日常をていねいに描く。
こんにちは、FR0M SCRATCH(フロムスクラッチ)です。
FR0M SCRATCH が生まれてから約2年が経ち、さらにコロナ禍により活動の実質的な停止を余儀なくされる状況の中で、今までの経験や思考がゆっくりと澱のようにして積り、私たちがこれから目指すものが澄み切った結晶のように立ち現れてきました。
あくまで原点である0から作る中でなにかを見出していくことに変わりはありません。
その見出したものに対して私たちはどう向き合うのか、それを記したいと思います。
邂逅
FR0M SCRATCH の原点は当たり前のものを0から作ることにあります。一番初めの企画はラーメンでした。鶏を卵から孵し、小麦を育て、包丁を打ち、器を焼きました。
なんの気なしに始めたこのラーメンづくりの中で、私たちはなにかに出会いました。それは未だに綺麗に説明できるものではないけれど、とても大切だと直感され、生きることそれ自体に直接訴えかけてくるようななにかでした。
私たちはその実感を持ちながら、そしてそれを伝えたいと思いつつ、それができないもどかしさを同時に抱えてきました。それはきっと出会ったものがあまりに複雑で、密に絡み合い、途方もなく大きいなにかだったからではないかと思います。
そのなにかは分かりやすいように切り分けて説明することでその形を失ってしまうようこともあるようです。
例えば卵から孵して育てた鶏をかわいがりながら、それを殺して食べるということは頭で考えて分割してしまえば、そこに残るのは矛盾だけになってしまいます。
日常への解放
私たちが触れたそれはあまりに純粋で直接的で茫漠としていました。
しかし、それは実はとても親しみ深いもので、まったく難しいことでもなんでもなく、日常と名付けられているものでした。
普段気にせずに至極当たり前にただそこにあるもの。
言い換えれば生活であり、それは生きることそのものとも言えるかもしれません。
あえて大きな言葉を使うならば、それは世界です。
私たちが触れていたなにかは世界そのものだったのです。
だから、特別ななにかや遠いどこかを探し求めるのではなく、日常の当たり前を探求していく中で、無限の広がりへと漕ぎ出し、どこかでみんなと通じ合える気がするのです。
シンプルで複雑であることに直にそのまま向き合う。
安易に切り分けない。日常をていねいに描いていく。
そうしていく中で私たちは、日々の閉塞感や満たされない思いから逃れるために日常から解放されるのではなく、日常へ解放されていくのだと思います。
描く
私たちはどう日常を描いていくのか。
描くということは、対象を一方的に切り取って解釈してしまうという暴力的な一面も同時に持ってしまいます。
それは特に人に伝える際、分かりやすくデフォルメされ、時には嘘も混じりこみます。
分かりにくいものは切り捨てられ、きれいに分かれた陣営は正義の拳で殴りあう。しかし、その分かりにくさの中に本当があり、割り切れない何かの中に優しさや人らしさがあると信じています。
だからこそ私たちはなるべく、きれいに説明できなくてもそのまま、受け取ったものをストレートに、感じたことや考えたことをありのままに描こうと思います。
でもそれはただ抽象的であったり、混沌としているのではなく、見た人が楽しんでくれるものでありたいとも思っています。
私たちはジャッジはしません。ただ自分たちの触れたなにかをそのまま描きます。
一方でどんなに努力しても解釈なしには表現はできないことも確かです。
しかしそれぞれの解釈があるからこそ面白くもあります。
ならば、ありのままに描くことを念頭に置きつつも、どうしても入ってきてしまう描く人の色を楽しめばいいと思っています。
究極的に世界に触れて味わうことができるのはあなたしかいません。私たちができることは旅の船出へのきっかけであったり、矛盾したり、驚くほど豊かだったり、感じたそのままの世界のほんの一端を見せることだけです。
ゆく道
私たちは当たり前のなにかを作りながら、それらを共通のモチーフとして、あらゆる表現方法で描いていきます。
そこにはどんな壁もありません。
言葉、絵、音楽、写真、動画、プログラミング、学問、料理、商い。
どんなものでもなにかを表現したり人に伝わるものであれば、なにも遮るものはありません。
むしろこの複雑でみずみずしい世界を味わうにはどれだけの方法があっても足りないだろうと思います。
物事を分断しないで包括的に捉える。それがFR0M SCRATCHの描き方です。
日々あらゆるものが個人に最適化されていきます。
それはとても心地いいことです。
好きなことだけが周りにあり、興味のあることが次々と目の前に現れる。
だれも不満を言う人はいないでしょう。
しかし、そこには気づかないうちに壁ができてしまってはいないでしょうか。
嫌いだと思っていたけれど、本当はとても好きだったかもしれない。
聞いたこともなかったことけれど、実はとても面白かった。
そういう可能性や偶然がパーソナライズされていく中で締め出され、世界は狭まってしまっているかもしれません。
FR0M SCRATCH が日常を描いていくことで
誰もが知っている当たり前なことを媒介にして、好きなことを入り口にもっと好きなことに出会う。
そうして世界は限りない広がりを持ち、その深みへの門を開いてくれる。
そんなことが起こればとてもうれしいことです。
その当たり前の中に見た果てしない広がりの中で、自分と世界に無数の繋がりがあることに気づくかもしれません。
その繋がりはあなたを縛るものではなく、生きることをもっと自由に、豊かにしてくれるものだと思います。
自由に個人として生きていく。
しかし、それは孤独を意味せず、繋がりを断ち切ることではない。
人は根を持つときにはじめて大きく羽ばたけるのだと思います。
日常をていねいに描くことを通して、
この世界をもっとおもしろく、
もっと豊かに。
それが私たち FR0M SCRATCH です。
さあ、一緒に世界を楽しみましょう。
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