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映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を見て行き場のない感情を抱えた話

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』観に行きたいと思い、友人を巻き込み誘って南町田グランベリーパークの映画館に出かけることにした。そしてタイトル通り行き場のない感情を抱えた。抱えてしまった。おかげで、夜眠れなくなってしまった。

この感情をどうにかこうにか言葉にしようと、悪戦苦闘した記録が本noteである。最終的には言語化に失敗しているが、どうか生暖かい目で見てほしい。


『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を見に行きたい

そもそも、なにゆえ本作を見に行きたいと思ったのか。それはX(旧twitter)を開いたら、先人たちの阿鼻叫喚が聞こえてきたからだ。X(旧twitter)は人類の英知の結晶。ありがたい。

満足度の高い謎解きにストーリー、そして容赦と救いのない内容。それらを一切のネタバレナシで、ただ「見てくれ……」とそれこそ墓場から囁くように映画を布教する様子を見て、「情緒めためた検定1級」の私が見に行かない訳にはいかないのである。

邦キチでも「ゲ謎なんですよ 今…!」と言っている(邦キチで紹介される映画となると期待半分、心配半分になるが……)。

鬼太郎にものすごい思い入れがあるかといえば、自信をもって首を縦に振ることはできないが、幼少期にテレビで見て怖い思いをした記憶はあるし、「ゆる〜いゲゲゲの鬼太郎」LINEスタンプもいくつか所持している。

おやじのプリケツがたまらんスタンプ

そして好奇心100%で覗いた公式サイトには下記の内容が。

呪われた村で、運命の出会いをした鬼太郎の父親たち。二人がそれぞれにたどり着いた日本の財政界を裏で牛耳る竜賀一族の隠された秘密、鬼太郎誕生へと続く、「ゲゲゲの鬼太郎」6期エピソードゼロである衝撃作が、この秋誕生する。

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』公式サイトより

見に行きたい。とても、見に行きたい。でも独りで行くのはちょっと不安。情緒めためた映画なんて見ちゃったら、まじで夜眠れなくなっちゃう(なった)。

そこで、相模湖プレジャーフォレストのレストランでランチを食べながら、友人を巻き込んだ誘った次第である。ありがとう友よ。

ゲゲゲの予習

先輩諸氏がおススメの参考文献をいくつかピックアップしてくださったので、下記を予習として修めておいた。結果、映画の理解が大変深まったので、これから見に行くという人はぜひ一読・一覧を推奨したい。これだからX(旧twitter)の英知はありがたい。

コミックDAYS:水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』第一話「鬼太郎の誕生」

鬼太郎が生まれた日と放浪の旅に出るまでの6年間が描かれた第一話。

【期間限定公開】ゲゲゲの鬼太郎/ベストセレクション『6期第1話:妖怪が目覚めた日』

「鬼太郎がなぜ人間を助けるのか」を訊ねた6期第1話。猫娘が私の知っている彼女と違った。頭身が高い。

※Youtubeは限定公開なので早めの鑑賞を推奨。颯爽と見よう。

予習として見始めたが、まんまとハマってしまい、これ以外にも6期第7話と14話も見てしまった。

さぁ準備は万端。見ようぜ、映画を!!!!!

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ

鑑賞後のふたりの第一声は「すごかったね……」「すごかった……ね……」であった。なんと言葉を交わせばいいのか、多分お互いに試行錯誤していたと思う。

2時間弱が本当にあっという間だった。それでいうと大変良い映画体験だったのは間違いがない。ただ、「よかった」という一言でかたづけられるものではない。なんだこの感情は。

冒頭から畳みかけるように物語が展開し、気づいたらやべー村のやべー人たちのやべー争いを見て、そしてその背後にある謎に到達していた。そして明かされた、村を形成する「呪い」に、まじで“お口があんぐり”状態だった。何よりも恐ろしいのはやっぱり人なのかよ……。正気の沙汰じゃないんだよ……。

そして二人の男の結末と、『ゲゲゲの鬼太郎』第一話につながるラスト。エンドロール時の動悸、息切れ。情緒がめためたなんてもんじゃない。手で顔をおおい、絶望した現場猫のように「どうして……」とだけ言葉を発して、部屋のすみっこで小一時間ほど過ごしていたい。なんだこの感情は。ポルナレフはこんな気分だったのか?(たぶん違う)

個人的には、自身の利益(それこそ本当に自分の家族や一族すらも顧みることさえ考えず“自分”だけの利益)のためだけに極悪非道な血も涙もない所業を極めに極めた悪役と、子どもの未来を少しでも明るいものにしようと立ち向かう“かつての目玉おやじ”の対比がすごくよかった。世の中を良い方向に導くのは、己の内に向いた幸せではなく、外に向けて、未来に向けて幸せを築こうとすることなんだと思った。

シアターを後にし、何かしらの気持ちのよりどころを求めて、映画のパンフ購入を試みたが既に完売だった。分かる。これは買うわ。パンフレット。

これでもかと凝縮した慈悲のかけらもない悪の煮凝りを浴び、それに立ち向かおうとする男たちの決意を浴び、私たちはどうすればいいのか。どうしようもない。少しでも救いを求め、そのままノータイムで「スヌーピーミュージアム」に向かった。平和な世界がそこにはあったので、とてもよかった。

スヌーピーミュージアムは
そんな私たちをあたたかく迎えてくれた

目玉おやじはなぜ人を救い続けられるのか?(ネタバレあり)

さて、ここからはネタバレありの感想になるので、「未ゲゲゲ」の人たちは先に映画の視聴をお勧めする。もしよければ、南町田グランベリーパークの「109シネマ」に行くとよいと思う。見終わったら、ノータイムでスヌーピーに癒しを求められるからな。

*****

さて、映画後半、私の感情の多くを占めたのは「じじい!!!!!!!!ゆるさん!!!!!!!!」である。幽霊族が滅びゆくのは人間のせいであるが、お前がとどめを刺しているではないか……!

