見出し画像

お前のこと誰が好きなん?

 毎週noteを投稿していて思うのだが、たかが一介の凡庸で退屈な人間の記事を誰が読みたいのだろう?という暗鬱たる疑問に毎回苛まれる。

 たまにnoteのホーム画面にランダムに表示されてくる記事を雑に眺めさせてもらっているが、やはりというか当然というか「僕は◯◯で〜」とか「私は◯◯な性格なので〜」というように一人称視点で書かれているものが多い。

 そして悲しいことに、私は性根があまりにもひん曲がっているので「わざわざ縁もゆかりもない私のために自己の情報を開示してくだすってありがとうごぜえます〜、へ〜最近のJ-POPは嫌いじゃないけど2000年代以前のようには愛せないと、そういう思考をお持ちの方なんですね〜へえ」というように、赤の他人が書いたその人自身の情報に素直に感嘆することが出来ない。

 というか「俺はこういう人間で〜」とかビッグダディ風に書かれたところで「ふ〜ん」としか思わない。元来的に人間に対する興味が希薄。そもそも生身の顔見知りの人間に対してすら限定的な興味しか沸かないのに赤の他人なら尚更である。

 重要な史実をわかりやすく解説してくれるとかならまだしも、どこの誰かもよく知らない人間の性格なぞをつらつらと並べ立てられたところで「それはわざわざインターネットに書いて全世界に発信しなければならないほどの情報なのかいな」という卑屈な感情が頭をもたげてしまうのである。


 しかしこんなことを述べ出すと今までの私が書いてきた記事なんかほぼ100%の割合で上記にあるようなどうでもいい独白のオンパレードである。

 だからそういう「自分の書いた文章なんか誰が読みたいのだろう」という自己肯定感の低さに起因する不安を完全に無視しないと、とてもじゃないが文章なんか書けないのである。

 文章、または何らかの創作物をnote等のインターネットサービスで公開するというのは、脳内に常に潜んでいる「お前のこと誰が好きなん?」と言ってくる不特定多数の匿名の敵との格闘なのである。

 「お前のこと誰が好きなん?」という状態にある人間はまだ勝俣州和ばりにファンが存在しておらず、非常に孤独な戦いを強いられる。
 しかし、地道に、かつ戦略的に努力を続けていれば必ず「短パンのファンです」と名乗る人間も現れてくることだろう。

 例によって結局何が言いたいのか曖昧になってしまったが、結論ORANGE RANGEの「おしゃれ番長」は名曲ということです。


おしまい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?