マーケティングの新潮流~エモーショナル・レスポンス・マーケティング9

◎返報性の思考停止術

 そして、3番目は「返報性」だ。これは要するに、相手から何かをされてしまうと、ついそのお返しがしたくなってしまう、という心理だ。前章でも「プレゼント販売」の箇所で触れておいた。

これは、相手からタダでモノを貰うと、何かお返ししないといけないと考えてしまうという、人間の自然な感情だ。この心理はいたるところに使われている。

ある宗教団体が、道行く人にバラを差し出して受け取ってもらったあとに、募金活動をお願いすると、ほとんどの人がそれに応じたという。しかも募金活動に応じた人の多くが、そのバラを近くの道端に捨てていった。

同様のことは、よく私たちも体験する。花だったり、あるいは教組の本だったりを受け取ってしまってから、募金をお願いされてしまうと、つい応じてしまう。

これは、「フリー」モデルとも通じるところがある、と私は思う。「フリー」モデルとは無料で商品を配ることで人々をひきつけた後に、「もっといいものが実はあります」といって、高額な商品を売りつける手法だ。同様に、無料で商品をもらったので、そのお返しをしたくなってしまう人の心理をついている。

私もGoogleから、G-mailや無料のアクセス解析などを利用させてもらっている。一方的な感情かもしれないけれど、何かの仕事の発注があればGoogleにお願いしたいという感覚に陥った。実際、有料である企業版のホームページやメールアドレスを作るときはGoogleにお願いすることにした(Google
Apps)。

「フリー」モデルといってしまうとかっこいいけれど、これは、日本の試食文化にも表れている。スーパーの売り子のおばさんにソーセージの一片を差し出されたときに食べてしまうと、そんなものでも、「どうですか」と進められたら断りづらい。たとえば車の試乗でもそうだ。車の試乗をさせてもらう、営業マンからいろいろな解説をしてもらうと、「ここまでやってくれた人には、何らかちょっとお礼をしないといけないな」と感じてしまう。

侍業、コンサルタントや弁護士、あるいは、社労士などの無料相談も同じだ。無料で相談に乗ってくれたのだから、次に何かあればそこにお願いしようということになる。ここで重要なのは、相手のことだけを考えているわけではないことだ。むしろ、この返報性とは、自分自身の心理的葛藤を解消するためにあるのではないか、と私は考えている。「一方的に便益を受けるのは気持ち悪い」――。できれば、その心理的なもやもやを解消するために、「買ってあげようかな」という気持ちになってしまう。ここに返報性の本質がある。

◎「残り少ない」に人は飛びつく

 そして4番目は「希少性」だ。これは数量や時間の限定を打ち出すことだ。たとえば「チョコレート限定100個」。あるいは、「限定何台」、「2日間限定」……。これら「限定」を謳ったフレーズを聞かない日はない。しかも、私たちはそのフレーズに飽きることなくひっかかり続けている。なぜだろうか。

それは、資本主義における自由が侵害されるからだ、と私は考えている。

大袈裟かもしれないけれど、資本主義社会においては、みんなが心の底では「お金さえ出せば何でも手に入ると」と思っている。そして、「お金がすべての世の中なので、お金を払えばいつでも何でも買える」とも思っている。そして、お金を介して消費活動をすることによって、人びとは自由を感じる。少なくとも感じようとしている。

だから、この希少性という手法においては、そういう自由を行使できないということを全面に押し出すのだ。本当は、いつでもどこでも買えるはずのものが、自由が脅かされるといっているわけだ。あとから後悔しても遅い。まさに、今、買うしかない。これが希少性というもので、非常に鮮明に人々の頭にインプットされることになる。

たとえばネット通販やテレビショッピングなどでは、「締切りまであと○分」あるいは「残り○個」といった表示を入れて、次第に時間や個数が減っていくところを消費者に見せるような工夫をしているところがありますが、これもこの「希少性」という心理を利用している。

