ルーマン『リスクの社会学』第6章メモ

1 リスク/危険と連帯の形式

「未来がリスクの観点で知覚されるのか、それとも危険の観点で知覚されるのかに応じて、社会的連帯の形式が違ったかたちで発展する」(125)。リスクの場合には合理的な自己規制に委ねることができるが、危険の場合には「責任の帰属は別様に規制される」(125)。


中世において、「互酬性」という伝統的な形式や「英雄」や「支配者」といった形式によって危険への対応がなされていた。しかし現代においては英雄も支配者も存在せず、互酬性という伝統的な形式も、「事前配慮国家」という組織によって妨げられている。組織化された援助の形式においては権利と義務の互酬性は捨象されており、「組織化された援助は決して連帯を作り出すようには作用しない」という特性をもつ(126)。

※ サービスの受け手にとって、決定プログラム自体が決定によって変更可能であるということによりリスクが生じ、現状維持的態度を成立させる。このような態度からは「[法や政治についての]些細な相違に対する感受性が大きくなるが、時間拘束的な作用を鼓舞し支えることのできる社会的信頼は生じない」(127)


2 決定の「形式」

本書では「決定が被影響者圏を生み出すこと」[決定者/被決定者という区別]を決定の「形式」とする(128)。リスクは損害を決定に帰属させ、危険は外部に帰属させる。しかし、決定者/被影響者という区別が加わるとリスクと危険のパラドクスが生じる。つまり、決定者にとってリスクであるものが、――決定者がそれをリスクと見ていることを被影響者が見て反省しているとしても――被影響者にとっては危険となる。

このパラドクスはどのようにして展開されるのか。典型的な方法は問題を人格あるいは組織に関連付け、コンフリクトの政治的可決を求めることであるが、セカンド・オーダーの観察の水準は[決定者と被影響者の]「双方の側面からどのように観察され記述されているのかを記述する」(131)。このように[コンフリクトから]距離を置くことで「いかなる社会的(政治的?)制度が、このパラドックスを解消するために発展してくるのだろうか」と問うことができる。


3 〈被影響者〉の定義の流動性


かつての全体社会においては、決定者と受益者と被影響者という三つのカテゴリーは一つのカテゴリーに総括することが可能であった[例えば危険な労働をする職業集団]が、「全体社会システムの環境が、ありうる損害の因果作用連関の中に組み入れられるようになればなるほど」この事態は変容する(132)。まず、決定者/非決定者という区別を「それ以外のものから境界設定され、それによって明確な特徴を獲得できるような統一体」(社会的な統一体)へとみなすことができなくなり、被影響者圏が流動化する。

第二に、「被影響者がそれ相応のリスクを経験することも減少する」ために、リスクの経験は「コミュニケーションによって形作られる抽象的なイメージに置きかえられざるをえなくなる」(133)後者の点はリスクの過小評価と過大評価を同時に生み出し、リスク問題を先鋭化させる

これらの点について問題となるのは、「被影響者としての立ち位置――それは決定との差異においてのみ把握されうるのだが――の規定不可能性をそもそもコミュニケーションの中で主張できるのかどうか、またできるとすればいかにしてかという問い」である(135)


4 コミュニケーションへの期待と困難


リスクに満ちたテクノロジーという条件のもとで、危険が他者の決定から帰結すると見なされるようになればなるほど、他者に対する信頼は弱体化する。また、危険とリスクのパースペクティブの分離が広まる中で、オートポイエティックなコミュニケーション・システムはこの状況にいかにして適合できるのかが問われる。コミュニケーション・システムは円滑なコミュニケーションのために「権威」を利用しているが、不信はこの権威[専門知など]にこそ及んでいる。また、コミュニケーションにおいてはある名のもとに社会集団を編成する(代表する)という試みも、被影響者圏が流動化するなかでは正統化が困難となる。


5 リスクの帰属と因果関係の問題

因果関係の合理的な制御については決定者が自分の置かれた因果的文脈を考察すればするほど制約条件の重要性が増大する。しかし、これに対して帰属過程はある程度の可動性を有しており、「しばしば決定へのリスクの帰属は、合理的な決定可能性の保証なしにもおこなわれる。それどころかリスク計算の合理性を顧慮せずになされることもある」(142)。


6 リスクと信頼/不信


旧来の世界においては、信頼は社会的連帯にとって不可避の契機であり、信頼関係は後に強力に人格化されたが、このような場合におけるリスクは信頼するかしないかを決定する被影響者の側にあるとされた。そのために、このリスクは社会的に(とくに法によって)軽減され、また他方で信頼すること自体に潜むリスクとして個人化されていた。

本書でのリスクの概念においては、リスクは決定者の側に帰属されており、旧来の信頼/不信という形式によっては規制されえない。したがって、「リスク行動に対する社会的規制の新しい形式について調べてみる必要がある」(147)

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