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【雑記】意識の深い場所で起きていることとか高次の膜とか

こんばんわ、Kaloです。

今日は最近感じている欠片をいろいろと置いておく雑記です。


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先日、母と電話をしていて聞いた話。
かなりの半ボケが進んできた父が、母に
「今日はここに泊まっていくの?」
「一緒に泊まっていく?」
と、最近よく言っているそうで。

もちろんそこは自宅で、です。(もう1年以上玄関の外に出ていないので)
その時は、母と「どこに居ると思っているんだろう…?ね?!」
と話していたのですが、

その後、介護福祉士の方が実家に訪問して、
父にいろいろ質問していったそうで。
名前や生年月日は普通に答えられて、住所を聞かれたら、
スラスラと、父が生まれ育った富山県の住所を言ったそうで。

母は「ああ、実家(富山)に住んでいると思っているんだな」と。
だから、ここ(自宅)には旅行にでも来ているつもりで
「泊まっていく?」と言っているのだろう。と話していました。

私は、先日こちらの記事で書いたのですが、
夢の中でよく育った街に帰っていることがあるので、
最近、1日の大半の時間を眠って過ごすようになった父の意識もまた
育った街へ帰っているのかなぁ…。と
話を聞きながら、そんなことを考えていました。

夢うつつ。
夢の世界と現実の世界が混じっていく。

目の前の現実とは関係なく、人は意識の中に没入していて
自分が思っている以上に
意識で見えている世界の中に生きているのかも。



ーーーー
昨日、夕方から夜ごろ、ふと、親しい友人のことが思い浮かんで。
それはイメージではなく、なんとなく彼女とお茶して話をしたい。
と思ったんですよね。
実際に話したい案件もあったし。
そして、それが何時間かずっとアタマに浮かんでいたのですが、
まぁ今月の後半、そう遠くない日程で
彼女を含めた友人たち何人かと会うし。
その時でいいのかも。
って思って、そこでその思いは消えて忘れていたのです。

が。

今朝、その彼女からLINEが入っていて。

私は今日はやたらと眠くて眠くて。三度寝をして起きたら午後。
携帯も消音モードにしていたので、気づいたのは14時ごろで。
見ると「今日か明日、お茶でもしない?」と。

わぁ。と思って
「昨日の夕方から夜、〇〇ちゃん(彼女)の意識が飛んできていたかも」
と言ったんです。

何時間も誰かがアタマから離れないっていう時は、
だいたい相手とテレパシーのようなもので繋がっている。
というような体験を、ここ数年、何度かしていたので。

そうしたら彼女は、
「昨日は1ミリもそんなこと思っていなくて
今朝起きたら、急にKaloと会わなくちゃ。って思ったんだよ。」と。


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そういえば、先日こちらの記事

いつもは自宅からのライブが多いのですが、
今回は何日も前からアトリエで奏でているイメージが来ていたのです。
が。
ボウルの移動もちょっと大変だしなぁ…。と、怠け者の私は思っていたわけですが、そんな私の気持ちを察してか?数日前に急遽、アトリエでの対面、個人セッションが入ったので、アトリエに全ボウル強制移動になりまして。

やっぱり23日はアトリエで奏でることになっていたんだなぁ…。と。

『秋分ライブで起きたこと 〜みなさーん、プレアデスに同期されましたよ。』より

と、書いたのですが。

この時、ああ、少し先の出来事は、
ある時点で決まって、
私はその映像(情報)を見ているんだな。

と思ったんです。



私は昨年から今年の前半にかけて、
たくさんのイメージを瞑想や夢で見ていて。
noteにもいくつかそれを書いていましたが、
些細な出来事から、大人数が絡んだ結構なビジョンまで、
見たイメージが目の前に現れるというか、現象化するというか…。

それも感覚としては
「願望が叶った」とか、
「見ていたイメージが本当になった」とか、
そうした、こちら(現在)からあちら(未来)へ向かう感覚ではなくて
どうも、それは、すでに(未来で)起きることが決まっていて。

決まったものを、ただ見ている。というようなことなんだな。と。


だから
先に書いた今朝の友人とのことは、イメージで見たわけではないけれど
なにか、量子もつれのようなことが起きて
私に情報として、ふっとやって来たのではないか?と、
そんなふうに感じました。

そして、それはもう、自分で意識できる層を越えている場所で
どうやら決まっていることで。

こちらの記事で書いたように

私たちは普段、目の前で起きていることを自分の頭の中だけでつなげて考えてしまいがちです。

でも、このフラクタルな世界を観ていると、本当は想像もつかない宇宙の果てから、異次元から、情報が入って来ているのかもしれない。と思いませんか?

そもそも、私たちは宇宙の果てがどうなっているかを知らない。
銀河系や天の川銀河や太陽系や地球で起きていることでさえ、その全体像は、私たちには知る由もないのです。

どんな経路で誰と誰がいつどのように繋がっているのかわからないけれど起こる100匹目の猿のようなことやシンクロニシティ、偶然のように見える出会いなどは、ずっとずっと高い次元にいる神様(私)が、今朝シリアルを食べ、温かいコーヒーを飲んだから起きた出来事かもしれない。

『フラクタルな宇宙〜身体の中から知る、宇宙はひとつの生命ということ』より


身体の中の細胞の一つ一つが、
身体の外で私が何を食べたかを測り知れないことのように
何かが、私のこの世界の膜の外にある「意思」で起きている。

でもこれまでは、
それ、つまり何を食べたかを感じ取ることさえできなかったし、
ただ目の前に実際に来た情報に対処していた。
けれど。
何やら、その高次の層の情報が少し漏れ出ているというか
もしかしたらその膜が薄くなっているんじゃない?って思うんですよね。

どうしてそうなっているのか、という「意思」まではわからないけれど。
食べたもの(=起きること)がわかるくらいにはなっている。



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今年の前半ごろから、ずっとこの3次元はRPGゲームだという感覚が
強くなっていて。

この身体の私はゲームのキャラだけれども。
この私というキャラを動かしてポイントゲットしたり、お宝を探したりしてその冒険を楽しんでいるプレイヤーとしての私(意識)がいて。
半年前までは、このプレイヤーの自分を感じていて
実際このゲーム自体を作ったもう一つ上の存在の私(高次意識)がいるわけだけれど、その私には、どうもアクセスできないでいたのです。

でも、いくつかの記事に書きましたが、
私という存在自体が実は流れそのもの、空間そのものだと
数ヶ月前に気づき始めて、どんどんその感覚が強くなっていて。

その空間である私=このゲームを作った人の感覚が
なんとなく感じられるようになってきた気もしていて。

1)ゲームのキャラ
2)ゲームのプレイヤー
3)ゲームを作った人

という三人の私がその時々で入れ替わり前に出てくる。
そんな感覚が今日、瞑想でやってきました。

「三位一体」とは本当はこのことなんではないか?と。



と。なんだかつらつらと、
パラパラと
まとまりなく深夜に書いてみましたが。


読んでいただいて、どうもありがとうございます。

ではではまた。




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