見出し画像

ICT4D 公開勉強会+αに参加して(1)

先日、ICT4Dlab主催の公開勉強会に参加してみたので、備忘録としてほぼ初めてnoteを使ってみようと思う。(全4回…多分)

公開勉強会は2週に亘って計4回行われ、大盛況だった。

参加してみた・・とか書いているが、一応labのメンバーとして勉強会の中で行われたグループディスカッションの(なんちゃって)ファシリテーターを少しだけ務めさせてもらったので、まったくの外野というわけではないのだが、noteに書くのは後から振り返りができるように勉強会及びそれまでのlabのインナー勉強会で見聞きしたことに感化されて思い出した話を中心にまとめたい。

ICT4Dは、Imformation and Communication Technology for Development の略です。最近は"for"を略して"4"と書くらしいです。(これは何にでも応用できて、ICT4 AtoZ とか、「〇〇のための△△」は全て4でつなげば略せるはずww)

そういえばその昔、「すべてのアメリカ人のための科学」とか、
それを日本版にした「すべての日本人のための科学」なる取り組みがあったな、と思いだした。
(以下全て私の勝手な思い出し記事なので脈絡はないしオチもないと思われる)

第一回勉強会:その1:ICT4D今昔

そもそも、なぜこのICT4DLabのブログの読者になっていて、ついにはLabのメンバーにもなったのか。少なくともいつから、何のきっかけで読者になったのかはっきりと思い出せないのだけれど、仕事でICT政策をググりまくっている中でヒットしたように思う。

日本のICT政策はものすごく遅れていて・・その遠因はなにかいろいろとさぐっているなかで、イノベーションとは何か、を知りたくてたどり着いたきもするし、それ以前の地雷撤去技術と途上国支援をベースにいろいろ調べている中でヒットしたのか、よく覚えていないが、自分の興味関心とこの狭い領域で活動している日本人に興味が惹かれたというのは事実である。

とはいえ、国際開発や途上国支援に甚だ門外漢な私の知識は、100ドルノートパソコンの失敗とか、途上国で衛生インフラないのにみんな携帯持ってるとか、そういえば財務省予算にJICA出資金とかアジア開発銀行出資金があったなと思い出しつつ、それがどうやって使われているのか全然知らないし、ほぼ円借款とか人件費なんだろうな、とか、そのレベルでした。ほんとすみません。

ちなみにこのLabコミュニティ(ブログ含む)の良いところは、国際開発の知識がゼロでも、ICTと開発の接点が伺い知れること。メンバーの専門性が高くて面白いことなどなど、超絶意識高い系なわけでもなく、コミュニティに何か貢献しなければいけないわけでもないという比較的ゆるいところ。

〇〇4Dというと、きっと国際機関とかでバリバリの議論をすれば国際開発や途上国支援の”歴史”や”政治体制”や”現地生活のいろは”を知ったうえで、困っていることの解決手段として何がどう活用できるかという話であもあり、実際すでにODAなどの技術支援が行われているので、国際開発系畑の人しかいないイメージですが、こうも世の中複雑になってくると、何が使える?という手段も、田んぼの水路設計や灌漑設備などの社会基盤からIoTを駆使した最新のテクノロジーまでいろいろあって、やっぱり課題解決のためのテクノロジー思考とか実行力が必要なんだなと思わさられる。

そしてそうした課題解決のためのテクノロジーを運用するのは最後は現地の市民たちなので、導入までが支援ではなく、運用・メンテナンス・改良を自前でできなければやっぱりホコリをかぶったノートパソコンのように宝の持ち腐れというか、無用の長物になるのだなと。

それから、これは私の問題であるが、国外にほとんど渡航したことがないためにアフリカやASEAN諸国や中央アジアの途上国の街の様子が全くイメージできないためにかなりの偏見と空想と妄想で議論を捕捉しなければならない点はやや情けなさを感じる今日この頃。

