ムスタンへの旅 13 ( 最終回 )
Charang チャランまであと少しだとわかるとスピードが落ち、
あちこちに目が行く。崖にあった住居跡はとても興味深い。
少し離れた谷の中にある洞窟住居跡と思われるところは踏み跡がある。
だれかこんな時に行ったのだろうか?
そういえば洞窟に住む人たちがまだこのムスタンには存在する。
実は往路でもバスの中から確認はしていたのだ。
もしかしたらあの洞窟にも誰かいるかもしれない??
DAMODR KUNDA GUEST HOUSに入りお茶をもらう。
「ローマンタンからですか?疲れてませんか?」いきなり目の前にいる
ムスタン人が日本語で声をかけてきた。
彼はRisangye Gurung 8年間日本で働き14年前にムスタンに戻ったそうだ。
話す機会のない彼の日本語はたどたどしいが私の英語よりよほど上手だ。
彼は英語が話せないので彼との会話は必然的に日本語で行われた。
ガイドは英語とネパール語 私は英語と日本語 彼は日本語とネパール語
、話していると必ず誰かが通訳をする形になった。
彼にはいろいろ疑問に思っていたことを聞くことが出来た。
ストーブに使うヤクの糞は馬に乗って1時間程度のところで集め、1時間から2時間集めれば2週間分の燃料になる。 とか、ヤクの糞とヤギの糞は火力が違うから料理に使うときはヤギだ。 なんて生活の事から。男女が結婚する時は両親の許可は絶対、もし男性がお酒を飲むと判ったらほとんど許可してくれない。 そんな時は・・・ なんて男女の話まで。
このチャランに滞在中は時間があれば彼と話をした。
Charangは標高3580 mの美しい村である。そしてここはローマンタンに首都が遷都されるまでムスタンの首都であった村でもあり、村を見下ろす位置には大きなゴンパ(写真上)があり、王宮跡(写真下)もある。
時間を惜しんでは村の中を歩き回り、夜はゲストハウスに集まる村の人々と交流しムスタンでの生活についていろいろ聞いた・・・
三日目の朝、少し寝坊をして食堂に行くとガイドが私を見つけるやいなや「昨晩ポカラからムスタンに向かってトラックが出たらしい」と教えてくれた。 ガイドもこれほど長くムスタンに閉じ込められると思っていなかったようで帰路が見えて喜んでいた。
トラックが付いたのは午後2時頃、今回はあまりにも雪が多く道が険しいのでトラックバスではなく本当のトラックが来た、安全を確保するためにも2台運行だという。
長い期間物資の流通が止まっていたので、この先のゴンパのある小さな集落にも荷物を運ぶというのでチャランを出発できたのは夕方4時を回ったころだった。
どうしてもポカラに行かなくてはいけない人々が集まり乗り込んでくるので運転台には12名の人が折り重なって詰め込まれた。 これなら荷室でも良いというと、危険だから運転台に乗ってくれという。 外国人という事もあり運転席の後ろの隙間に乗せてくれたがそれでも身動きはできない、
ガイドは前の人の背中を抱くように詰めて座っていたので途中で何度か悲鳴を上げていた。
こうしてトラックは真っ暗の中トイレ休憩を2度ほどとっただけで走り続け深夜遅くにカグベニに到着した。 我々はムスタンから出るチェックを明日の朝受けるためにカグベニで降りたが、他の人々はそのまま乗車してポカラに向かったようだ。
こうしてムスタンの旅は終了した。
歩くという目的での旅だったが実際歩いたのは工程の半分ほど、あとは
雪に閉じ込められたり、予期しない形での車両を使った旅だった。
しかし私たちがWebや本などでは知らなかったこと、この地で生きる彼らとの交流はとても有意義な時間だった。 今でも数名の人たちとはネットを使って定期的に連絡を取り合っている、できればまたいつか、どこかで彼らと会えるのを楽しみにしている。