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レース戦略で勝負する気概がないフェラーリ

2022年シーズン前半戦で作戦ミスによる取りこぼしが目立ったフェラーリ。『F1ラップタイム研究室』の前半戦レビューでは、「数字の本質的な読み方を理解しておらず、『レース屋』『勝負師』としての直感が欠如している」と手厳しく評している。

私はそれに加えて、今のフェラーリは「リスクを取って勝負しようという気構え自体がない」と強く感じる。経験と直感の欠如というより、「作戦を外したときにマスコミからとやかく言われたくない」「負けても言い訳の余地がある方を選ぶ」という考えが染み付いているように見える。

以下、レース戦略面で見たフェラーリの歴史を振り返りたい。

91年から続く「リスク回避」の病魔

「チームは自分が提案した作戦を採り入れず、優勝を逃した。今さら失うものなんてないのに。こんなことでは上位争いなんてできっこない」——。これは今季のルクレールやサインツのコメントではない。1991年シーズン終盤のスペインGP決勝を終えたプロストの発言だ。

91年、フェラーリを駆るプロスト

の日は午前中に雨が降ったが、レース開始前に止んでいた。上位勢の全車がウェットタイヤを選択するなか、6番手スタートのプロストは事前にチームにドライタイヤ装着を提案した。

「早い段階で路面が乾く可能性もある。ドライタイヤでスタートして、他車がウェットからドライに交換する間にトップに立てば、優勝も期待できる」というのがプロストの主張だ。

それに対するチームの答えは「ノー」。「路面が濡れてるのにドライでスタートして惨敗したら、親会社のフィアットや地元マスコミに何を言われるかわからない」というのが却下の理由だった。

レースはセミウェット状態でスタート。このレースは序盤にセナとマンセルがサイドバイサイドの超接近戦を演じたことでも有名だ。路面は早々に乾き、各車は10周目前後にドライタイヤに履き替えた。レースはマンセルが制し、上位勢で真っ先にタイヤ交換したプロストが11秒差の2位に入った。

この年、プロストは未勝利のままシーズンを終えている(日本GP後の「今のフェラーリはトラック」発言が本社上層部の逆鱗に触れ、最終戦を前に解雇された)。スペインでのタイヤ作戦が失敗しても何一つ失うものはなかった。

チーム創設者のエンツォ・フェラーリが88年に没し、当時の親会社だったフィアットの発言力が強い時代ではあった。負けたときにイタリアのマスコミが騒ぎ立てるのも現在に続く伝統だ。しかし、チームの消極的作戦の理由が「失敗したときに批判を受けたくないから」とあるのは、現代に至るこのチームの病巣を的確に表しているように思える。

(※なお、フェラーリは2016年にフィアット傘下から独立する)

トッド体制でリスクを取るチームに

このフェラーリの体質が変わったのは、耐久レースでプジョーを率いたジャン・トッドが93年夏にフェラーリ入りしてからだ。フェラーリ黄金期の臨機応変な作戦はシューマッハや戦略家のロス・ブラウンが加入してからと思われがちだが、それ以前にも変化の兆しはあった。

95年のヨーロッパGP。前述の91年スペインGPと同様に、レース前に降った雨でセミウェットの路面だった。6番手スタートのアレジはドライタイヤを装着し、1回給油でレースを走り切るギャンブルに打って出た。他車はウェットでのスタートで、2〜3回のピットインを想定する作戦だ。路面は滑りやすく、この年シューマッハとチャンピオンを争ったヒルは濡れた縁石にタイヤを乗せてクラッシュ。事実上、王座獲得の権利を失った。

95年のアレジ

アレジは濡れた路面を見事に乗りこなし、他車がピットストップする間に目論み通り首位に立つ。タイヤの摩耗によりレース終盤にシューマッハの猛追を許し、残り3周で首位を明け渡すが、周回遅れに引っかからなければ優勝もあり得たレースだった。

シューマッハとブラウンが加入してからの快進撃はご存知の通り。98年ハンガリーでの3ストップ作戦、01年マレーシアでのスコールによるセーフティーカー(SC)中のインターミディエイトタイヤ装着、04年フランスの4ストップなど、臨機応変で奇想天外な作戦は枚挙にいとまがない。

この作戦はブラウンによる戦略立案と、それに応えるシューマッハの正確無比な走りがクローズアップされる。しかし95年の時点で「ギャンブル的な作戦」がみられたことを考えると、戦術面での失敗のリスクを許容したトッド監督の影響も大きいと考えていいだろう。

