊行したのですが、『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)ということで、「はじめに」で司馬遼太郎について書いていただきました。
その中でも、やはり“人間通”という言葉が登場します。

司馬遼太郎が人間通という言葉を最初に使った作品は『梟(ふくろう)の城』で、司馬さんのいう人間通とは、世界的な意味の人間通ではなくて、日本人の人間通である。司馬さんは日本人であるかぎりは人間通でなければ生きていけないということを、全作品を通じて具体的にずっと書きつづけた。だから、司馬さんの作品はすべて日本人論だといってもいい。
司馬遼太郎を読んで人間通になるということは、日本人になるということである。『アンナ・カレーニナ』を読んでロシア人になることはできない。けれども、司馬遼太郎を読んで、日本人的な考え方、日本人の特性、日本人の性質、日本人のパーソナリティ、日本人のキャラクター、それらすべてを知ることができるのである。(以下、省略)

さすが谷沢先生でしか書けない語り口です。

さて、話を『人間通』の本に戻します。
この“人間通”という言葉は、谷沢先生の代表作となりましたが、この言葉は本の最初の表題にも登場します。ここで谷沢先生のいう人間通をひと言でいえば、「他人(ひと)のことがわかること」です。
先生は、「ただそれだけである」と言っています。

『人間通』は、5つのテーマ「人と人」「組織と人」「言葉と人」「本と人」「国家と人」があり、どこから読んでも、今も古くならない賢明に生きる知恵が書かれています。
今回は“読書”ということについてですので、この中から「本と人」の一部から2つ紹介します。
まずは、読書法としての谷沢論です。

幾らか読み進んで嗚呼これは詰まらぬと思ったら、無駄な時間を費やすのはやめて直ちに本を捨てるべきである。これは難しくて解らんと感じたらそれも捨てる。自分の学識が次第に深まった近い将来、やっぱり読む必要があると悟ったとき改めて買い直せばよいのである。こうして一冊二冊三冊と打棄(うっちゃ)ってゆくうち、おやおやこれはと惹きこまれる本に出会うだろう。それが今の自分に役立つ間に合う本なのだ。人間関係ではどうしても相性のよい人と悪い人とがある。気の合う者と合わぬ者がある。書物も人間の場合とよく似ていて、相性の良し悪しはどうやら避けられぬかのようである。(「我流」から)

なんか安心します。“読み始めた本は最後まで読みなさい”という言葉は、谷沢氏は「人を徒労に追いやる実害の邪説である」と言っていますから、谷沢流読書論は、その時の最高の1冊に出会うという読書の“楽しみ方”なのかもしれません。

次は、本の選び方について。

本なら何を読んでも一応の役に立つか。そうは参らぬのがこの世界の難かしさである。(中略)
そういう難局に処する場合の勘所を実は大型書店が暗黙のうちに教えてくれている。いちばん売れ筋の本を堆(うずたか)く平積みしている箇所(コーナー)へ行って、どの本にいちばん力を入れてどっさり積みあげてあるか、その置き場所と仕入れ量を観察すればよい。そして現在もっとも盛大に売れているらしい本を敬遠する。一挙に大量に流行(ベストセラー)街道を直走(ひたばし)りする本には素直に言って紛(まが)い物が多いのである。今すぐ買わなくたって何時でも手に入る。それに対して比較的ゆっくり売れている本は、一時の興奮に乗じているのではなく読んだ人の口伝えに基づいて読者が徐々に拡大しつつあるのだから信用できるのである。(「二番手」より)

こちらは堆く積まれたことのない編集者にとっては溜飲が下がります(積まれてみたい)。とはいっても、“比較的ゆっくり売れている本”、いわゆるロングセラーを出している確率も低いのですが・・・。

とにかく、売れる本だけをごり押しする出版社も書店も商売柄しかたのないことですが、中型書店になると、いくら良書といわれる本でも置くスペースすらないわけですから、消費者(読者)にとって本を選びようもないという現実もたしかにあります。
とにかく、谷沢氏の辛辣な言葉は今の出版界の抱える耳の痛い話でもあります。

でも、この話は今の私の書棚を見てもその通りなのだと実感せざるを得ません。
職業柄、ベストセラー本は購入しますが、そのほとんどを処分していますから。

これからもどんな本に出会うのか。
谷沢先生も、書物と人間関係は似ていると言っていますから、どんな出会いがあるのかを、この週末あたりに探しに行こうと思います。

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