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ボブ・ディランのデビュー60周年に寄せて

 ディランを初めて聴いたのは高校2年生の時だから、もう25年くらい聴き続けていることになる。来日公演にも何度か足を運んでいるが、ディランがライヴで演奏する曲はアレンジが原曲と全く異なることで有名で、演奏が始まってしばらく経ってから、「ああ、『It`s All Over Now, Baby Blue』か」と分かったりすることもよくある。初めてディランのライヴを観たのは2001年、まだ大学生だった頃だ。 場所は日本武道館。MCはなしで、ディランは時折足を屈めたり、伸ばしたり、あるいはくねらせたりしながらギターを弾いていて、ディランのなかに息づくエルヴィスを見た感じがした。ライヴが終了すると全員が集まってポーズを取り、黙ったままステージを去って行ったのが格好良かった。

 2014年にZeppで行われたライヴでは、ステージのすぐ下で観ることができた。当時、オリジナル作としては最新のものだった『Tempest』(2012)のほか、『Modern Times』(2006)や『Together Through Life』(2009)といったアルバムに収録されている曲を多く盛り込むという、大胆不敵なセットリスト。素晴らしいの一言だった。 「Early Roman Kings」みたいな、深い夜を巨人が悠然と歩いていくかのような歌を歌えるのは、最早ディランのほかには誰もいないだろう。

『Bringing It All Back Home』(1965)、『Highway 61 Revisited』(1965)、 『Blonde On Blonde』(1966)。ディランの60年代を代表するアルバムというのみならず、ロックの歴史に燦然とその名を刻む名作たち。もう何度聴いたか分からないし、この前も久しぶりに聴き返して新鮮な感動を覚えた。ディランがすごいのは、前述の『Tempest』や『Rough And Rowdy Ways』(2020)といった近年の作品が、そうした往年の名作と比肩するか、もしくはそれ以上のクオリティを持っているということだ。

 世界では、今日も無数の音楽が生まれ、消費されている。でもそのなかで、これから100年、 200年後も聴き継がれるような作品が一体どれだけあるだろう? 僕は普遍的な強さを持った、精神性の高いものに惹かれる。ディランの眼差しは、いつだって根源的なもの、人間の精神や魂そのものに向けられていた。

「ジョニーは地下室で薬を混ぜてる(「Subterranean Homesick Blues」)なんていうフレーズは、古びるどころか、ますます輝きを放って、あらゆるものを相対化せずにはいられない、この歪な冷笑の時代を軽やかに飛び越えていく。「孤独を恐れず、自分と向き合え」。そうディランは歌っているように僕には思える。

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「わたしは以前からリッキーのファンで当時も好きだったが、その種の音楽はすでに死にかけていた。意味のないものになっていた。未来はなかった。その種の音楽はまちがいだった。まちがっていないのは、山に根を下ろしイースト・カイロの街角に立つビリー・ライオンズの幽霊、そしてブラック・ベティ・バン・バ・ランといった歌詞を持つ音楽だった。それは絶対にまちがっていなかった。それこそがたいせつなものだった。これまで当たり前と思ってきたことに疑問を抱かせるもの、 傷ついた心をいっぱいに書きこめるもの、精神の力を持つものだった」(『ボブ・ ディラン自伝』ボブ・ディラン著、菅野ヘッケル訳、ソフトバンク パブリッシング刊)

 一番好きなディランのアルバムは、先にも述べた『Blonde On Blonde』だが、 1966年のライヴを収録した『ロイヤル・アルバート・ホール』(1998)もすごく好きで、折にふれてよく聴き返している。タイトルはディランの有名なブートレグ (海賊盤)を皮肉ったもので、実際にはロイヤル・アルバート・ホール(ロンドン)の演奏ではなく、マンチェスターにあるフリー・トレード・センターで行われた公演が収められている。昔はよく喫茶店で煙草を何本も吸いながら、このアルバムにずっと耳を傾けていたものだ。あるとき、次の煙草に火を点けて、ジャン・コクトーの小説を読んでいたら、ふと「奇跡の中で生きることに慣れている彼女は」という一節が目に付いた。いいフレーズだ。奇跡しかないのがこの世界だ。太陽は高く、 往来は人で溢れてる。ミスター・タンブリンマン、1曲頼むよ。

 ディランの友人であり、2019年に亡くなったトニー・グローヴァー(ハーモニカ・ プレイヤー、 音楽評論家)という人が前述の『ロイヤル・アルバート・ホール』にライナー・ノーツを寄稿していて、彼はその冒頭で、ストラヴィンスキーの『春の祭典』の初演時の大騒動や、精神病院に送られたアントナン・アルトー(フランスの詩人、俳優、劇作家)のことなどについてふれている。ディランの1966年のツアーは、前半が従来からのアコースティックな演奏で、後半がエレクトリックなバンド・サウンドというスタイルを取っていて、後半が始まると、純粋なフォーク・ソングを求める人々からブーイングが起こるのが常態化していたのだが、グローヴァーはそうした当時のディランの状況(変化していくことに対して、反発や非難を受ける)を前述のような過去の例と重ね合わせた訳だ。

『ロイヤル・アルバート・ホール』にも観客からのブーイングが収められているが、 とりわけ有名なのが、『ユダ(裏切り者)!』という言葉を浴びせられたディランが、「お前の言うことなんて信じない。お前は嘘つきだ」と返し、大音量で最後の曲である「Like A Rolling Stone」を歌う場面だろう。マーティン・スコセッシ監督が制作したディランのドキュメンタリー映画、『No Direction Home』(2005) には、なんとこのやり取りの映像が収録されていて、本当に驚いた。ちなみに、 ディラン自身はその映画のなかで「ブーイングも捨てたもんじゃない」とにこやかに話している。難しい顔ばかりしているイメージがあるディランだが、じつは笑顔こそがディランの本領であるように僕は思う。

「自分は孤独な歌を探している」。ディランの言葉で特に印象に残っているものの1つだ。ヨハンナ・マルツィ、マルセル・ メイエ 、サンソン・フランソワ、ジュディ・シル、ジェフ・バックリー、ハンク・ ウィリアムス、ジョニー・キャッシュ、ジョン・リー・フッカー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヨウラ・ギュラー、ロバート・ジョンソン、チャーリー・パーカー 、ブリジット・セント・ジョン、ヴァシュティ・バニヤン、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、カレン・ダルトン、そしてボブ・ディラン。魂に光を灯してくれる彼らの歌や演奏に、今日もまた僕は耳を傾ける。

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