メモ:ヒープリ6話の「暴力」の理解可能性について

あんまり言及する気がなかったんだけど、先週のヒープリのダルイゼンとグレースの場面について手短にメモを。

「得体のしれない物体を顔に付けられる」のは性別や年齢問わず暴力として理解されるべき(やられた側が男ならいいわけじゃない)というのはまあわかるし、自分も暴力だとは思う。しかしそのことと、それがどのような意味を持つのかが属性によって違う(と理解できる)ということは両立する。現実世界で電車の中で体液をかけられるという「女性」に対する「性暴力」が実際にあることを前提としたとき、その表現において「性別」が有意味となってしまう(「性暴力」を彷彿とさせて「この表現いいのか?」と疑問に思う)ことはあり得る。とくに、自分がそういった性暴力被害にあった経験があったり、身近に受けた/受けそうな人がいるときにはそう思う人は結構いたのではないかと思う。

「同じ暴力なのに男の子ならいいのに女の子だと問題なのか?それは男性の(暴力)被害を軽視している/女性を被害者化しているという意味でそれ自体差別的な見方じゃないか」と言いたくなる人もいるだろうけど、ある「現実」を踏まえたときには「同じ」暴力ではないと理解可能であることは押さえておくべきだろうと思う(その上で、その括弧付きの現実について新しい知見を加えたりとか、暴力の種類が違ったとしてそれをどう評価するのかというのは別の論点として展開できるが)。

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