frenchbreadさんの愉快な日々

2016年春 某日

 過日、私はオフィスビル1階のコンビニでは缶コーヒーを購入しようとレジへ向かった。レジには店員1人、会計中のお客さん1人。私はその次の客となるはずであった。
 ところがそこへ、商品数点を不細工に抱えたおばはんが背後から猛然と突進してきて、神の国では後の者が先になる、とばかりに私の前に入り込もうとしたのである。日頃何よりも秩序という概念を重視し、かつ基本的に冷静な性格である私は、おばはんの進路に素早く足と左肩半分を入れてこれを華麗に妨げた。
 危ない危ない。と思ったら、脇より店員2号がぬっと現れ、「お待ちの方どうぞ」と空いているレジの後ろから声を張り上げた。この場合、店員2号のサービスを最も早く受ける権利を有するのはむろん私である。ところが私の一瞬の油断の隙をつき、おばはんはしゅらしゅらっと店員2号のレジの前に進みでたのである。


 やられた!私は天を仰いだが時すでに遅し。しかし救いは天ではなく店員2号より訪れた。おばはんに対して「先にお並びのお客様から承ります」とにこやかに言い放ったのである。おばはんは今始めて私の存在に気づいたかのような顔で「あらごめんねえ」と一応口にしたが、決して私の目を見ようとしなかった。私は「いいえぇ」とこれも一応答えつつ、ここぞとばかりおばはんの顔を睨め付けた。勝ちだ!私の完全勝利だ!
 という話を妄想彼女にしたところ、「ダアリン、わたしはあなたにそんな器の小さな男になってほしくはないわ」と一撃で粉砕された。


2016年夏 某日

 午後、帰宅すべく国際会議場の前を通ったところ、30台後半と思しき女性が一人、「西野カナのチケット持ってるかた ゆずくってください」と書いたプラカードを持って立ち尽くしているのを目撃した。灼熱の空の下、ただただ正面を見据えるその瞳は確信に満ちており、どこか狂気の色が宿っていた。
 これはただごとではない。だってそうだろう?おそらくはこの後国際会議場で西野カナのコンサートがあるのだろうが、西野カナのコンサートに行くためにチケットを持って集まってきた人たちが、この女性を見てチケットをゆずるはずがないではないか。ではこの女性はいったい何のためにこんな行動をとっているのか?私は慎重に考え、またネットで西野カナの情報を探り、ついに答えを得た。


 結論から言えば、彼女(加代とする)は西野カナの真の母親である。それは14歳の夏の日の、広い世の中からすればありふれていると言えなくもない、体育倉庫かどこかでの一瞬の過ちであっただろう。相手の男はまるで責任をとらず、家族にも大反対され、加代はもがき苦しんだ末に、加奈子(西野カナ)を産むことを決断する。しかしか弱き女子中学生の意思の力にも限界がある。けっきょく加代は産まれて間もない加奈子を手放すことになり、三重の大富豪に里子として引き取られた加奈子は、その16年後、図らずもその里親が応募したオーディションを機にカリスマシンガー西野カナとしての道を歩むことになる。
 里親は何も語らなかったが、西野カナは、自分が里親が本当の両親ではないことをおそらく知っていただろう。だから彼女は「カナ」という限りなく本名に近い名前でデビューしたし、家族についてはメディアに語りたがらない。わがままに育ってしまったのも、里親が富豪であったためだけでなく、その屈折した思いゆえであろう。
 いっぽう、加奈子を手放し、その消息を知ることすらできなかった加代は、ある日ふとテレビで「Dear…」を歌う西野カナを見て、これが自分の娘なのでは?という妄想のような疑念に取り付かれる。自分でも馬鹿げていると思ったであろう。何せ自分が知っているのはごく赤ん坊のころの加奈子だけだ。それでもその電撃のような直感を信じ、手を尽くして調べた結果、その直感が正しかったと知ったときの加代の感情の爆発はいかなるものであっただろうか!
 だが、加代には加奈子に会うことはができなかった。自分にはその資格がないと思ったためだ。だから加代は毎回、チケットを買わずに西野カナのコンサート会場に行き、コンサートに参加せずにプラカードを掲げてただ立ち続けるという道を選んだのだ。1つには、少しでも多くの人にカナのコンサートを知ってもらうことで(現に私もそうだ)ほんのわずかでも娘の力となるため。もう1つは、もしかしたら何かの間違いでチケットをゆずってくれる人が現れるかもしれない…そのときは運命が背中を押してくれたと思って、カナのコンサートに参加する…そんな奇跡を願って。
 青春とは?愛とは?家族とは?奇跡とは?全米が泣いてもおかしくない感動のドラマは、このように日常のさまざまなところに潜んでいる。みなさんも注意深く生きていこう。
 ※読んでる人の中に西野カナのファンがいたらごめんなさい。PC越しに土下座して謝罪します。


