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初恋は、不思議と未知のかおりがする(森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』感想)

『note』を久しぶりに開いたら、4月25日は「世界ペンギンの日」だという。

私立しものせき水族館海響館によると、

もともとは南極観測所で毎年4月25日前後に繁殖期を終えたアデリーペンギンたちがやって来ることをお祝いしたことから始まったと言われています。

私立しものせき水族館海響館│お知らせ

とある。なんとかわいい日なのだろう。私もペンギンがやって来ることをお祝いしたい。魚でつくったケーキに薬味を添えてペンギンたちにプレゼントしよう(魚さばけないくせに)。

ペンギン。主語がでかくて恐縮だが、多くの人が好きな生物ではないか。ズングリー・ムックリ―とした姿にちんまりとした足、よちよち歩きでウォーキングする姿はとても愛らしい。

そんなペンギンを冠した日にふさわしい本がある。私が敬愛してやまない作家、森見登美彦氏の『ペンギン・ハイウェイ』だ。またしても規模がでかくて恐縮だが、全人類に読んでほしい名作である。

森見登美彦氏といえば、圧倒的京都的作家という印象が強いだろう。万城目学氏をして、

でも、もう現代の京都には、他に書くところがないんですよ。僕が2割、森見さんが8割やり尽くしたというか……森見先生が焼け野原にしてしまったんで、もうないんですよ(笑)。

exciteニュース│森見登美彦さんが8割、僕が2割で京都を焼け野原にした。万城目学に聞く『とっぴんぱらりの風太郎』

と、言わしめている。確かに森見登美彦氏は京都のありとあらゆるところをおもしろおかしく縦横無尽に走り回り、腐れ大学生が駆けまわったり、不思議がはびこったり、ロマンティック・エンジン全開にしたりしながら焼け野原にしていた。しかし昨今は京都だけでなく、東京や奈良、短編では尾道や奥飛騨、津軽などを舞台にした作品も書いている。

そのうち一作品が『ペンギン・ハイウェイ』。第31回日本SF大賞を受賞している本作、森見登美彦氏に京都的なイメージをもっている人からすると少し異色に映るかもしれない。森見登美彦氏の作品はすべからく愛すべき作品ばかりだが、私がどんなに表現しようとも表しきれないくらい大好きな一作だ(表現を放棄すな)。

ここで、簡単にあらすじを紹介したい。ネタバレは含まないのでご安心ください。

あらすじ

ある郊外の街に住む、大変頭がよく、本をよく読み、ノートをたくさん書き、南方熊楠を尊敬する小学4年生の少年・アオヤマくんが主人公。そんな彼が住む街に、突然ペンギンが現れたところから物語は始まる。学校へ向かう通学路の途中に、ペンギンがたくさん出現したのである。

アオヤマ君はウチダくんとハマモトさんという友達と、ペンギン出現の謎を解明しようと、「ペンギン・ハイウェイ」研究と称して調査を始める。

ちなみに「ペンギン・ハイウェイ」とは、本書によると「ペンギンたちが海から陸に上がるときに決まってたどるルート」のことだそう。

そして、彼が解明しなくてはならない謎はもう一つ。それは歯科医院に勤める「お姉さん」である。

ある日、諸々の小学生的理由で窮地に陥っていたアオヤマくんは、仲良くしている歯科医院のお姉さんに助けてもらう。そしてそのとき、お姉さんがコカ・コーラをペンギンに変えることを知る。

お姉さんがコカ・コーラの缶を投げると、缶が泡立って膨らみ、はじけるようにペンギンに変身するのだ。そしてお姉さんは言う。

「私というのも謎でしょう?」「この謎を解いてごらん。どうだ。君にはできるか」

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』(角川書店):42-43頁

かくして、アオヤマ君の『ペンギン・ハイウェイ研究』は始まるのである。

ペンギンと初恋

ここからは、私の完全な所感で独り言になる。

この物語において私が本当にすばらしいと思うのは、主人公の「未知」に対するまなざしである。冒頭でそのかわいさを語ったペンギンだが、本書ではアオヤマ君にこのように語られている。

遠い星から地球にやってきたばかりの宇宙生命体みたいだった。

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』(角川書店):11頁

確かに、ペンギンの見た目は「かわいい」が最優先に認識され、そのかわいい見た目から、Sui●aのペンギンなどキャラクターデザインなどでよく見かけるが、本来であれば南極に住む彼らは、私たちとはよほどかけ離れた存在だ。

