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行き当たりばったりな足跡ーabout me-

こんにちは!
さおりです。

25歳の派遣兼非常勤看護師。(2022年4月現在)
基本的にプライドは低くゆるく生きています。

病棟で働いたものの
メンタル崩して
生きるの辞めたかったわたし。

看護師なんて二度とやるかと誓ったものの、
現在看護師として楽しく働いております。

今回はそんなわたしの自己紹介を兼ねたお話を書かせてください。

ここ数年の簡易まとめはこちら↓

もっとフットワーク軽くしていきたい所存です。
興味がある方は下記お付き合いくださいませ。

◯5年一貫高校を卒業

高校看護科3年間+専攻科2年間
という看護師になる最短ルートを攻略。
(通常、看護師になるためには高校卒業後、専門学校3年間or大学3、4年間にいく必要がある)

高校生のうちから看護の基礎を勉強しはじめ、
詰めに詰めた授業や実習を乗り越え、20歳で看護師に。

正直、特別看護師を目指したいわけではなかった。

大学へ行く金銭的余裕もない家庭であったことや、
高校後の進路でまた受験をしないといけないことが面倒であったこと、
長女なので下の子に負担を掛けられない、

などと中学3年生の頃のわたしはそう考えて
5年間で看護師という職を手にすることができるこの道を選択。

人生巻いていけるし、
専門、大学の費用が不要なのでコスパ良い。

今思えば、将来のいろんなことを考えている中学3年生だった。

過酷な学生生活だったが、今となっては良い想い出。
戻りたくはないですが。

◯20歳 病院に就職

あまり深く考えず
実習でお世話になった地域の中核病院に就職。

配属先は脳神経外科、内科。

脳卒中患者の
寝たきりの状態から歩行できるまでの回復過程にロマンを感じたことと、
単純に脳に興味があったため、
配属先として希望を出した。

しかし実際は日々の業務に追われ、
目の前のタスクに取り組む毎日。

目の前のタスクだけでなく、引き続く緊急入院対応。
ご家族や、医師、医療スタッフなど適宜各所との調整。
目まぐるしく状況が変わり、臨機応変に対応する毎日。

座る暇もなく、ただひたすら今ある業務をこなしていくため、
成長している実感もなく、ただただ年数を重ねていった。

辞めたいが辞める理由も見つからず、
文句を言いながら淡々と働く日々。

労働環境が悪いので辞めたいです、
と言ってしまえば楽だったのだが、

当時の私は、
マイナスな退職理由だと転職先探しの際に印象が悪くなってしまい、
もう働けないだろうと思い込んでいた。

そんななか偶然にも
オーストラリア看護留学という良い退職理由を発見。

思い立ったが吉日。
看護留学について説明を聞きにいき、
親にも職場にも相談せず、とりあえずその場でいきますと契約を。

師長さんへオーストラリアへ行くことを報告。
半年後退職したい旨を伝えた。

師長さんに面談のアポを取った時は、
何を言われるか不安で仕方なく、死ぬほど緊張したが、
行くともう決めていたので、引き止められることなく決意を伝えて終わった。

その後、
無事2年数ヶ月の看護師生活に終止符が打たれた。

◯22歳 リゾートバイトで島根県の玉造温泉へ

看護師を辞めるも、
オーストラリアへ行くまで3ヶ月ほど空きがあった。

そんなに貯金もなかったので働いてお金を貯めたい。

ただ看護師はもうこりごり。

そんな中見つけたのがリゾートバイト。

毎日温泉に入れて、2ヶ月間の短期でも働ける場所を希望したところ、
島根県玉造温泉でのリゾートバイト生活が始まることとなった。

人生ノリと勢いでなんとかしてるのは
この辺りからなのかもしれない。

▶︎新たな職務経験:仲居
•受付、案内、配膳等

往復の交通費が出て、住み込みで働ける。

毎日玉造温泉に入れて、
休みの日には島根観光。
出雲大社や松江、足を伸ばして鳥取砂丘へも。

なんとも穏やかで心落ち着くスローな生活を送ることができた。

給料は看護師として働いている時に比べると
だいぶ少なかったが、
非常に充実した毎日を過ごせた、最高の2ヶ月だった。

もし看護師が疲れたのなら、
一度リゾートバイトでどこかの温泉で働いてみてはどうだろうか?

