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年賀状をメールに変えて

渡仏してやむを得ず年賀状はやめ、新年のご挨拶はメールに切り替えました。お正月が華やかになる年賀状はやっぱりいいものだったので、日本にいたら年賀状は続けていたかなと思います。でも若い時には年賀状が煩わしかった時期もありました。

30代になって、友達から来る年賀状は家族の写真のものが増え、ある理由から結婚は無理と思い込んで諦めていた私は、複雑な気持ちでそれを眺めていました。そんなある年、「お互いの環境が変わったし、もう会う事がなさそうだし・・・」と思った子育て中の友達に、年賀状を出すのを止めたことがありました。
でも、私が出さなくても、相手が年賀状を出してくれていて、しかも丁寧に一言書いてあるのを読むと、やっぱり返さないと落ち着かなくて返事を出して、結局途切れなかったという経験があります。
それで、成長アルバムのような年賀状を毎年受け取っているうち、ある時気づいたら、写真付き年賀状が楽しみになっていました。微妙な年齢で気持ちが揺れ動いても、それは一時的なことで、自分は自分と思えるようになったようです。

ある年は、休憩室で一緒にお弁当を広げていた会社の同僚に、年賀状のやり取りをやめましょうと提案してやめたという事もありました。毎年何か一言書くのに悩んでいたし、短い正月休みが終わればまた毎日会うんだしと思ったからでした。
でも、本当は年賀状の問題だけではなく、少人数での代わり映えのない付き合いに、ちょっと飽きていたんだろうなとも思います。倦怠期とでもいいましょうか。
その後、同僚とお昼ご飯を一緒に食べる機会が減って、交流が少なくなった時、年賀状のお付き合いぐらいしていてもよかったなあと、ふと思ったのでした。同僚に出す三、四枚をわざわざやめる必要もなく、一筆書くのも何も無いならお決まりでもよかったのにと、大人気なかった自分を反省しました。

そんな未熟な紆余曲折があって、年賀状は自分からはやめないという事に落ち着き、絵柄を選ぶのも一筆書くのも迷わなくなりました。それからしばらく経ち、結婚して渡仏することになりました。

渡仏して最初の年末に、年賀状らしいものを郵送するかどうか、「受け取るものがないと寂しい」という、これまた自分中心の理由で悩んだのですが、国際郵便だとこちらも相手も何かと大変だと思い、メールにすることに決めました。
最初の年はやっぱり一抹の寂しさがありました。でも、メールも楽しいし、メールは年賀状よりちょっと多くお互いのことがわかる気はします。松の内ぐらいに送れたらとのんびり書いていると負担もないです。

日本にいる時は意識していなかったのですが、日本を離れて年賀状を送らなくなってから、一年に一度のやり取りでも、「新年のご挨拶」が、なかなか会えない人とのご縁を繋いでおける有難い機会なんだなという事を実感しています。今年は特に、こんな世の中になってしまって、新年の挨拶でお互いの無事を報告し、健康を祈りあえる喜びをひしひしと感じ、メールであっても新年の挨拶は大事に続けていこうと気持ちを新たにしました。

今日も読んで下さって有難うございました!


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