あるいは、街中のショップで「タイムセールを始めます。本日に限り1時間、全品1000円!」(本当は毎日やっている)と店員が声をはりあげている場面に出くわすことがある。これも同じ手法の変奏曲にすぎない。

◎相反することを打ち消したくなる願望

 そして、5番目は「認知的不協和」だ。これは、人は自分の心の中で相反する二つの命題を抱えたままでは生きていけない、という心理を応用したものだ。

たとえば、「タバコを吸う人は寿命が短い」と「あなたはタバコを吸っている」という二つの命題があった場合、なかなかその二つを両立して認めることができない。このとき、人はどうするかというと、その二つのうちのどちらかを否定しようとする。

たとえばどうしてもタバコが吸いたい人は、タバコを吸うことによって早死にするということのデータを何とか否定しようとする。隣のおじいさんはタバコを吸うけれど100歳まで生きていると言う。あるいはタバコが健康に害があることは証明されているものの、世の中にはそれに反論する自称「学者」もいるので、そうした人の恣意的なデータに飛びつく。

もちろん、逆の方向として、健康に害があるならタバコをやめようと決断する人もいるだろう。いずれにしても、相反する事柄については、いずれか一方を否定することで、心理的なバランスを取ろうとするのだ。

これを商売に応用すると、次のような例が考えられる。

「スタイリッシュな人はこの服を買います」と「あなたはスタイリッシュな人です」という命題があるとしよう。ここですでにその商品を持っている場合、とくに不協和は起こらない。

しかしこれが、「スタイリッシュな人はこの服を買います」「しかし、あなたは買っていません」という命題であれば、そこには不協和が成立する。自分自身がスタイリッシュだということを認識している人は、必ずその服を買いたいという願望になる。なぜなら、「自分はスタイリッシュではない」という側には周りたくないからだ。

もちろん、「スタイリッシュ」という単語にあまり反応しない人もいるだろう。ただこれは、ブームに先んじている人、あるいは、先端的な購買を希望する人たちに対してはかなり有効だ。「今、最先端の人はこういうものを買っている」というものと、「自分は最先端の人間だ」という二つの命題を持っている人は、その商品を買わなくてはならない、という気持ちになってしまう。

この例としては、かつてのハイブリッド車の販売手法が挙げられる。プリウスや、インサイトを代表とするハイブリッド車は、「実際にガソリンが何万円安くなる」というようなアピール方法を使わなかった。むしろ、環境に優しい人、あるいは環境に非常に意識的な人は、こういうふうな生活をします、と売り込んだ。

もちろん、エコカー減税があったうちは、そのお得感を打ち出した。しかし、ハイブリッド車は一般車よりも高価だったには違いない。それでも、これらのハイブリット車は売れた。「環境というものに、かなり意識的で、かつスタイリッシュな、そして、エコロジーを実践している人」という、すごくハイクラスでハイファッションなイメージを自分自身で持っている人。彼らはその車を買わざるを得ない。それが、自分の認知的不協和を解消するためのひとつの手法だったのだ。ロハスブームにも共通していえることだろう。

あるいは、先端のビジネス理論に通じている自分はかなりいけてるビジネスマンだと自認している人は、新しいビジネス理論が出てきたら、本を買って読み学ばねばならない。
AKB48の熱狂的ファンを自認している人は、とにかくどんなグッズでも買い集めなくてはならない。

それが、自分の中の命題というものを矛盾なく成立させるためのひとつの手段であるからだ。

◎「時間をムダにしたくない」という心理が利用される

ここまで、旧商品である「モノ」を消費者に買わせるためのいくつかのテクニックを紹介した。それはエモーショナル・レスポンス・マーケティングに直結している。

商品の販売に際しては、最初にメリットを提示するといった。メリットというのは、「より」幸せ、「より」便利、「より」簡単に、であった。そして「権威」「コミットメントと一貫性」「返報性」「希少性」「認知的不協和」という5つの手段をさまざまに組み合わせたりして商品を買わせるのだ。