トッド監督(左)とシューマッハ

トッド、ブラウン退任とともに瓦解する戦略部門

この鉄壁の体制は、06年末のシューマッハ最初の引退とブラウンのチーム離脱、07年末のトッド監督退任により終了する。その直後よりチームの単純ミスが連発し、レース戦略部門の瓦解があらわになった。

08年のシンガポールGPでは首位でピットに入ったマッサが、給油が終わりきらないうちに燃料ホースをつけたままピットを発進。作業終了を知らせる信号ランプが、メカニックの操作ミスでグリーンに切り替わったことが原因とされる。マッサは大きく順位を落とした。ちぎれた給油ホースを数人のメカニックが担いで撤収する姿はもの悲しさを感じさせた。

給油作業中にピットを発進し、ホースを引きずったままピット出口に停止したマッサ

09年マレーシアGPではライコネンの給油ピットストップの際に、スコール性の雨雲の急接近をみて、路面がドライにもかかわらずエクストリーム・ウェットタイヤに履き替えさせた。目前の雷雨が予想されたとはいえ、乾いた路面を深溝タイヤで走れるわけがない。ライコネンはあえなく順位を落とした。

10年のドイツGP。マッサがレース中盤に首位を走り、レッドブル勢とタイトル争いを演じるチームメイトのアロンソが後ろにつけた。マッサ担当エンジニアのロブ・スメドレーから「フェリペ。フェルナンドは君より速い。言ってる意味はわかるな?」と、たどたどしく順位の入れ替えを諭す無線が飛んだ。

当時はチームオーダー禁止とはいえ、02年のオーストリアでの露骨な順位入れ替えを見てきた者としては、「フェラーリもずいぶんウェットになったな」と思った。チームオーダーの是非は議論を呼ぶところだが、「妙にドライバーの自尊心に配慮してチームオーダーが遅れるフェラーリ」という悪癖は22年現在まで続き、勝てるレースを落とす要因となっている。

決定的だったのは10年の最終戦アブダビGP。最終戦前のランキング順にアロンソ、レッドブルのウェバー、同じくレッドブルのベッテル、マクラーレンのハミルトンの4人にタイトル獲得の可能性が残る一戦だった。

決勝でアロンソは序盤に4番手を走行するが、5番手のウェバーが11周目にタイヤ交換するのを見てとり、カバーのためにアロンソも15周目に新品タイヤに履き替えた。しかし、レース最序盤のSC中にタイヤ交換したペトロフ(ルノー)の後ろに回り、延々と抜きあぐねたまま6位でゴール。このレースで優勝したベッテルの逆転王座を許してしまった。

暫定ランキング2位のウェバー(左後方)のカバーのためにタイヤ交換したアロンソ(中央)。ペトロフに最後まで抑え込まれ、王座獲得を逃す

当時のブリヂストンタイヤはタイヤの耐久性が高く、DRSがない当時は追い抜きも困難だった。そもそもこのレースのウェバーはペースが遅く、大した脅威ではなかった。目先のライバルのウェバーを抑え込むことだけを考えて、首位のベッテルとコース上の他車の位置関係を無視したピット戦略のミスだった。

このころからだ。ネット界隈で「俺たちのフェラーリ」という言葉が流行り出したのは。チームがチョンボを犯すたびに、フェラーリファンの自虐と落胆、チームへのからかいが、ないまぜとなった状態で慰め合うのが定番となっていった。

メカでは冒険するのに、作戦は安全策をとって失敗する

フェラーリは失敗を含むものの、メカニカル面では結構冒険する。89年のセミオートマ、92年のダブルデッカー、98年の上方排気、07年の固定式ホイールカバー。ブレーキ回生のKERSも解禁初年度の09年から採用した。2010年代後半もサイドポンツーンなどで独特の空力処理がみられる。

今年のウィングカー規定のマシン開発に成功したのも、黄金時代を支えたロリー・バーンをアドバイザーとして呼び戻したことに加え、ビノット代表自らが21シーズンの数戦を欠席して直々に開発の陣頭指揮を執ったことが大きいと思われる。この人は技術面での指揮者としては有能なのだろう。

パワーユニットについても18、19年には脱法行為が疑われるオイル燃焼技術まで取り込んでパワー向上を実現したとされる(のちに規定の穴は塞がれる)。個人的には、フェラーリが少量生産のスポーツカーメーカーにもかかわらず、複雑な回生システムを持つPUの開発競争で大資本のメルセデスらに追随しているのは驚いている。今年は信頼性に問題を抱えるが、性能はトップクラスだ。

