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Verbum caro factum est.

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札幌に戻ってきてからしばらく綴ったブログ記事の中から、気に入ったものをご紹介します。ほとんどがキリスト教をテーマにしたものです。
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記事一覧

日本の信徒発見の聖母

今日、3月17日は日本の信徒発見の聖母の記念日だ。 1549年、聖フランシスコ・ザビエルによっ…

FrancisMax
2年前
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お告げの祈り(Angelus Domini)

僕は個人的に「お告げの祈り」が好きだ。というのも、祈りの言葉ひとつひとつの内容を深く黙想…

FrancisMax
2年前
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聖母、神の母、マリアよ

ヨーロッパの教会を訪ねたとき、また、日本国内のカトリック教会を訪ねたとき、必ずといってい…

FrancisMax
2年前
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マルタの「親密さ」とイエスの「新しさ」

イエスはマルタとマリアという姉妹のところに訪問するが、当時のユダヤ社会では親族でない女性…

FrancisMax
2年前
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傷と闇に価値を与えるイエス

毎年のことなのだけど夏の終わりから秋の始まりまでどうも調子が良くない。かといって調子を良…

FrancisMax
2年前
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エッファタ…開け

この主日の福音は引き続きマルコ福音が読まれる。 マルコ福音は他の共観福音書と違い、特定の…

FrancisMax
2年前
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狭い戸口は人を押しのけて入る救いではない

ルカ福音9章から始まるイエスのエルサレムへの旅は、人々がイエスに対して勝手に希望する栄光への変容ではない。イエスの旅は死へ、しかも当時最も惨い死である木に挙げられる死への旅である。ルカはイエスがその死を決心していることをしっかりとえがいている。 この13章22節の冒頭にも「エルサレムに向かって進んでおられた」と記述がある。この日語られるイエスの言葉もエルサレムへの死の旅の途上に語られた言葉であることをまず心に留めたい。 旧約においてイスラエルが神に選ばれたのは、彼らが神に

決して、そうではない。

四旬節中の福音の一つに、ガリラヤ人虐殺事件とシロアムの塔の陥落による事故死のニュースにつ…

FrancisMax
2年前
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「性的少数者と友人達のためのミサ」の必要性➖➖真の当事者性と祝祭の場

「性的少数者と友人のためのミサ」 東京に「LGBTQみんなのミサ」という集いとミサがある。そ…

FrancisMax
2年前
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聖母の被昇天

これは2013年8月に書いたブログ記事です。8月は広島・長崎の日と聖母被昇天の大祝日がありま…

FrancisMax
2年前
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「どうせ僕なんて」なんて思わなくていい。

2012年5月のブログ記事です。 年間第6主日Bから引き続きマルコの1章の後半が読まれる。 漁…

FrancisMax
2年前
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命のパン

2012年6月のブログ記事に加筆したものです。 次の主日、聖公会もカトリック教会も同じくヨハ…

FrancisMax
2年前
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五千人の給食、聖餐の原型

【2011年6月にブログに綴った記事です。この年はA年でマタイが読まれていました。訂正なしで転…

FrancisMax
2年前
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オカンの命日だった

【2011年7月にブログに記した文章です。この頃は修道院出たばかりで教会行きづらくて聖公会の教会にお邪魔していました。オカンのことより第3奉献文の説明ばかりしています。新司祭と書かれているのはOFMの元田神父さんで丁寧にミサたててくれました。感謝。訂正なしで転載します】 この日曜日、オカンの4回目の命日だった。 いつもオカンの命日には実家に帰って家族でごミサに行き(いつもと言っても3回だが)おうちに帰って一族で飯を食うので、先週親父に電話をした。帰った方がいいか、どうか。