チャプター7

 ペンネーム:匿名希望

 どうもこんにちは。あなたの校内放送を聴いてからというもの、私の中でずっと燻っている悩みをあなたなら解決出来るのではないかという期待が頭を離れなくなってしまったので、投書箱にこの手紙を投じさせてもらいました。

 私はあなたと同じ16歳ですが、あなたに比べたらかなり頭が悪く、上手く話すことも出来ません。正直こうやって文章を書くこともあまり得意ではないですが、話すことに比べたらまだ気が楽なので、手紙という手段を取らせてもらいます。つたない点が多く、読みにくい部分もあると思いますが、どうか気を悪くせずに読んでもらえたらと思います。

 あなたがこのメッセージを次回の校内放送の匿名相談コーナーで取り上げるか否かは、あなたの気分で決めてください。私には何かを決める権限など、生まれた時からないのですから。


 前置きが長くなってしまいましたが、今回私があなたにご相談したいのは、人間関係のことについてです。と書くと抽象的すぎてあなたは頭を抱えてしまうでしょうから、具体的に申し上げましょう。


 奇怪な夢の話です。私は、ピラニアに扮した父親に捕食されてしまう夢ばかり見るのです。より詳しく書くと、人面魚のごとく父親の顔をしたピラニアに、小さな小さなクマノミの赤ちゃんみたいな容姿をした私が巨大な水槽の中で追い回され、食べられてしまうのです。

 普通の人間ならば、「こいつは頭がおかしい、ここまで読んだ時間を無駄にした」と思ってこの手紙をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱にぶち込んでしまうところでしょう。

 でも、あなたが前回の校内放送でディズニーシーにいるカップルにこれから先起こり得る悲痛な命運を50通り以上例示して予言するという試みをやってのけた時から(ちなみに私のお気に入りは『男が食べていた餃子ドッグの中に紛れ込んでいた正体不明の病原菌により歯肉にニンニク臭が付着し続け、女は男と接吻が出来なくなってしまったことに絶望し、自分も大量のニンニクを摂取することで釣り合いを取ろうとした結果胃がその過剰摂取に耐えきれず爆発してしまう』というものでした)、あなたは異端者の意見をきっちりフラットな目線で受け入れてくれるだろう、という確信がありました。

 だから私の奇妙な夢にも、何かしらの有為な考察を与えてくれるのではないかと踏んだ次第です。

 前述した夢を見てからというもの、父親との距離感が上手くつかめません。

 父親はもともと、暴力的な気質ではありませんでした。小さい規模の印刷工場で働く、冴えない中年男性といった感じで、背や肩幅も平均的で、威圧的な態度はありませんでした。

 性格も可もなく不可もなくといった感じで、私が世の中における正しいことをなせば適度に褒め、世の中における正しくないことをなせば適度に叱りました。
 それは私のためというより、世間のルールに従った結果そうした、という感じで、まるで誰かがロールプレイングで父というキャラクターの言動や行動を操作しているような感じがしていました。

 私の家庭にはあと母と、2つ年の離れた妹がいましたが、彼女たちもまた、父親ほどではないにせよ極めて平均的な、どこにでもいるような世間の母像と妹像を体現したような人間たちでした。


 だから自分で言うのも何ですが、変わり者は家族の中で私一人だけでした。

  昔、小学生だった頃、図画工作の時間に、自由に絵を描きなさいという課題が出されました。そこで私はダンボールの中に入れられて、空き地に捨てられている小さいパンダの絵を描きました。
 最初私は捨て犬か捨て猫の絵を描こうと思ったのですが、なぜか「捨てパンダ」の絵を描こうと思い立ったのです。この世界で捨てられる、という行為を受ける可能性があるのは犬や猫だけではないということを主張したかったのかもしれません。なぜそんな絵を描こうと思ったのかは私にもよくわかりませんが。

 図工の教師は私が描いた絵に対して、若干否定的な評価を下しました。あまりはっきりと覚えてはいませんが、たしか「技術的によく描けてはいるが、テーマ性が判然としない」といったことを言われた気がします。

 後日、定期的に行われる家庭訪問の際、私のクラスの担任がその「捨てパンダ」の絵のことを私の母に話しました。
 それまで私は「捨てパンダ」の絵のことを家族の誰にも話していませんでした。その頃にはもう、私の中でどういったことが一般常識の観点から考えて気味悪がられるかという分別が身についていたからです。私が描いた絵は客観的に見て、かなり気持ち悪いだろうということはなんとなく直感でわかりました。特にパンダの眼球を人間の眼球に寄せて描いたところが、「捨てパンダ」という動物の歪さをより一層強調させてしまっていたようです。

