自分が受け入れ「やすい」自分であろう

ここに行き着いた

言葉にするとこれがわたしにはしっくりくるなーって。

もしくは、言葉を少し変えるなら、自分が自分を愛しやすい状態でいようって思う。

自分を受け入れようとか、愛そうとか認めようとか、そういうのも時には払いのけたくなるというか。いつも完全にそうはできないから。

なのでポイントは、比較的という意味の、曖昧さや余白のニュアンスを含んだ言葉。

自分が受け入れ「やすい」自分

自分が愛し「やすい」自分

自分が認め「やすい」自分

このなんとも絶妙なニュアンスの差は私の中では革命的に大きくて。

(言葉と自分の感覚が一致することでさらに理解度が進むし、一致した言葉を見つけると、自分を捉えられたようで嬉しくなっちゃう♪)

強制な感じでもなく

完璧にやるというギスギスしたエネルギーでもなく

まあまあ比較的でOK

この緩さがいい

何がなんでもどんな自分でも受け入れようとすると、それはそれで自分の中で葛藤したり不和が起こることもあったりするしね。

もちろん、いつもいつも受け入れやすい自分じゃないときもある、それが人間。だから、そんな余白のある言葉が好き。

そんな余白のある自由な心地でいられると、今までとは別の思考や感覚が生まれてきやすい。ぜひ体感してほしい。締めつけがないから、むしろ今までよりもっと自発的に受け入れやすい自分に近づいている気がする❤️

芯もおのずと輪郭がはっきりしてきている。必要以上に回りに怯えて配慮してたのは、無価値観、不足感からだったのかなーって。

それはエネルギーが必要以上に相手に向かいすぎていたから、枯渇していた不足感だったのかもしれない。

エネルギーが自分に戻ってきた。わーい^^

簡単なことだけど、すごく大切なことなのに大人は誰も教えてくれなかったし、かといって、これは自分でもがいて感覚を掴むしか方法がないから、伝わってるかわからないけれど、必要な方に届け~って思って書いてます。何かのヒントになれば幸いです。

みなさんのそれぞれの道を応援しています😊