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THOUSAND EYESの奇跡について

衝動と奇跡。私が述べたいのは、現代に生きる私たちはTHOUSAND EYES(サウザンド・アイズ)を聴け、という点につきる。

THOUSAND EYESはメロディックデスメタルバンドである。

このたび、THOUSAND EYESの『DECADE OF BLOODY NIGHTMARE(ディケイド・オブ・ブラッディ・ナイトメア)』が発売された。あまりに素晴らしかったので、聴いてほしい。

DECADE OF BLOODY NIGHTMARE / ディケイド・オブ・ブラッディ・ナイトメア THOUSAND EYES サウザンド・アイズ

とくにライブ盤がすばらしい。アルバムの曲順は次の通りだ。

01. DAWN OF DESPAIR
02. DAY OF SALVATION
03. DEAD AGAIN
04. GARDEN OF THORNS
05. DEAD BLIND NIGHTFALL
06. SHADOW DANCER
07. EYE OF THE HATE
08. ENDLESS NIGHTMARE
09. RAMPAGE TYRANT
10. EVERLASTING TRAIL
11. BLOODY EMPIRE
12. LAST REBELLION
13. ETERNAL FLAME
14. BLACK SUN
15. ONE THOUSAND EYES

このなかで、
11. BLOODY EMPIRE
15. ONE THOUSAND EYES
08. ENDLESS NIGHTMARE
09. RAMPAGE TYRANT
03. DEAD AGAIN
などはとくに最高で、興奮を味わうことができるだろう。

以下、私は暴走したいと思う。音楽的な評論なら、他者が書いているので、私は表層批評として記す。

THOUSAND EYESの音楽には、これまでの日本のエクストリームミュージックには明確に表現されていなかった、あてどない嫌悪、呪咀、憂愁、自棄などのすべてがこもっていた。おそらくこれは、ボーカリストのDougenさんの”成果”が大きいはずだ。

そして、バンド全体としては、陰キャと陽キャの絶望的な”どっちつかずさ”を感じるのだ。自分らはどっちにもなれない、という嘆き。そして、それは、選択できない哀しみでもある。THOUSAND EYESとは、男らの熟しきった美しい嘆息にほかならない。

とにかくTHOUSAND EYESの演奏はドラマティックである。同時に、そのフレーズは、体内の奥処をまさぐり、そして、くねくねと入り込んで衝動を与えずにおかない。おそらく、ライブハウスでTHOUSAND EYESの演奏を目の当たりにした人は、その旋律が、何かの傷痕のように、長い、鋭い、深い爪跡のように残るだろう。

Dougenさんの声は威迫的なのにきわだって孤独な声なのだ。

バンドマンの一生は愚行の連鎖にほかならないのだ。まさに、THOUSAND EYESはステージから、大げさに言えば、その音を武器に、聴くものの人生観を問おうとする。

日本、そして、エクストリームミュージック。誰もがわかっているとおり、現在の日本そのものが汚臭であり、汚行である。そこで生きようとする者は貪婪であり、偽善であり、一切の虚無となれの果てを担う。日本におけるエクストリームミュージックとは、それらを背負いながら、そして演奏によりフロアを沸かせ、刹那の衝動とモッシュによって、すべてを忘れさせようとする。

THOUSAND EYESの曲は悲劇でもなければ喜劇でもなく、ただ絶望の寄せ集めを志向しようとする。まさにそれがアルバムタイトルの「GALLERY OF DESPAIR」=絶望に表現されているのではないか。

ドラムのYU-TOさんのリズムは、不要な抒情と腐敗しやすい形容詞をいっさい抜いた、タイトな激音のように思われた。

もう一度、繰り返す。

THOUSAND EYESの『DECADE OF BLOODY NIGHTMAR』は奇跡である。そして、それは衝動を伴っている。現代に生きる私たちはTHOUSAND EYES『DECADE OF BLOODY NIGHTMAR』を聴かねばならない。

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