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基本、女児向けアニメやゲーム、漫画について書いているアカウントです。 たまに社会学の話をするかもしれません。

最近の記事

メモ:ヒープリ6話の「暴力」の理解可能性について

あんまり言及する気がなかったんだけど、先週のヒープリのダルイゼンとグレースの場面について手短にメモを。 「得体のしれない物体を顔に付けられる」のは性別や年齢問わず暴力として理解されるべき(やられた側が男ならいいわけじゃない)というのはまあわかるし、自分も暴力だとは思う。しかしそのことと、それがどのような意味を持つのかが属性によって違う(と理解できる)ということは両立する。現実世界で電車の中で体液をかけられるという「女性」に対する「性暴力」が実際にあることを前提としたとき、そ

    • 『HUGっと!プリキュア』:「応援すること」について

      HUGっと!プリキュアにかんしては、少し前に若宮アンリについて語ることの難しさについて記事を書いた。 そこではジェンダーの観点から――その語りにくさを回避して――どう語ることができるのかを書いたつもりである。今回はジェンダーの観点から離れて作品(特に42話)を鑑賞したときに何が見えるのか書いておきたい。これは端的に「ジェンダーの話ばっかりしたけどHugプリは他にもたくさん面白いところあるよ」と言いたいがために書いているだけである。 番組のキャッチコピーが「なんでもできる!

      • 『HUGっと!プリキュア』:若宮アンリの語りにくさについて

        TVアニメHugっと!プリキュアの42話が放送されてから数日間、インターネット上のさまざまな場所でいろんな人たちがこのエピソードに言及してきた。そしてその多くはプリキュアで初めて「男の子がプリキュアになった」ということに注目したものであった。しかしながら、私はそのような語り口に違和感を覚えると同時に、42話の若宮アンリの話について語ることに困難を感じてきた。この記事ではまずこの「語りにくさ」について整理をしてみたいと思う。その上で、私なりにこの話について語ってみたい。 なぜ

        • プリリズRLについての備忘録:埋められない距離と逃げられない〈私〉

          プリティーリズムとプリパラを題材にした文章を読んでいろいろと思うことがあったので、一年くらい前に描き途中で放り投げた文章を(結局うまくまとまってないけど)書き直してみた(完全ネタバレです)。 プリティーリズム レインボーライブにはALIVEという歌があり、この歌のなかに次のようなフレーズがある。 「私と私は世界と関わる 君は君を連れて生きていく」 (プリティーリズム レインボーライブ 「ALIVE」より) この歌はプリティーリズム レインボーライブ(以下、プリリズRL)

        メモ:ヒープリ6話の「暴力」の理解可能性について

        • 『HUGっと!プリキュア』:「応援すること」について

        • 『HUGっと!プリキュア』:若宮アンリの語りにくさについて

        • プリリズRLについての備忘録:埋められない距離と逃げられない〈私〉

          ルーマン『リスクの社会学』第12章メモ

          【第12章 セカンド・オーダーの観察】 1 これまでの分析の総括 全体社会そのものがセカンド・オーダーの観察をすでに実践している。「これは何を意味するのだろうか。またそれが近代社会の理論に対してもたらす帰結はいかなるものだろうか」(247)。 本書では「リスク概念をリスクと危険の区別を介して定義し、それによってこの概念を[決定への]帰属の問題に帰着させた」(248)。このようなリスク概念は、誰がその帰属について決定するのかという問題や、帰属についての決定そのものの帰属の可能

          ルーマン『リスクの社会学』第12章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』第11章メモ

          【第11章 そして科学は?】 1 真/偽のコードによるリスク/危険の産出 特定の研究複合体あるいは専門分野全体の抱えるリスクは、長期的には「支持されうる真理」が産出されないという点にある。逆に、科学による危険は真理が獲得された場合に、その真理が「技術を通して機能作用することにより」現実化する(232)。つまり、真/偽という科学コードの統一性は、ほとんど不可避的に「リスクと危険の同時生産」を保証している(234)。 また、科学に対しては、科学の外部から「研究固有のものではな

          ルーマン『リスクの社会学』第11章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』10章メモ

          1 組織という社会システムと決定 全体社会(システム)と比較したとき、組織を扱うことは「固有の形式のシステム形成をともなった、より小さなタイプの世界」を問題とすることであり、ここでは「別な形式で裁断されたノーマル性」が見いだされる(214)。 「公式的に組織化された社会システム」は機能システムと異なり 、「その再生産の様式を、メンバーと非メンバーとを区別することによってマークしている」(215)。 組織システムは、「その要素となる作動が決定であり、組織が決定によって接す

          ルーマン『リスクの社会学』10章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』6章メモ

          1 リスク/危険と連帯の形式 「未来がリスクの観点で知覚されるのか、それとも危険の観点で知覚されるのかに応じて、社会的連帯の形式が違ったかたちで発展する」(125)。リスクの場合には合理的な自己規制に委ねることができるが、危険の場合には「責任の帰属は別様に規制される」(125)。 中世において、「互酬性」という伝統的な形式や「英雄」や「支配者」といった形式によって危険への対応がなされていた。しかし現代においては英雄も支配者も存在せず、互酬性という伝統的な形式も、「事前配慮国

