ルーマン『リスクの社会学』第11章メモ

【第11章 そして科学は?】

1 真/偽のコードによるリスク/危険の産出


特定の研究複合体あるいは専門分野全体の抱えるリスクは、長期的には「支持されうる真理」が産出されないという点にある。逆に、科学による危険は真理が獲得された場合に、その真理が「技術を通して機能作用することにより」現実化する(232)。つまり、真/偽という科学コードの統一性は、ほとんど不可避的に「リスクと危険の同時生産」を保証している(234)。


また、科学に対しては、科学の外部から「研究固有のものではない組織化された関心から生まれてくる諸課題」について問いかけられるが、それは科学によっては答えられない問いであるという意味で「トランスサイエンス的な課題」である(233)。


2 科学批判とセカンド・オーダーの観察


「科学自体の生み出す危険は、科学の盲点なのである。しかし、そのことに注意を向けさせるのに役立つものがあるとすれば、それはいったい何だろうか」(235)。全体社会のなかでの知識獲得のための努力の分出は科学の外部からの科学批判を可能にしたが、「近代科学のサクセス・ストーリー」によってこのような批判は重要視されなくなった。

科学内部において、科学自体を批判の対象とする「科学」がある(史的唯物論、現象学など)。リスク研究もこのような科学のひとつであるが、あくまでも自己言及を禁止する古典的な前提にもとづいてこうした研究がなされてきた。
このような自己言及の禁止は「観念論から超越論的主観への移行」や「認識論の基本コンセプトとしての言語理論への移行」によって緩和されてきた(e.g. 量子物理学、熱力学)。社会学においてもまた、社会科学的な知識は、それ自体がその知識の対象を変化させ、またそうした事態についても反省的であるとの指摘がなされている(c.f. ギデンズ)。この観点からは、「全体社会についての科学的な記述は、科学という機能システムの特別な条件のもとでの、全体社会の中での観察として、認識できるようになる 」(240)。


3 科学への信頼とその喪失のリスク

近代社会における未来地平の中で未来に関する社会的論争はすべて「意見」に還元される。このような状況においては「科学的に保証された確かさが強く求められるようにな」り、イデオロギー的・政治的意見表明の文脈で科学の成果が濫用されることは科学の権威の失墜につながる(243)。

科学がこのような権威の失墜というリスクから逃れることができるのは、「科学がそのリスクをみずからの内に招き入れる ことによってのみである」(244)。セカンド・オーダーの観察によって「誰が誰を観察しているのか」(また、どのような区別を用いているのか)と問うことは確かさを保証するものではない。むしろこのような観察は、それによって「生み出されノーマル化される、より大きな不確かさ」ゆえに問題処理の点で適切であるといえる(245)。

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