Shuji

誰かに僕を、解ってほしくて

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誰かに僕を、解ってほしくて

最近の記事

振り向いて欲しいだけだった

今日は宅建士の資格試験を受けてきた。 宅建士は簡単に言えば不動産業に必須の免許で、毎年数十万人が受けて数万人が受かる資格だ。 数ヶ月前、父親は内定先の決まった自分に対して、宅建士の資格を取っておけ、その仕事が嫌になったときに役立つから、と言った。嬉しかった。自分のことを気にかけてくれて、なおかつ父親の仕事を勧めてくれるのが1人の人間として認められている気がして。 昔から、父親の期待を裏切ってばかりだった。一度だけ来てくれた授業参観では百ます計算の正答率がクラスで最下位に

    • エンタメとしてのスポーツは?

      このごろ、人生の楽しみにおけるスポーツ観戦の割合が高まってきたことを感じる。 プロ野球が大好きで昔からよく見ているが、それに加えてNBAにも手を出した。明日は8時から試合があるなとか、それを楽しみにするようになった。 果たしてそれは良い変化なのだろうか。趣味に生産性を求めることはないけど、何か違和感がある。 もしかしたら代り映えのしない毎日を送っているからとか。プロ野球とかNBAは毎日日程が進んで、それぞれ違う試合がみれる。それを刺激として摂取しているのかもしれない。

      • 本は人間を形作るのか

        数か月振りに読書をした。去年の初めの方は月に10冊近く読んでいたのだが、後半はほぼ読まなかった。 そんなわけで久しぶりの読書と相成ったわけで、読んだ本といえばもちろん、心酔する西尾維新先生の新刊「掟上今日子の鑑札表」である。 びっくりするほど忘却探偵シリーズの謎に迫るわけだが、それより心に響くものがあった。語り部の厄介くんによる、読書体験の演説だ。 人間を形作るのは読んだ本の種類だけでなく、いつどこでどんな風に読むかという読書体験も含めて重要である、という論旨だった。 そん

        • データはどこに行ったのか

          5年つかっているノートパソコン、32GBいっぱいいっぱいのUSB。どちらが良くなかったのか、論文の下書きとゼミ資料が飛んだ。数週間前にもファイルが壊れたので、コンピュータの問題だろう。 あのデータはいったいどこに行ったのか。もうこの世のどこにもない。ただ破損したファイルがあるだけ。不変的に、恒久的に存在すると思いがちだが、別れは一瞬で永遠だ。牡丹なんかより諸行無常を感じた。 実体がない、情報がある、という共通点のせいか、データと意識は同一視されやすい気がする。冷静になれば

        振り向いて欲しいだけだった

          夏の終わりになったら、虫の音聴きに田舎にいこう

          表題は彼女がLINEで送ってくれた言葉。 たまに自分の琴線に触れる言葉がある。内容というより響き的な理由で。 そういうのを書き留めていきたい所存。 田舎に行くって難しいな、何もないから田舎なんだけど、何もなければ選べないから行くことができない。そう考えると、ダーツの旅みたいなのは田舎に行くには良い手段だ。日本列島ほどダーツの的に不適な国もないだろうけど。

          夏の終わりになったら、虫の音聴きに田舎にいこう

          天は一体何を作っているのか

          「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」 へえ、天は怠け者なんだね。少しは仕事したらどうなんだ。 …君は福沢諭吉のことが嫌いなのかい? ああ嫌いだね、僕がキャッシュレス化に踏み切ったのは、福沢諭吉の顔を見なくて済むからだ。ATMでは10千円と入れていたよ。 そんな理由でpaypayを使われてたまるか。 そもそもね、「ペンは剣よりも強し。」なんだあれは。キャッチーすぎるだろう。偉人になって名言を残してやろうって魂胆が見え見えなんだよ。コピーライターか? 言い

          天は一体何を作っているのか

          背負っているもの

          GWは春フェスに参加した。 ライブ自体、2,3年前に初めて行った程度の浅い付き合いではあるが、それでも音楽の力のようなものは実感する。四月頭に行った対バンでは、それまで溜め込んだ大人の理不尽さが粉々になるのを感じた。 それだけに、フェスは自分にとって大きな割合を占めている。だから参加を躊躇わなかった。それでも後ろめたさや罪悪感、不安は確かにあり、足取りは重かった。 「みんなが背負っているものは罪悪感じゃない。エンタメの未来だ。そりゃ重いよ」 それぞれのアーティストが時

          背負っているもの

          Webライターはおしまい

          本日付で、有給インターンとして行っていたWebライター業を退職してしまった。 自然と「してしまった」という表現になる。未練があるのだろうか。二つほど見つかる。 一つ目は、職場の人と全くと言っていいほど関われなかったことだ。Webライター業は完全に在宅で行われるため、一度も顔を合わせたことがない。最近になって、みんなの簡単なプロフィールがまとめられた。ネット小説を連載している人や、10年ノマドライターをしている人、いろいろな専攻の東大生さんたちなど、個性豊かな経歴を持つ人々

          Webライターはおしまい

          高度に発達した魔法は科学と区別がつかない

           西尾維新の超長編、「伝説シリーズ」の『悲鳴伝』にこんな一節がある。 「―――なんかSFっぽいアイテムがいっぱいあってびっくりしています。科学って、僕達の知らないところで進歩しているんですね」(中略)「『高度に発達した科学は魔法と区別がつかない』という奴だね。まあこれも、とあるSF作家の発言なんだが」 引用元:悲鳴伝、西尾維新、(2012)、p426 「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」  この本で初めて目にした。いかにもSF作家らしい言葉遊び。とあるSF作家と

          高度に発達した魔法は科学と区別がつかない

          成長の呪縛

          人類資金福井晴敏、講談社文庫 資本主義は、成長し続けなければならない、という呪縛に囚われている。  経済や金融に疎い私は、『人類資金』を読んで初めてこの呪縛に気がついた。 国家も企業も個々の家庭も、右肩上がりを続けるという前提の下に組まれた資本主義社会には、もとより根本的な欠陥があったのではなかったか。(中略) この世に永遠に成長し続けるものなど存在しない。(中略) 成長し、発展し続けることによって未来を保証されてきた資本主義社会は、その未来が担保価値を喪失したい

          成長の呪縛

          キューバ・リブレのない夜

          「戦争とは、正義と正義が戦うものだ」 誰が言い始めたのかはわからないが、恐らく近年の創作物で生まれた言葉だろう。ともあれ、戦争を創作物の中でしか知らない私達世代にとっては、最もらしい言葉であるに違いない。  私達はまず、幼児向け番組や日曜朝の番組で勧善懲悪を学ぶ。そしてライトノベルや深夜アニメ、はたまた映画や小説で、一歩進んだ視点である上記の定義がすんなりと入ってくる。  この定義の是非を問う訳ではないが、しかし何事もにも例外は憑き物だ。  今回私が訪れたハノイとサイゴン間

          キューバ・リブレのない夜