住宅街に降り立ったペンギンは、アオヤマ君を通して、あらためて「未知の存在」として描かれている。

もうひとつ、アオヤマ君にとっての「未知」があって、それはお姉さんの存在だ。ここでは、お姉さんの家を訪れた、アオヤマ君のモノローグを紹介したい。

彼女の顔を観察しているうちに、なぜこの人の顔はこういうかたちにできあがったのだろう、だれが決めたことなのだろうという疑問がぼくの頭に浮かんだ。もちろんぼくは遺伝子が顔のかたちを決めていることを知っている。でもぼくが本当に知りたいのはそういうことではないのだった。ぼくはなぜお姉さんの顔をじっと見ているとうれしい感じがするのか。そして、ぼくがうれしく思うお姉さんの顔がなぜ遺伝子によって何もかも完璧に作られて今そこにあるのだろう、ということが僕は知りたかったのである。

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』(角川書店):133頁

アオヤマ君のお姉さんに対する気持ちは、本書の最後で触れていただくことを大変強くおすすめするが、アオヤマくんがお姉さんという存在に対して不思議な気持ちをいだき、その理由を知りたいということが何度も丁寧に描かれている。

そして、明確には描かれていないが、アオヤマ君のその不思議な気持ちは、想像するに「初恋」なのである。

そして唐突に投げかけたい。
思い出してみれば、初めての恋というのも、大変みちみちに「未知」に満ちたものではなかっただろうか(どんな表現)。

自分語りで恐縮だが、私の初恋は保育園のときの、”みずしまともき”君だったと思う。

みずしま君は女子に大人気の男の子で、おままごとをすればお父さん役で引っ張りだこだった。みずしまくんに話しかけられるとなぜかどきどきふわふわして、わたしも他の女子に漏れず、少しでも長く一緒にいたいと思ったものだ。そして何を思ったか、一緒にいたいという気持ちが先行し、おままごとでペットの犬役に立候補するようになった。

保育園のときから他をも圧倒するエベレスト並みのプライドを持っていた私だが、進んで犬役を選ぶのはそのときだけだった。いつもであればかわいいお姉さん役に立候補するが、みずしま君がいるときだけは違った。ペット役を買って出れば、散歩と称してみずしま君を誘い、もののふどもが集う女子のおままごと集団から引きはがして、ふたりきりの時間を作れる。

しかし、ふたりで散歩に繰り出して何を話したかは覚えていない。そこには、保育園児ながらも未体験の気持ちと向き合い、ふわふわした気持ちと、少しでもみずしま君に近づこうと試行錯誤した記憶があるだけ。そして、今になってあのとき感じた気持ちは「初恋」だとしみじみと思ったりもする。

私はいくつか恋を経験して、残念ながら初恋というものを経験することはもう二度とない。

だからこそ、『ペンギン・ハイウェイ』を読むと、自分の初恋を思い出し、それはコカ・コーラを始めて飲んだときのようなドキドキがあって、当時は何もかも初めての気持ちを抱いて体験したにも関わらず、今となっては現実的ではない、遠いSF的世界のようにも感じてしまう。

そして、『ペンギン・ハイウェイ』は、住宅街のど真ん中に現れたペンギンというSF的「未知」なものと、お姉さんに対して抱く不思議な初めての気持ちという「未知」の両方を、アオヤマくんの目線で体験し秘密を解き明かそうとする物語のように思えてならないのである。

おわりに

本作、本当にステキで素晴らしい作品なので、ひとりでも多くの方に読んでいただきたいと切に願っている。

表現の豊かさはさすが森見登美彦氏で、アオヤマ君のまわりで起きる不思議は丁寧に描写されて目に浮かぶようだし、様々な出来事やそれに向き合うアオヤマ君のふとした投げかけや心の様子も素直でキラキラしている。

また、ここでは詳しく触れないが、本作が原作のアニメ映画もたいへん素晴らしく、何もかもが良過ぎるあまり、私は映画館で宇多田ヒカルのエンディングを聴きながら嗚咽がでるほど号泣した。こちらも一見の価値ありまくりといっても過言ではない。

長々と語ってしまったが、惜しむべきは、この投稿が4月25日にできなかったこと。残念ながら投稿日は4月26日で「世界ペンギンの日」ではないのだが、思いたったら吉日とばかりに筆をとってしまった次第なのでした。


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