たくさんの幽霊族の文字通り「血肉」を、己の繁栄のためだけに利用し、血を濃くするために血縁者に手を出し、あげくの果てには自身の孫を己の魂の依り代とする。「日本のため」などとほざきつつ、結局は己のために悪行の限りを尽くす奴を、なんと表現してよいか分からない。

映画を見ながらあそこまで怒りを感じたのは生まれて初めてである。正直、このnoteを書くために、公式サイトのキャラクター欄にいる奴の顔を見るだけでも、わなわなと嫌悪の気持ちが生じてくる。ガノンドロフなんて可愛いもんよ。ただの破顔おじさんよ(そんなことはない)。

私でさえそう思うのだから、目玉おやじが奴に抱く感情はそれこそ筆舌に尽くしがたいものだと思う。目の前にいるのは、同胞を利用し、最愛の妻を廃人同然にし、自身の子さえも我が物にしようとする悪の権化。妖怪は自分よりも劣る種族だからという理由だけで、尊厳もなくただ利用する。だめだ、考えただけでも怒りで目がチカチカする。そんなもん、私が幽霊族だったら「人間許すまじ」マシーンとなってしまう。

でもそんなとき、目の前にいるもう一人の人間が、目先の己の利益に惑うことなく、種族を分け隔てることなく、絶対的な悪に対峙しても負けない志を持つ人間だったら――。

そんな人間、水木が目の前にいたから。そして明るい未来を切り開いてあげたい存在である、自分の子どもがいたから――。

そんな想いで水木に妻とお腹の中の子どもを託し、呪いを一身に受けるおやじに思いを馳せていたら、情緒がエライことになってしまうのも致し方ない。なんという映画を見てしまったんだってばよ。

おススメしてもらったアニメ第6期第1話では、幽霊ポストに鬼太郎宛の手紙を投函したことから出会った女の子・犬山まなが「目玉のおやじさんと鬼太郎は、なんで人間を助けてくれるの?」と訊くシーンがある。それに対し目玉のおやじは「鬼太郎が赤ん坊のときな、水木という青年に助けてもらったんじゃ。だからその恩返しみたいなもんじゃ。」と答える。

この映画とリンクするのであれば、実際に水木はお腹の中にいる鬼太郎を助けているし、記憶を失って以降も――ここからは原作漫画の第一話につながるが――自身の住まいと住所を同じくする寺までおやじの妻を(意識してはいないにせよ)導いている(かもしれない)し、死んでしまったおやじの妻の墓を(覚えていないにせよ)掘り、そこから生まれた鬼太郎を妖怪の子だと知りながら6年間育て続けている、ということになる。

まじかよ。この文章を書きながら私は今、頭を抱えている。おやじと鬼太郎が人間を助ける理由は、とても一言ではいえない、様々な想いとつながりがある。こんなの言葉にまとめられない。こんなのもう情緒ぶっ壊しにきているじゃん。もう文章にするの難しいので箇条書きにする。

情緒ぶっこわしポイント
・水木が記憶を失っていても鬼太郎のことを育てているのは、おやじとの想い出が無意識化にあるからでは?
・水木が記憶を失っていても鬼太郎のことを育てているのは、人間と妖怪を分け隔てないという、あの村でのできごとが無意識化にあったからでは……?
・あの悪の煮凝りのじじいを前にして人間に落胆してしかるべきなのに、目玉おやじは水木への恩義が上回ってくれているの……?
・ていうかあんなひどい目にあったのに、人間救ってくれて良いの…?
・えっ、あのちゃんちゃんこ……?
・ていうか、アニメみて「ちゃんちゃんこ、まじつえー」って思ってたけど、そりゃ強いわけだわ……。
・映画公式webサイトの「鬼太郎の父親たち」……。

あっ、むりむり。さっきの怒りとおやじへの想いでどうになりそう。心がふたつある。

*****

まとめる気のないまとめ

幼少期の頃に摂取したアニメとLINEスタンプとのつながりしかなかった『ゲゲゲの鬼太郎』であるが、そんな人間でもクソデカ感情を抱いてしまい、収拾がつかなくなる、そんなとんでもない映画が『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』であった。こんな想いをするのは『シン・ゴジラ』以来だ。とてもつらい。

そして純粋に、この映画の作り手の圧倒的な『ゲゲゲの鬼太郎』への愛を感じる。原作の第一話につなげ、そしてアニメも含め『ゲゲゲの鬼太郎』というコンテンツを守り進化させよう、もっと愛してもらおう、という気概を感じる。

正直に言うと、これ以上まとめる言葉が見つからない。心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書きつくろうとしても、どうにもならない。さっきからひたすら、頭を抱え続けている。noteに関しては書き始めればあまり迷わない方なので、こんなこと初めてである。

なので、冒頭にも申し上げた通り、言語化はおおいに失敗している。

願わくば、目玉おやじがこれからも鬼太郎のそばで、明るく、あたたかく、そしてチャーミングに幸せな人生を過ごせますように。そして鬼太郎が人間と妖怪と「つながり」ながら、少しでも幸せな人生を歩めますように。そうか。情緒が乱れすぎて、もはや「幸せであれ」という感情に行きついてしまった。

ただ、私はLINEスタンプの目玉おやじのプリケツだけは、これからどういう目でみればいいのか、最後まで分からないままでいる。

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