5つの手段に共通しているのは、なぜ「今」サインしないといけないのか、「今」買わないといけないのかを強調していることだ。

権威があっても、何らかのコミットメント、何らかの返報性、何らかの希少性や、何らかの認知的不協和があったとしても、買ったり契約したりするのは1カ月先でもあるいは1年先でもいいはずだ。ただ、1カ月先、1年先では、商売として成り立たない。そこで売る側としては、すぐに買わせなければいけない。

このとき最も重要になるのは、「希少性」で見たように、時間という概念だ。なぜ時間が重要か。それは、自分がセールスマンや販売員とやり取りするために使った時間そのものが、今の消費者にとって「権威」になることだからだ。

現代人は「時は金なり」という意識の中で生活している。ということは、自分の消費活動や、商品を吟味するような予備消費活動にも、何らかの意味がなければいけない。

たとえば、Aという商品を見て、結果的にはBという商品を買ったとしよう。その場合にも、「Aという商品を見たのは、Bという本当に素晴らしい商品を買うための助走であった。全く無駄ではなかった」と思う必要がある。少なくとも、そう思わねばらないのではないかという、強迫観念がある。

人生の中で、ほんとうに無駄なことはたくさんある。無駄な付き合いや、無駄な経験というのもある。しかし、そういう無駄は、近代においては、「あってはいけない」「否定されるべき」存在になっている。

だから、逆に言えば、どんな無駄なことでも、「経験するだけで価値があったんだ」というふうに、自ら読みかえる宿命を持っていることになる。現代人からすると、当然そう言わざるを得ないからだ。

先ほど、人は、セールスマンとやり取りした時間を無駄にしたくないという意識が働くことについて述べた。それを逆に返せば、セールスマンは相手が自分と触れ合う時間を、なるべく長くしようとする。家を買うときも、1時間や2時間の説明を受けるというのはザラだ。車の場合も数時間かけて説得される。この時間こそが、重要だからだ。

そうすれば、それに付き合った消費者、あるいは潜在的購入者が、そのときに要した時間が長ければ長いほど、自分の行動を無駄にしたくない意思が必然的に生み出されてしまうからだ。

要するに、「これだけ長い時間を費やしたけれど、やっぱり断った。時間の無駄だった」よりも「これだけ長い時間を費やして買った。だからこの時間に意味があった」と思いたくなる。自分の選択した時間の使い道が失敗ではなかったことを潜在的消費者は証明したい。それはすなわち商品を買うことでしか証明できない。

先ほど、商品Aではなく商品Bを最終的に買った場合でも、「商品Aを見たのも、商品Bを買うために必要なことだった」と思い込みたくなると私は述べた。ただ、それは結構めんどくさい。だから商品Aをそのまま買ってしまったほうが自分の行動に一貫性ができるのだ。

これがきわめて大事なことだと私は思う。ここから得られる教訓は、「断りたかったら、早く切り上げろ」であろうからだ。

家を買うつもりがなかったのに、モデルルームを見たことがきっかけで住宅の購入を決める例は、冒頭で述べた。他の商品でも「冷やかしのつもりが、買っちゃったよ」という人がいる。買う気がないなら、そもそも行かないことが重要だ。

洋服店で試着をさせる。あるいは、店員が長々と説明をしてくるというのは、それなりの意味がある。

これは営業マンがBtoBのビジネスをやるときも同様だ。自分のために時間をとってもう。そうすると発注側やバイヤーの人たちも、まあ、この人との折衝に多くの時間を割いたのだから、何か一緒に仕事ができないか、ビジネスができないか、ということを考えるようになるわけだ。

そういった一つひとつの手法にも実は意味があることを知ることが重要だ。逆に、その意味に気付かないと、エモーショナル・レスポンス・マーケティングに容易に絡みとられてしまうだろう。

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