とはいえ、途上国といっても都市化がどんどん進んでいる地域もあり、国の問題というよりも都市と農村の問題が横たわっていて、貧富の差は中国やかつての韓国の比ではないだろう。その点、日本の問題とも少し重ね合わせながらイメージができるので、途上国発のサービスが逆輸入されて日本の農村に革命を起こす日も近い気もする。革命といわなくとも、実際そうした事例もぽつぽつあるようだ。

教育と国の仕組み

第一回の総論を学び、思うことはやはり、「教育だ、教育だ、教育だ!」ということか。学校=shcoolの語源がラテン語のスコラで、スコラのギリシャ語のスコレが「暇」という意味だったことからもギリシャのあの格差社会のなかで上流階級の暇な人たちが学問をしていた、という言葉遊びから脱却して、暇じゃなくても勉強できる環境を世界中の子どもたちに提供できなければ永遠に支援と被支援の差は解消されないということではないのか。

しかし自分の子供を見ていて、

・朝7時にバスに乗って、5時間授業を受けて、

・4時に帰ってきて、宿題をやって、

・9時前には就寝する生活を週6で続けて、それを6年間。

・その後3年間宿題の量が更に増え、

・高校3年間では夜中まで勉強をして合計12年続けて大学に進学して、

という生活をするのはやはり、労働力として子どもの手を借りなくても子どもにそれだけの「暇」を与えられるほどのGDPを稼げる国にならなければ成り立たないのだなと考えるとぞっとする。

世界中でそんなこと可能なのか?いや、そうしなければ人類の未来はないのだ、とも思った。

かつての日本も(詳しくは知らないが)蘭学とか、儒学とか海外留学生が本国に戻ってきて自国の教育に多大な影響を与えたとするならば、やはり途上国からどんどん先進国に留学してもらい、自分たちが第二、第三の建国に父母になってもらうしかないのだろう。

そう考えると、ICT4Dは、この恐ろしいほどのスピードで変化していく世界と取り残されていく人々の懸け橋になるものだと思われる。(なんか飛躍したな)

予算配分とイノベーション

ここで、ICTを科学技術に読み替えて「教育と科学技術」という枠組みで政策的なインプリケーションを考えてみると次のテーマにつながると思ったので少し触れると、勉強会後半で参考文献として紹介された「月とゲットー」~科学技術と公共政策~という公共政策の古典的名著?を読んだが、これが訳がかなり粗悪で読みづらく、著者のリチャード・R・ネルソンの気持ちも分からないでもないが、比較検討する対象として次元の違うものを無理やりつなげているように思われる。宇宙開発予算と教育予算のバランスをどう考えるか、のように調和とバランス問題にした方が政策論として議論しやすい。

もっと大きなスコープで書かれているのだろうが、やはり試みとして無理があるように思えてならない。個人的には、単に予算配分の問題であろうし、それは結局有権者の関心事項の優劣に過ぎないと思われる。貧困問題に目を向けず放置してきた為政者と自分たちの富の再分配に無関心だった市民の隙間で取り残される人たちは途上国のスラムにも、先進国の貧困層にも現れている。

宇宙倫理学入門」を読んだ方が公共政策をどのように考えるかの示唆に富んでいるように思えた。

①技術的に可能でも巨額の予算をかけてまで取り組む意義があるのかよく分からない政策と

②予算をいくらかけても未だ解決の糸口が見えてこない政策にどれだけ予算を振り分けるのか

いわゆる”国民的コンセンサス”という茫漠とした世論をそれっぽく説明して理解するけど納得いかないみたいな話はたくさんあるわけです。

そうこう書いているうちに、2年くらい前に個人のToDoリストにあったテーマをマイニングしたので再度自戒を込めて書いておく

人類の福祉のための科学技術の貢献を拡大させる政策

Think! Think! Think!

画像1

以上

(つづき)第一回勉強会:その2:イノベーション

え、このままでは4回で終わらない...


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?