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ヘンリー・ニューマン枢機卿とおかあちゃんの祈り

うちのおかあちゃんはヘンリー・ニューマン枢機卿の祈りをこよなく愛していた。きっと自分自身もその祈りに生き、僕ら子どもにもその祈りの文言は言わずにその祈りの精神に生きるよう育てようとしたのではないかと思う。ちょっと機嫌のいい時、おかあちゃんの神様への思いと、その結果、僕がどうあって欲しいかを、たまに、ごくたまに、聞かせてくれた。そして諭してくれた。あの人は神を語ることをものすごく嫌う人だったので。でもたまに教えてくれた。

「心をフラットにしなさい。たいらにしておきなさい。神様の愛の光があんたの心に注がれて、その光全てが周りの人々を照らし返して周りの人すべてが温められ活かされるように、神様の愛の光の鏡になりなさい」と。

あと、これはよく言っていたこと。「自我を捨てるな。自我を隠すな。自我に生きることそのものが神様でいっぱいになればそれでええんやで」という言葉。これはしょっちゅう言っていた。ついでに「自我を捨てて神に出会ったつもりでいるキリスト信者に聖性はない」と毒強めのことも言い切っていた。「神様と一緒に生きることが大事や。『神様に従って』とか『神様の為に』などどねむたいことは表面信者の言うことや」とも。「あんたどんだけ偉いねん?とか言われんでー?」などと心の中で思ったら、即座に、「あんた、おかあちゃんは本気やで!」と一蹴されたもんだった。「あんたはひとっつもわかってへん、口だけや」ともよく言われた。
ああ、こわいこわい。

おかあちゃん自身、僕を諭した言葉どおりの生き方をした人だったように思う。親としてはちょっとプレッシャーを感じた時もあったが、情の深い人だったと思うし、本人も情深くありたいと願い続けていた。情深いのは叔母たちも含め、あの家系の人々の一つの色なのかもしれない。しょうもない人が多いだけ、情も深くなるのかもしれない。どうしようもないことを乗り越えるたびに、情というものは深くなっていくのかもしれない。

おかあちゃんは、毎日僕のために祈ってくれていた。たった一回だけ教えてくれた。「あなたのお好きなようにお使いください」「生きるのも死ぬのもあなたの御用のためにお使いください」って祈ってると。「おかあちゃん、人の生き死に祈るってどーよ?」と言い返したら、ものすごい真顔(剣幕)で「あんたは神様にお返ししたんや。あんたの生き死にを神様の御用に使っていただくのがおかあちゃんの本望や」とピシャリと返された。とっても気迫があって、やっぱり怖いなぁと思ったけど、この人の信仰の仕組みはどうなっているんだろうと、その時も驚かされたのをよく覚えている。

聖ニューマンの祈りの言葉自体が好きだというのもあるだろうけど、あの人の親は聖公会の信者だからアングリカンの司祭からカトリックへ改宗し、司祭から枢機卿へと聖性を深めていった聖ニューマン枢機卿には特別な親近感があったのかもしれない。ガキの頃、滅多に会うことのない母方の祖父母に会うと、それぞれに「戦中、聖公会は大変やった」と聞かしてきたのをよく覚えている。

尊敬するマザーテレサがこの祈りが好きだというのもあるのだろうか。もしかしたら、祈りについて語るより、この祈りに自分を重ね、祈りに生きようとしていたのかもしれない。親のことを書くにはあまりにも手前味噌な話になってしまい恥ずかしいが、心底そう思う。お母ちゃんの祈り、そして聖ニューマン枢機卿の祈りを思い返すたび、僕はちゃんと生きられているだろうか、いや、だめだなぁ、なんて思ったりする。

イエスさま、私がどこにいても、
あなたのかおりをはなつことができますように、私を助けてください。
私の心をあなたの霊といのちであふれさせてください。

私の存在に浸み通り私を捕えつくすことによって
私の生活のすべてが、 
ひたすらあなたの光をかがやかすものとなりますように。
私をあなたの光をかがやかせるものとしてお使いください。

私が出合うあらゆる人々が、 
私の中にあなたのみ姿を感じることができますように、
私のうちでかがやいてください。
主よ、人々がもはや私ではなく、あなただけを見ますように。

私の中におとどまりください。
そうすれば私があなたの光でかがやき、 
私の光で他の人々もかがやくことができるのです。

主よ、光はすべてあなたからのもの、 
ごく僅かの光でさえ、私のものではありません。
あなたが私を通して人々を照らしておられるのです。
私の周囲にいる人々を照らすあなたへの賛美を
私の唇にのぼらせてください。

聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(英国1801-1890)

聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の生涯 - バチカン・ニュース 


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