          ルーマン『リスクの社会学』6章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』第6章メモ

          1 リスク/危険と連帯の形式「未来がリスクの観点で知覚されるのか、それとも危険の観点で知覚されるのかに応じて、社会的連帯の形式が違ったかたちで発展する」(125)。リスクの場合には合理的な自己規制に委ねることができるが、危険の場合には「責任の帰属は別様に規制される」(125)。 中世において、「互酬性」という伝統的な形式や「英雄」や「支配者」といった形式によって危険への対応がなされていた。しかし現代においては英雄も支配者も存在せず、互酬性という伝統的な形式も、「事前配慮国家

          ルーマン『リスクの社会学』第6章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』第5章メモ

          【第5章 ハイテクノロジーという特殊事例】 1 技術概念の再検討 今日において、「テクノロジー的な諸可能性の著しい拡大は――その他の個々の要因以上に――それと結びついたリスクに対して公共の注意を向けさせるのに資している」(104)。また、ハイテクノロジーが発展している状況において、従来の技術の概念(形式)の再検討が必要となる。 伝統的に、技術は自然との区別によって把握されていた。近代初期を境に自然と技術の関係は違ったかたちで把握されるようになるが、この区別は残存した。こ

          ルーマン『リスクの社会学』第5章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』第4章メモ

          1 観察のリスク 未来の偶発性という考え方から、決定不可能性という問題が生じる。そのような問題に対し、「規制可能な進歩」による対応が考えられてきたが、未来は現在における決定に依存しているがゆえにこの解決策は不十分なものとなる。 観察は区別を利用するが、他でもなくその区別を選択するということ、またその区別によって二つの側面の内片方を指し示すこと自体にリスクの問題が生じる。このリスクは区別を区別する(セカンド・オーダーの水準で観察する)ことによっても逃れられな[無限後退のようなも

          ルーマン『リスクの社会学』第4章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』第3章メモ

          1 意味の三つの次元有意味的な観察と記述の三つの次元について • 時間的次元:「何かが事前/事後という区別によって観察される場合には、時間的次元が利用される」(69) • 内容的次元:内容的次元は「何か特定の者についての指し示しの際に前提とされる区別による観察」を可能にする(69) • 社会的次元:「自我と他我の区別が利用される場合に、他の二つの次元から区分される観察の仕方として成立する」(69) 本書において時間拘束という概念は、「システムの継続的な自己更新というオートポ

          ルーマン『リスクの社会学』第3章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』第2章メモ

          時間についての考察をはじめるにあたり銘記しておくべきことは、「生起する事柄はすべて同時に(gleichzeitig)生起している」ということである(51) これはシステム論の語彙を使えば、「システムの環境はつねに、そのシステムと同時に存立している」ということであり、したがって、すべてのシステムは、単純な動作の水準においては「作動上閉じたシステム」として形成されている(51)。 「回帰的に作動している(作動上閉じた)システムは、そのつど達成されているそのシステム自体の状態を基軸

          ルーマン『リスクの社会学』第2章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』1章メモ

          1 リスク概念の不明確さ [まず経済学におけるリスク概念と決定理論およびゲーム理論におけるリスク概念(定量的な計算が可能なもの)についてのレビュー] →カタストロフィの閾や決定者―被影響者の区別等を考慮に入れるとリスクの計算に合意のチャンスがあると信じるのは疑わしい。 定量的なリスク論に対抗するものとして社会科学においてリスク概念が提起されてきた。ここではリスクの「選択」が問題となり、その選択を「立証可能な社会的な諸要因」が制御していると見なされる。 →しかし、これらの

          ルーマン『リスクの社会学』1章メモ

          ルーマン『リスクの社会学』序文メモ

          【本書の問い】 「われわれは、全体社会というシステムを基点にして世界を観察するのであり、このような観察を行う現実的な作動として、コミュニケーションを想定している」ことを出発点とし、リスク(ノーマル性からの逸脱)を全体社会がどのように処理するのかをみる(15)。 ※このような観点に立つ以上、本書も特定のリスク概念を採用するという「決定」を行っており、そのリスクを引き受ける必要がある。 「現在の全体社会の中でリスクについて数多く語られている事実は、この全体社会のノーマルな形

          ルーマン『リスクの社会学』序文メモ

          キンプリ(KING OF PRISM -PRIDE THE HERO-)を観てきました!

          キンプラ(KING OF PRISM -PRIDE THE HERO-)を観てきました! …何と表現したらいいのかわからないけど、一言で感想を述べるならば、プリズムの煌めきでできた結晶で全身を串刺しにされたような感覚を味わいました。 我ながら「何言ってんだコイツ?」って感じですが、無理やり言葉にすると私の場合こうなります。 さて、実は前作のキンプリはつい先日ようやく見たばかりで、面白いしまた見たいと思う作品ではあったけれど、正直なところ(人間関係の描写など)ちょっと物足り

          キンプリ(KING OF PRISM -PRIDE THE HERO-)を観てきました!