ハンガリーGPで、チームはルクレールに不利なハードタイヤを履かせるミスを犯す

車体やパワーユニットでこれだけ冒険するチームが、こと作戦においては保守的で、簡単に他チームに付け込まれる手しか打てないのは理解できないものがある。

これは推測になってしまうが、フェラーリの70年以上のF1活動を通じて、マシンやエンジンは「壊れても速さを追求した結果なら仕方ない」というファンやマスコミの共通認識が存在する。一方で、レース戦略については成功と失敗の落差が誰の目にも分かりやすく晒される。チームは批判を避けるために「なるべく失敗を犯したくない」との意識が働くのではないか。

多様性に欠け内向きの論理に。「ダメな日本企業」みたい?

フェラーリはトッド体制終了後、急速に「イタリアンチーム化」を進め、ビノット代表をはじめ要職の多くをイタリア人が占めるようになった。この手の多様性に欠ける組織では、内向きの論理でリスクを回避し、傷の舐め合いに陥りがちだ。レースに負けた後のフェラーリは、ダメな日本企業が問題を起こしたときのグダグダな謝罪会見に雰囲気が似ている——、とは言い過ぎだろうか?

ハンガリーでの惨敗後、ビノット代表は「サマーブレイク中に何かを変える必要は無く、学習を進めていくことが大切だ」と語った。失敗から学ぶことは大事かもしれないが、全10チームで最も組織を引き締め直さなければならないのは、ほかならぬフェラーリだ。「変える必要がない」ことを前提に置くのは少々甘いのではないだろうか。

ハンガリーGPでのビノット代表

同じくビノット代表はルクレールにハードタイヤを履かせた失敗について「シミュレーションではハードタイヤが最適だった」とし、「マシンが期待通りに機能していないことが問題だった」ともコメントした。

レッドブルやメルセデスはレース前に、チームとドライバーとのコミュニケーションで「ハードタイヤは使えない」と断定した。フェラーリは現実のコースがシミュレーション通りか、ドライバーと確認するステップを踏んだのだろうか?

うがった見方をすれば、レッドブル陣営のアンダーカットによってフェラーリが一瞬の判断を迫られた際、チームは故意か無意識かはともかく、シミュレーションを盾に負けた時の「言い訳」の余地を残したとすら思える。「リスクを取って勝負しようという気構え自体がない」という組織の病魔は一層ひどくなっていく。

ルクレールのこんな表情はもう見たくはないが。。。

そのフェラーリに”ガイジン部隊”として入っているルクレールとサインツの心中は察するに余りある。彼らの前任のベッテルやシューマッハは他チームでのタイトル獲得の実績を引っ提げてフェラーリにやってきたが、ルクレールらはイチから常勝チームを築いた経験がない。経験不足のなかで組織を鼓舞することがいかに大変か、彼らは身に染みて感じていることだろう。

サマーブレイク明けに立て直せるか?

フェラーリ黄金時代を支えたブリヂストンの浜島裕英氏は、トッド監督のチーム運営についてこう振り返る。「チームの調子が悪いとき、ドライバーやテクニカルディレクター、シャシーとエンジンのエンジニアら関係者を一堂に集めて問題点を自由に言い合わせ、情報共有を図ることを怠らなかった」。そして、「タイヤサプライヤーのブリヂストンにもフェアに発言の機会を与えてくれた」という。

一通り意見が出尽くしたところで、議長役のトッドは最後にこう語って締めたという。「我々が置かれている状況は分かっただろうから、みんなで頑張ろう」。「僕らは同じ船に乗っている。もし、改善することがあっても勝手にやらず、チームと情報を共有してからやってほしい。全員が同じ方向にオールを漕がないと前に進まないから、それだけは気をつけて欲しい」と。

現在のフェラーリは客観的に見てマシンも、パワーユニットも、ドライバーもレッドブルとは互角で、その実力を引き出す「潤滑油」が足らないだけだ。ドライバーズポイントで80点差をつけられた彼らには、もはや失うものはない。決して「批判されないこと」だけを考えてレースすることのないように。問題点をしっかり情報共有して、シーズン後半に臨んでほしい!


(↓下に貼ったのは今回参考にした「F1ラップタイム研究室」さんのツイートです)


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