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働き方改革への違和感

近年、大手企業の過労自殺問題をうけて、政府を中心とした働き方改革への動きが活発になりつつあります。

AIやRPA、その他、様々な技術を駆使して業務効率化を図ろうとしている企業が多く見られますが、私はこの動きに違和感を覚えました。

業務効率化が働き方改革なのか?

技術を駆使して業務効率化を図ること自体は働き手か減ってきている以上、自然な流れだと思います。

しかし、過労自殺問題と働き方改革はまた別の話では? とも思います。

そもそも、過労自殺やパワハラは業務効率化どうこう以前に、法律を犯す行為の積み重ねが理由だからです。

私も以前はブラック企業に勤めていたことがあるので、こういった話は多くのケースを見てきました。しかし、どれも結局は同じような理由によるものが多かったです。

経営者側から見たら、今いる人材をギリギリまで使い倒し、ギリギリ生活出来るレベルの給料の支払いではないと会社を維持出来ない

労働者側から見たら、パワハラなどに耐えながらでも残業をしないと、最低限の生活を維持出来ない

この2点に尽きると思います。

働き方改革について、どう考えているか

決して、働き方改革自体は悪いとは思っていません。ただ、私が不安視しているのは、社員の必要最低限文化的な暮らしを奪うような企業を働き方改革によって助ける必要があるのだろうか? ということです。

ブラック企業はもちろん悪なのですが、そこで働く社員もまたブラック社員として組み込まれている訳で、本来であれば人権を脅かすような企業からは一刻も抜け出すべきなのですが、この国の教育の賜物のせいか、多くの人がそこから抜け出せないと思い込み、ブラック企業の言いなりになっているのが実情です。

何故、このような企業が減らないかと言うと、この国では、法律や明示的なルールより、暗黙のルールや文化を尊重する組織が圧倒的に多いからだと思います。

身近なモノで例えると、都内だとエスカレーターに乗るときに左側は歩かない、右側は歩く人が大勢いるかと思いますが、本来であれば両側とも歩いて使用してはいけないものです。駅の貼り紙でもエスカレーターでは歩かないで下さいという注意書きも多々見掛けますが、殆どの人はそれを守りません。

それは、明示的なルールよりも、人々の心に根付いた暗黙のルールや文化がこの国を支配しているからです。

つまり何が言いたいかというと、働き方改革で業務効率化を図る前に、きちんと決められたルールを守るという、当たり前の意識を一人ひとり身に付けない限りは、これからもずっと過労自殺やパワハラなどは無くなることは無いです。

更に厄介な事に、ルール自体が陳腐化してしまい、時代にそぐわないケースも多々あります。NHKを巡る、放送法などが、それに当たるのでは無いでしょうか。

働き方改革の前にすべきことはある

最新技術を駆使する前に、企業や労働者一人ひとりすべきことがあります。

経営者側は、多大な犠牲を払ってでも企業を存続させる意味はあるのか?

労働者側は、プライベートな時間を削ってまで、その仕事を行う意義はあるのか?

うまくいかない理由を誰かのせいにしても何も変わりません。違法行為が行われているのであれば、労働基準監督署などに連絡するなど、然るべき対応をしなければなりません。

また、会社にいくら要望を出しても何も変わらないのであれば、辞めるということも必要です。そういった行為に対して抜け駆けや卑怯などと言う人達がいるかと思いますが、同じ立場の人間同士の争いなど、経営者側の思う壺ということに気付くべきだと思います。これは、政治家と国民という間でも同じ事が言えます。

責めやすい人を責めて安心感を得ている場合ではありません。

一人ひとりが日頃から、ルールについて、意識してゆく必要があるのではないでしょうか。


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