◯23歳 オーストラリアへ看護留学

渡航の1年前に看護留学を決意し、
必死にお金を貯めてついに出発。

わたしの1年半を簡単にまとめると

語学学校へ行って、
看護助手の資格取るための学校へ行き、
山火事のボランティアに参加して、
派遣の看護助手として働いてきた。

看護助手の資格を取るまでは、
エージェントによってある程度道が敷かれているので楽だ。

問題はその後だ。

2年目のビザを取るために、
政府が指定する仕事をせねばならなかった。

なんやかんやあったけれど、
急にボランティア参加することが決まり、
その数日後に急遽移動することとなる。

当初考えていたプランとは
全く別のものに落ち着いた。

予定は常に未定。

ノリと流れに身を任せて生きていこうのスタンスが洗練されていくのであった。

◯24歳 オーストラリア生活1年半を経て帰国

オーストラリアで派遣看護助手として10ヶ月ほど働き、
そろそろ飽きてきたので日本に帰国。

名残惜しい気も少しはあったが、
日常に変化が無くなってきたので、
新しい刺激を求めての帰国。
といってもこの当時日本で何するか未定だった。

帰国後1ヶ月は手続きや友人との再会を楽しむ日々を送る。

◯24歳 潜在看護師、隔離ホテルで派遣看護師として働きはじめる

そろそろ働かねばと思い、派遣会社へ登録。
最初はナースパワーに登録した。

選んだ理由は特別なく、そこそこ大手の派遣会社で、名前を知っていたから。

そこで人伝いに隔離ホテルが良いと聞き、
担当してくれているスタッフへすぐ連絡し、
仕事を確保してもらう。

臨床経験2年とちょっと+ブランク1年半のわたし。
働くことに相当不安はあった。

しかし、
隔離ホテル派遣で働き始めたことで、
色んなタイプの看護師に出会い、
わたしの看護師生活が
今までにないほど充実し始めるのであった。

これについてはまた別の機会に続きを話したい。

ただ一つ言いたいことは、
看護師強い。

◯24歳 そしてまた海外へ

派遣看護師として働き始めるも、
以前より参加を予定していたツアーがあり、1ヶ月ほど海外へ。

今回は南アフリカのサファリガイド体験ツアーがメイン、
ツアー終了後そのまま帰国する予定であったが、
片道3万円の航空券を見つけたのでノリでエジプトの砂漠へ。

滞在期間はそれぞれ短かったけれど

とても良い人生経験をできたので、今後また書いていきたい。

◯25歳 派遣兼非常勤の看護師として働く〜現在

派遣も良かったのだが、月の出勤回数に制限があり
他の掛け持ちできる職場を探す。

派遣会社の求人票や、eナースセンターの求人票をひたすら漁り、
コロナ関連職場の非常勤としてのポジションをゲット。

非常勤看護師として働きながら、休みの日は派遣看護師としてどこかで勤務。

安定して手取り月50万円以上の生活を得られるようになった。

ポジティブな社畜と化した。

◯今後

今後の予定は常に未定。

目の前の出来事に全力で取り組みたい所存。
わたしにできることをやる。
先を考えるのが苦手なので、とりあえず思ったままに行動。

夢や目標を持てと言うが、それを決めるのにうようよしてるくらいなら
自由気ままに生きたありばったりの人生でもいいのではないか。

それが例え遠回りだろうとも。

近道しないと得られないものがあるのだとしたら、
遠回りしないと得られないものもあるだろう。
遠回りかと思ったら近道だったということもなくはないだろう。

目の前で何が起こっている出来事に目を向けて1日1日を大切に生きたい。

人生は人それぞれ。
頑張りすぎず欲張りすぎず。
足るを知り、無理せずゆるりと生きていこう。

2022年7月6日 追記
なぜかわたしは今マレーシアにいる。

◯おわり

とても長くなりましたが、ここまで付き合ってくださり誠にありがとうございます。

看護師は病棟でしか働けないと思っていましたが、
辞めてもなんとかなりましたし、
寧ろ辞めてから全てがすっきり上手くいくようになりました。

臨床経験が少なく多少不利なところもありますが、
欲張らなければまあまあ生きていけます。

頑張りすぎてるあなたへ、
肩の力を抜いてもっとゆるりと生きて良いんだということを伝えていきたいです。

引き続きnoteに目を通していただけるのであれば、
深く考えず、ただぼーっと。
こんな人もいるんだなと、ゆるく眺めていただけたら幸いです。

ではまた。


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