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ディスレクシア

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自分の出会ったディスレクシアの人と、 私なりの考察を書いています。
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ディスレクシアが強く疑われる中1生の指導覚書

「書き」に強い困難が見られる中1生。 読書はよくしていて、知識や理論(理屈)も強いが、成績は学年でもほぼビリみたいな感じらしい。 先日、本人に会って、少し話をし、 もし、本人の気が向いたら、学習指導を始めるかもしれない。 まだ、教え方がしっかり定まっていない、 というか、本人の内的外的状況を見ながら、本人と話し合いながらどう学んでいくか決めていくことになるだろう。 でも、私の方ではある程度、心構えを作っておかないと、繊細な学習者を傷つけてしまうことになるかもしれない。 そこ

このnoteは、「学習プロセスのコントロール」支援を中心に書いています

学びが楽しいとは、 ひとつに、知的好奇心をそそられること、 ひとつに、目標があるなら、それを達成すること、 そして、学びのプロセスを自分でコントロールして楽しむことがある、 と、私は思う。 自分で自分の学びのプロセスをコントロールするのは面白い。 学びのプロセスとは、つまり、学習方法だ。 学びのプロセスをコントロールするとは、 自分に合った学習方法を自分で作っていくということだ。 そして、それを日々、状況によって変えていくことだ。 ただ、この「学びのプロセスをコントロール

ディスレクシアの特徴を活かしたワザ?!(自分の場合)

(上の写真はNHK科学文化部の2015年のTwitterから引用) 以前、私自身のディスレクシアチックな症状を書いたことがありましたが、 私が、「国語の長文読解」で使っていたワザは、もしかしたら私特有(やれる人限定)のものなのかもしれない、と思って書いてみます。 ディスレクシアの症状の一つとして、文字が浮き上がって見える、というのがあります。 それがふわふわと漂い、交錯して、読めなくなってしまい、 それが「障害」となるわけです。 ただ、私は、この文字が浮き上がる現象を、

頭の中の自分の使いたい回路を中心に使って、学ぶ

もし、左脳が使いやすいとか右脳が使いやすいとか、大脳皮質のカラムが密集しているとか離れているとか、それらの違いをどう組み合わせて、自分の知的作業を行なっているのかが、人によって違うのなら、 自分にとって使いやすい頭の回路を使うと楽なのは、間違いないと思う。   楽というのもあるけれど、場合によっては、その人にとって「気持ちいい」というのもあると思う。 たとえば、ひたすら走るのが好きな人がいる。速いか遅いか、大会で記録を出したかどうかは関係なく、「走る」という機能を使うのが楽し

ミニカラムの遠い繋がりが、全体感を持った処理を産む

(イラストは、第4章とWikipedia等のネット情報をもとに私が描きました) ミニカラム(ミニ円柱) 大脳皮質を構成する。ミニカラム一つには神経細胞ニューロン80個が縦に柱状に構成されている。一つ一つのミニカラムに機能がある。 アクソン(水平軸索) ミニカラムを繋いでいる。電気的興奮を伝える。 (脳科学辞典「大脳皮質の局所神経回路」) 以下は、『ディスレクシアだから大丈夫!』の第4章で紹介されているマニュエル・カサノバ博士の説に依拠した記述です。 ■カサノバ博士の話(自

違った神経系統を使って「読む」という事実

〜研究しても良いと思えた一つのキッカケ 2〜 私が、Overcomin Dyslexiaを読んで、最初に「はっ」としたのは、 話すという行為は結構原始的で、話す人に取り囲まれていれば自然に話せるようになるけれども、読み書きというのは人類史の中では新しいものであり、体得するためには外部の介入が必要な程度の内容であるという指摘です。 そして、読むという高度な作業は、脳の中の局所的な特定の場所で行われるのではなく、幅広く分散している神経系統全体の中で行われるということ(fMRIの

ディスレクシアは使用している神経系統が違う?

〜研究しても良いと思えた一つのキッカケ 1〜 ディスレクシアについての定義の中で、どの機関も共通してあげているものの一つが「神経生物学的原因に起因する」というものです。これは、”読むために使う脳の神経系統が、よく読める人とディスレクシアの人とでは違う”ということです。 同じ「読む」という行為を、ディスレクシアとされる人は違った神経系統を使って読んでいるということです。逆に、「読めて」いても、この「違った神経系統」で読んでいる人を「ディスレクシア」と呼ぶということもできます。

私が想起するディスレクシアな人々2(私自身)

(画像は、NPO EDGEのHPおよびパンフレットから引用しました。https://www.npo-edge.jp ) K君の授業は試行錯誤の連続でしたので、授業後にK君の様子や考察をかなり丁寧に記録し、ネットなどをサーチし、分析していろいろ考えていました。 そこで、ふ、と、「あれ、自分の息子(S君)もそうじゃないの?」と気づき、続いて「私の母(Mさん)もそうじゃないの?!」と気づき、それから何ヶ月も経ってから、「あ、私もそうなんじゃないの?!」と気づいていきました。(本

私が想起するディスレクシアな人々1(K君)

ディスレクシアを理解するために、私の知っている具体例をあげてみます。 私は、ディスレクシアであるかどうかを診断できる立場の人間ではないので、こういう話をするのは憚られるのですが、「あー、この人はディスレクシアの傾向があるんだなー」と思い、ディスレクシアの勉強をしている時に想起している人というのはいます。はっきりとそうであるだろうと想起する人は4人。今後その4人を文字で表すことにします(イニシャルではありません)。K君、S君、Mさん、そして私自身です。私の考えが、その少ない対

ディスレクシア、って、なん?

日本でディスレクシアへの活動を展開しているNPO団体EDGEでは、文の中では端的に「読み書き困難」と表現しています。 ディスレクシアの定義については、WHOが出しているICD-11(国際疾病分類第11回改訂版 2021.5ver.)や、国際ディスレクシア協会の定義や、発達性ディスレクシア研究会(日本)の定義などいろいろあるようなのですが(*1*2)、定義の文章が長いです。 主に、以下のような内容が表現されています。 1。神経生物学的原因に起因する。 2。文字の音韻化・音韻に対

ディスレクシアについて復習中

私は、53歳で入学した(日本の)大学院の修士課程で「自分に合った学習法」的な修士論文を書いたのですが、これを研究対象にしてもいいんだ!と思うに至るまでは、いくつかのハードルを超えていて、その一つが、ディスレクシア(「識字障害」と言えば良いでしょうか)に対する認識です。 ただ、ディスレクシアは自分の研究(探求)の大きなきっかけにはなったのですが、ディスレクシアについて語り始めると、「脳」の話が出てきてしまい、「脳」はもう、論文に盛り込むには私の「脳みそ」が足りないので、そこは