ルーマン『リスクの社会学』第5章メモ

【第5章 ハイテクノロジーという特殊事例】

1 技術概念の再検討

今日において、「テクノロジー的な諸可能性の著しい拡大は――その他の個々の要因以上に――それと結びついたリスクに対して公共の注意を向けさせるのに資している」(104)。また、ハイテクノロジーが発展している状況において、従来の技術の概念(形式)の再検討が必要となる。

伝統的に、技術は自然との区別によって把握されていた。近代初期を境に自然と技術の関係は違ったかたちで把握されるようになるが、この区別は残存した。この区別は構成主義的認識論によって根本的に問題とされたものの、未だにその名残があり、技術による自然への介入がリスクを高めると見なされることがある。しかし、今の技術発展の状況からこのような主張は支持されえない。従って、テクノロジーのリスクについての議論は技術/自然という区別から切り離される必要がある。

技術は「作動領域の十分な因果的閉鎖性」[外部の諸要因が排除された領域の中での因果関係?]として把握でき、技術の形式の他方の側面は「同時に進行している非常に複雑な因果的諸関係」である(108)。技術の形式がこのように把握されたとき、それは合理性の形式としての属性を失う。

技術の形式は、想定される因果関係と想定されていない因果関係の領域をマークする[技術=因果的閉鎖性]。しかしながら、「ハイテクノロジーの場合には明らかに、たえずこの形式を規定している境界線の乗り越え、排除されたものの包含、予見し難い仕方での横断的結び付きといった事態がもたらされる(111)」。このようなとき、そもそも技術は技術的に可能なのかという問いに行き着く。


2 ハイテクノロジーの経験

因果的複雑性の増大という状況の中において、テクノロジーはみずからを保持していかなくてはならず、[それが起動にかかわるものであれ停止に関わるものであれ]ハイテクノロジーの制御のために補足的テクノロジーが必要となるが、これはリスクを再生産する。
また、ハイテクノロジーは科学的な予測をするには複雑すぎるため、「それを設置して実際に試してみることによってしか学習できない」(115)。これは、ある技術が使用される脈絡が変化した場合、それ自体が何らかのリスクを内包している可能性も指し示している。

以上のことからいえるのは、まず第一に「リスクがすでに技術それ自体の中に据え付けられている」ことであり、第二に「このリスクは、それ自体が技術的手続きの対象になるその瞬間まで積み重なってくこと」である(116)。


3 技術とエコロジー問題

技術はインプットとアウトプットに関する開放性をともなうものであり、技術それ自体エコロジカルな現象である。[このような開放性を前提にすれば]「エコロジー問題はテクノロジーが機能しないがゆえの問題ではない。(…)エコロジー問題が惹起されるのは、まさに技術が機能しており、その目的が達成されることによってである」(118)
システム理論の文脈でこの問題を考えてみる。(社会)システムはエコロジー問題を環境からの刺激と見なす。したがって、本書の文脈においては「全体社会という社会システムの外部での物質的現実化が問題となっているのであり、したがってまたコミュニケーションではない作動が問題となる。このような意味での技術は、全体社会が関わらざるをえないエコロジカルな連関の一部である」(120)

技術的現実化の基礎にはコミュニケーションによって利用可能な社会的な現実構成があり、このことは全体社会と技術的現実化の間の構造的カップリングが定着していることを意味する。そして技術と接触している社会システムは構造的ドリフトの中に入り込む。構造的ドリフトは「これまで実証されてきたことにもとづいて、経験や能力を、規則の修正を、習慣を、議論を利用する」(122)。このような仕方では「技術によって条件づけられたリスクの問題」は確実には解決されえず、社会学的分析は「全体社会がこうしたタイプの構造的カップリングを前にして、それ固有の構造をどのように変化させているのかという問いに取り組む」ことになる(123)。

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