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多重債務者が1級FPになるまでの記録1

自己紹介



はじめまして。FP_yanaです。まずは簡単に自己紹介から。

■名前 FP_yana (ファイナンシャルプランナー)
■1級ファイナンシャルプランニング技能士
■産業カウンセラー
■男子2人の育児中

経歴
19歳 一浪の末、大学入学。
23歳 留年の末、大学卒業。地元企業に就職。
27歳 主にパチスロ依存で多重債務者になる。
28歳 人生の転機。借金返済を始める。
32歳 借金完済。
37歳 1級ファイナンシャルプランニング技能士に合格。
38歳 産業カウンセラー取得。
現在 金融教育を行う一般社団法人の代表を務めながら個人FPとして活動。

現在は、FPとして活動しつつ、多重債務者だった自分がお金の資格の最高峰である1級FPに合格できた経験から、同じように借金に悩む人をサポートする活動もしています。

この記事では、私がどのようにして多重債務者になり、それを克服していったかを記録しています。ぜひ最後まで読んでください。

幼少期~高校時代

自分は父、母、姉、祖母の5人家族で育った。
ごく普通の家庭だったが、自分は幼少期から病気持ちで、よく病院に通っており、苦労の多い子ども時代を過ごした。性格は目立ちたがり屋だったが、自分の意思や思った事を言ったり、感情を表に出すのが苦手だった。

小学3年生くらいになると、父親が嫌いになった。すでにこの頃から「自分は将来こんな父親にだけはならない」と心に決めていた。

父は典型的な亭主関白で、自分の思い通りにならないと機嫌が悪く、私たち家族はいつも機嫌を伺いながら生活していた。なんぜ、父親の許可が下りないとなにもできない家庭であった。そんな家庭で育ったこともあり、自己肯定感なんてものは1ミリも育まれることはなかった。

中学時代になると、ビジュアル系バンドブームが起き、周りの影響で自分もギターを始めた。高校生ではバンドを組み、毎週土曜日になると駅前で路上ライブをやる日々を過ごした。

この頃の金銭感覚はというと、高校1年生のときにアルバイトを始めたときは、まったくお金の使い方を分かっていなかった。そのため、すぐに30万円くらいの貯金を作ることができた。(まさかその後10年以上、その貯金額を上回ることが無いとは思いもよらなかった・・・)

金銭感覚が崩れ始めたきっかけは高校2年生のとき。

この時は音楽活動やアルバイトに加え、生徒会活動も行っていて、とにかく忙しかった。そんな中、当時発売された最新のゲーム機を買うことにした。

その時、それまでの疲れが吹っ飛び、とてつもない解放感、ストレスが発散された感覚を覚えた。

それまでほとんど貯金しかしてこなかった自分が、高額なゲーム機を始めて買ったことで、「お金を使うとストレス発散になる」と脳内に刻まれた瞬間だった。

それ以降、貯金をすることはほとんど無くなり、アルバイトのお金が入れば欲しいものをどんどん買うという習慣になった。

高校3年生になると、音楽の道に進みたいと思い、父親に相談したが

「そんな夢みたいなことを言うな」

と即却下された。

そこで食い下がれるほどの自信も自己肯定感も持ち合わせていなかったため、悲しかったが諦めて、理科の教員の免許を取るべく大学に進学することにした。

大学には現役で合格することができたが、父親の「浪人してもいいんだぞ?」という言葉を受けて浪人することにした。

要するに、父親が納得するレベルの学校ではなかったということだ。

とにかく、父親の機嫌を伺いながら行動する癖が染みついていたため、自分の意見なんてものは考えもせず、父親が望むように選択していた。

浪人からの大学入学

浪人時代、特に前半は、めちゃくちゃ勉強した記憶がある。

予備校に通っていて、クラスメイトは適度に遊んだりしながら浪人生活を送っていたが、自分はクラスメイトと仲良くなる必要などないと考え、ひたすら勉強していた。アルバイトも音楽も辞めて、ただ予備校で勉強する日々だった。

浪人生活後半に入り、息抜きを兼ねてあるバンドのライブに行った。

基本的に、優柔不断で意思の弱い性格である。

結局、この一度の遊びがきっかけとなり失速。その後はクラスメイトと買い物に行ったりして遊ぶようになった。

受験の結果はというと、なんとか2つの学校に合格することができた。

レベルは高いが家から遠い距離にあるA大学と、レベルは劣るが家から近い距離にあるB大学であった。

「A大学がいいんじゃないか?」

父親のその一言で、A大学に進学することが決まった。

父親はいつもこの聞き方だった。「こうしろ」とは言わない。「こうしたほうがいいんじゃないか?」と言う。あくまでも選択は本人にさせる、という教育スタンスのようだったが、結局すべては父親の希望のとおりに物事は進んでいった。そういう家庭なのだ。

そんなこんなで、家から2時間以上かかる理系の大学に通うことが決定した。

夜勤バイトを始める

大学に入学すると、すぐに楽しい大学生活を送るようになる。

サークルなどには入らなかったが、同じクラスの仲間としょっちゅうお酒を飲み、家が遠い事もあって終電に間に合わないことも増え、ひとり暮らしの友人宅によく泊まっていた。

入学して半年ほど過ぎ、それまでは祖母からもらうおこづかいやら何やらでやりくりしていたが、そろそろお金が欲しくなり、アルバイトを探した。

理系でそれなりに授業も忙しく、しかも家から2時間以上かかる学校に通いながらバイトするにはどうしたらいいか。

考えた末、コンビニの夜勤バイトを選択した。

バイトが決まり、そのことを父親に報告すると、

「夜勤バイト?なんでそんなことをするんだ。」

「バイトもしたいなら、なんでそんな遠い学校を選んだんだ。お前はとにかく計画性が無さすぎる」

そんなことを言われた記憶がある。

A大学を選択させたのは父親である。父親にその自覚は無いが。

ただこの時は、バイト先の店長に「学校に通いながらバイトして、父親を見返してやれ」と発破をかけられ、そのまま夜勤バイトをすることに決めた。

この決断が、借金生活への入り口になるとは思ってもいなかった。


つづく。

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