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(映画感想) ビリーブ 〜未来への大逆転〜

アメリカに実在し、2020年9月に亡くられた法律家ルース・キンズバーグ氏をテーマとして取り扱った映画。彼女自身も女性というだけでハーバード大学法科大学院に在籍時も、その後の仕事を探している時にでも、働いている中でも、困難にあたる。
そんな彼女は、アメリカのみならず世界中で性差別撤退・性平等に力を注いできた人物で知られ、アメリカの連邦最高裁判事を勤めた経歴もある人物。

なぜこの映画を見ようと思ったのか。
私にとって、関心のあるジェンダー問題と中学生の頃の夢だった弁護士という立場について扱い、しかもルース・キンズバーグ氏のドキュメント映画を以前に映画館で観たことがあったから。


最初にこの映画を観た上で、私のジェンダー観について。
私は、生物的に男性である。そして、今まで魅力に感じてきた人は全て女性だった。
しかし、これだけでは私は自分は女性が恋愛対象と限定してしまうのはあまりに簡単な決めつけだと思うので、恋愛対象は常にオープンな状態にしており、魅力と感じた人の性別を気にしないというスタンスを取っている。

また、映画を見て改めて私が普段生きている中で感じていることを取り上げてみる。
それは、「男性らしさ」「女性らしさ」をステレオタイプに男性自身も女性自身も疑わずにそれに自らの意志で従っているということである。
このステレオタイプには、多くの場合に "Male Gaze"つまり男性視点が存在しているという問題点がある。
例えば、女性は料理が出来て、子供の面倒を良く見ることがで出来るといったような「女性としての能力に秀でた者」=「家庭内での仕事を文句無しにこなすこと」が挙げられる。
そして、私が生物的に男性のため、たまに言われることは、「男性だから、外で稼ぐべき。」「男性だから、力仕事に文句を言うのはおかしい。」と言ったものも性別で人の行動を限定している。
これは、職業にもみられることで、映画の中でもあったように「男性の仕事」=「消防士」「女性の仕事」=「看護師」といった職業における性別的なステレオタイプが存在し、これらにNoを突きつけるべきだと私は思う。

個人的に、大学時代は夏の長期休みに日本に帰国する上で、日本の航空会社とアメリカの航空会社で大きな違いを感じる一つとして、客室乗務員として働いている人達の生物的な性別だ。
日本の航空会社の飛行機で今までに搭乗した中で、男性が客室乗務員として働いているのを見たことない。それに比べてアメリカの航空会社では男性客室乗務員しかいないことしばしばあった。
このように、日本は性別に対するステレオタイプから抜け出せていない上に、そのステレオタイプに疑問すら持っていない人も多いのではないだろうか。


そして、この映画を観た上で私が弁護士を目指そうと思った理由についても触れたい。私は中学生の頃、弁護士になりたいと思い、弁護士になるために一番良いと思う進路を選び、受験勉強を始めた。

当時、なぜ弁護士になりたいと思ったのか。

それは、あるニュースを見ていた時に、死刑囚にも弁護人が付くことを知って疑問に感じたことが原点にある。

今の自分が考えればこのことが当然であると思えるのだが、当時の自分には死刑判決を受けるぐらい悪いことをした人を守る人がいることに疑問を感じた。

そして、そのことを親戚の弁護士に聞いてみた。すると、その親戚は「死刑囚にも基本的人権があって、無罪を主張するまではいかないけど、弁護士はその死刑囚の基本的な人権を守るために、時には世論に反対されてもその死刑囚の味方をするんだよ。とても大変な仕事だけど、重要な仕事だよ。」と教わった。

そのことを聞いてから、世論的には排除されるべき人の基本的な権利を守り、少数派の平等な権利を守るために弁護士になりたいと思った。

これが、私の一番最初の具体的な「将来の夢」である。

そして、弁護士になる夢は高校進学、大学進学を経て変わっていったが、働く上でこの少数派のために働きたいという気持ちは変わっていない。

この「将来の夢」である、少数派に寄り添いたいという想いをアートに託したいと考えるようになったのだと思う。

この映画は、自分が感じるジェンダーに関するステレオタイプに嫌気がさしており、いつか私は自分の性別を忘れる状態になりたいという気持ちと、私の働くことへの想いを思い出させてくれる映画だった。


タイトル画像引用元:Amazon.co.jp

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