デス・レター(盗作騒ぎの中で)

Xでちょっとした事件が起きた。

SSWシブヤカンナの「1R」という曲が、LECOという若手のバンドに盗作され、そのYoutubeチャンネルで歌詞も同じ、メロディも同じ、歌いっぷりも同じのおまけ付きで、あたかも自分たちが作ったように吹聴した。これに気づいたシブヤが抗議、LECOが動画を削除した(謝罪もふんわりしていた)。

もちろんこれは盗作したLECOというバンドが悪い。悪いんだが、これが惹起した副産物は、当事者を超えて大きいように思えた。

・俺の常識では、こういうことは恥ずかしいこととして、死んでもやらないし、作曲の過程で「こりゃナンチャラに似てるわ」と思ったら一も二もなく捨てるのだが、LECOはそうしなかった。シブヤの記事を見る限りでは恥ずかしがってもいないようだ。つまり、彼らには、そうした意識が、ない。礼節(礼儀ではなく)、矜恃がない。この無自覚。これでいいのだろうか。俺の好きなNZ在住の哲学者(と思しき方)が言っていた、「日本語人はintegrityを失った」という言葉を思い出す。LECOは矜恃消失の、脱力した露呈だと思った。

・一方、そのLECOが歌った盗作した歌がYouTubeで結構な支持を集めているところに、今度はシブヤの、「自曲のOKレベル」の在り方が見えた気がして、ちょっと悲しくなったりした。つまりシブヤカンナは、LECOが歌って、そこそこさまになっているのを見て、自分の曲の出来をどう思っただろうか、ということだ。その曲は「私でなけりゃ歌えない」くらい質の高いものだったか?「盗作でもなんでもいいわよ!どんなに似せて歌ったって、私の魂までは真似できない!」くらいに思っていただろうか?聴いたところ、俺にはどちらも同質に思えた。つまりは、カラオケになってしまっている。それでシブヤカンナは、いいのだろうか?意地はどこにいった?
ここに俺は、LECOと違った意味での矜恃の消息不明を見る。

シブヤもLECOも、若い。若さゆえの未熟はあろう。だが、俺の周りには、幼いうちからこれくらいの矜恃、持ってる奴がゴロゴロいた。俺のこの思いを「オジサンの昔話」と笑っていいのだろうか?今の若い音楽人は、こんなにもダラシナクだってしまったのだろうか?

ジャニーズ問題で茂木健一郎が赤恥をかく中、「音楽の教養」ではなく「音楽への取り組み姿勢」において、リスナーではなくむしろその作り手が、日本の大衆音楽を破滅させつつある。こう言うのは、言い過ぎだろうか?

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