 当時の担任の先生は若い男性で、いかにも体育会系上がりといった感じで筋肉質でとても声が大きかったのですが、家庭訪問の際に私が描いた絵がいかにユーモラスで才能に溢れているかを朗々と語っていました。
 お母様、あなたのお子様が描かれた絵は常人ではとても思いつけないものです、豊かな想像力の産物ですよこれは、もしかしたらウチの学校は未来のピカソを輩出してしまうのかもしれません、というような適当な賛辞を小気味よく大きな声で並べ立てていました。

 それを聞いた母親は困惑していたようでしたが、実際に私が描いた絵を担任に見せられると、一瞬食べてはいけないものを口にしてしまったような表情をしてから、引きつった愛想笑いをその教師に向かって投げかけました。
 私はリビングでのその光景を、自分の部屋のドアの隙間からじっと眺めていました。

 担任の教師が帰った後、母は私に質問を浴びせました。なんであんなものを描いたのか?他に描きたいものはなかったのか?なんで他の子が描いているようにお父さんとお母さんの似顔絵みたいな絵を描こうとしなかったのか?
 母の口調には若干ヒステリックな響きがありましたが、大人として感情の抑制をしなければいけないという自戒的な響きもそこには含まれていました。
 私はどう応えたらいいかわからず、その場から逃げるようにしてベッドの上にいき、布団をかぶってしまいました。
 母はそれから何かを諦めたかのように、私に対して何か言うことをやめました。

 その一件があって以来、私は少し変だと思われるような点をなるべく隠して生きてきました。靴下を枕代わりにしてその匂いを嗅ぎながら寝たり、教科書のページを小さく破ってガムシロップを塗りたくって校庭の砂場に放置してみたりしたこともありましたが、私はそんなことをした覚えはない、そんな変なことをしていないんだというある種の記憶の捏造をして生きてきました。
 それ以外は何の変哲もない毎日です。ただ時間だけが、端から見れば平穏に過ぎていきました。

 しかし、私が中学校に入ってからしばらく経った頃、父親の性格は突如として変化してしまいました。もちろんあなたもご推察のように、とても良くない方向に。

 まず、母親との諍いが増えました。父は家族に隠れてギャンブルをやっていました。ある日、父親の鞄からはみ出ていた競馬新聞と預金通帳を母が見つけ、父親が消費者金融のお世話になっていることが露呈しました。
 私は大人の世界の難しいことはよくわかりませんし、ことさらお金に関することにはあまり興味がないのでそれが具体的に家計にどう影響するのかはわかりませんが、父親が何か良くないことをやっているということだけは明確にわかりました。そして何かとんでもなく良くないことに巻き込まれているということも。

 でも、私はそれに対して大きな精神的ショックを受けることはありませんでした。私は以前から、それが準備されていた現実のように思えたからです。俗に言うならば、そうなる運命だったことを予感していたとでもいうか、あくまで想定の範囲内だったのです。

 それに対し、妹はかなりのショックを受け、数日の間寝込んでしまいました。私は物心ついた時から妹とはほぼ全く口をきかなくなっていましたから、その時妹がどういう心境だったのか仔細にはわかりませんでしたが、気の毒には思いました。

 例の夢を見るようになったのはそれからです。

 未だに家庭内には緊迫した空気感が漂っています。父親はその後どうにかして事態に収拾をつけたようでしたが、今までとは明らかに生活態度が一変してしまいました。些細なことにでも舌打ちをし、気に入らないことがあれば威嚇的な唸り声を上げ、直接的な暴力は振るわないまでもテーブルの裏を膝で蹴ったりコップを机に叩きつけたりしてストレスを解消するようになりました。その姿はまるで人間ではなく、何らかの手違いで容姿を人間の形にされてしまった肉食獣のように思えました。
 飲酒の回数も増え、大声で母親と口論するようになりました。最終的には父親は酔い潰れて寝てしまうのですが、日が明けると母は何事もなかったかのように朝食の用意をし、あらかじめ決められたプログラムを遂行する機械のように家事を始めます。

 家庭内に漂う険悪な空気感を、家族全員が無理矢理存在しないものと見なして生活が進行してく、そんな感じです。

 私がピラニアに扮した父に食される夢を見てしまうのは、一体どんな深層心理が影響しているのでしょう?

 実際、私が相談したいのは父親とどう接したらいいか、という問題ではないのかもしれません。私は一体、世界からどういう役割を与えられており、家庭内でどういう風に生きるべきなのでしょう?神は私に何の試練を与えているのでしょうか?

 なぜ私は「捨てパンダ」の絵を描こうとしたのか、なぜ夢の中でピラニアに扮した父親に巨大な水槽の中で追いかけられてしまうのか、私は一体誰で、なぜ生まれてきたのか……あなたはどう思われるますか?

 あなたの導きがいただけたら幸いです。長文大変失礼致しました。

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