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君は君の好きな服を選ぶべきだし、その時にこそ"ファッション"が楽しめる。

お洒落は難しいと思われがち。「お洒落になる方法」や「コーデの組み方」などと行った方法論は山のように溢れている。それも誰かの救いになっているなら否定はしない、ただ僕は参考にすることはない。「お前は服のプロだろ!」と言われたらそうだけど昔からそうだよ。そして服を提供する側である僕からしてみれば「そんなもの気にせず好きな服を着っチャイナ!」である。(これは個人の意見です)

もちろん「自分が自分で似合わないと思ってしまう」と感じてしまうこともあるだろう。それは確かにどうしようもないかもしれない。

でも「これはこれまでの自分らしくはないかもしれないけど、好きだ。なんか惹かれるぞ...」という感覚を大切にしたいとも思う。自分がまた新しい自分になれるかもしれない"チャンスの種"のような気がしないかい?そこでその感覚を信じて乗ってみると、新しい自分に出会えたような経験が何度かある。「大袈裟だなぁ」と言われるかもしれないが「いつもの街が違ってみえ、考えることも変わり、自分が拡張されていく」ような気がした。

僕はファッションの魔法にかかっているので、「服が人生を変える」と本気で思っている。アパレルの現実みたいなものも知っている方なのかもしれないけど、それでもやっぱり「一着の服が人生を変えてしまう」と知っている。そうじゃないとこの仕事やってられないぜ。

だから「何を着るか」を大切にしている。それは例えば全部ハイブランドがいいとか全部こだわったものがいいとかそういうことでもなくて、ある意味で「服に着られる」ことも楽しむイメージで。その服が持っている力とか役割とかに流されてみる。最初の違和感を大切にしていい。むしろ違和感の何もない服なんてどこにでも売っている。それは「衣料品」でしかないのかもしれない。違和感も時間と共に自然と「似合う」ようになっていく。

なぜ君が好きな服を着て、誰かに何か言われなければいけないのか。

誰かの意見なんて気にしなくていい。
好きな服を着て、好きな音楽を聴いて、好きな人を好きでいて、好きに生きていい。

自分が意思を持って服を選べばいい、君の好きが誰かの好きじゃなくても気にしなくていい。同じように誰かの好きが君の好きじゃなくても気にしなくていい。肯定か否定だけが答えではない、尊重し合うとはきっとそのどちらでもない。

君は君の好きな服を選べばいいし、この服たちは君の服になる。




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