2016年秋 某日

 仕事帰りに福島駅から自宅への道を歩いていたところ、前方から歩いてきた若くて色白で可愛らしい女性がすれ違い様に「おつかれさまです」と会釈をしてきた。自分が面食らっていると、彼女は、あ!という表情をしてそのまま過ぎ去って行った。
 帰途の続きに今の出来事は何だったのかを検討したところ、仮説は4つ考えられた。
 1.彼女は自分の知り合いであり、自分がそのことを忘れていた
 2.すれ違いざまのハニートラップ
 3.彼女は内気な性格を直すべく、見知らぬ人に挨拶をする練習をしていた
 4.彼女は自分を知人と間違えた


 1はありえない。自分は記憶力がよく、知人を忘れることはほぼないし、好みのタイプの女性となればなおさらである。
 2もありえない。ハニートラップにしては弱すぎるし、自分のような平凡なサラリーマンをハニートラップにかけて誰が得するというのか。
 3は完全に否定することは難しいが、彼女の自然な挨拶のしかたや、その後の、あ!という反応からすると無理があるように思う。また、そもそも内気な性格の人がそんな練習をしようという発想を抱くとも思いにくい。
 とすると4は妥当なのでは?と考えた人もいるやもしれぬが、想像力が足りない。というのも、であれば彼女は「おつかれさまです」の前に、第一声として「あ、○○さーん!」などと声をかけるはずだからだ。
 では一体どういうことなのか?自宅に帰った自分は、電卓、理研ノート、お香、スルメ、ショスターコヴィチ交響曲第9番のCD、ブラックライト、宇宙波動水、といった集中力と思考力を研ぎすますアイテムを総動員し、一心不乱に考えた。


 やがて結論が出た。自分は驚きのあまり歯に力を入れ過ぎ、がためにスルメの半分が噛み切られて床に落ちたほどだ。
 では真実を教えよう。彼女は拙宅の近所の駐車場付近で暮らしている白猫である。自分はこれまで、帰り道にこの猫を見かけると「ご飯食べたの?」「きょうはお友達といっしょじゃないの?」などと声をかけるようにしていた。たまに白猫もミャア、などと返事をするので、そういうとき自分はしゃがみ込んで、そうかまだ食べてないんね、でも俺何も持ってなくて、ごめんね。などと会話を続けるのだった。
 したがって彼女は自分が近所に住んでいるサラリーマンであることを理解していたであろう。いかようにして彼女が人間に転身したのか、もしくは随意に姿を変える能力を持っているのか、といったことについては今後一層の考察を要するが、いずれにせよ人間の姿で私に遭遇した彼女は、あ、よく私に話しかける仕事帰りの貧弱なサラリーマンさんだ(失礼な話であるが、自分は彼女に名乗ったことがないのだ!)、と思って無邪気に話しかけ、それから自分が彼女の姿を認識できないことに気づいて、あ!という表情をして立ち去ったのだ。
 そんなことにも気づかず、不審な表情を向けてしまった自分は何と言う阿呆であろう!自分は猛烈に悔やんで床を拳で叩いたが、拙宅はマンションであり下の住民に迷惑がかかること、拳がとても痛かったことからすぐにそれをやめた。
 爾来半月が過ぎ、昨夜の会社帰り、自分はようやく彼女(猫の姿であった)に遭遇した。自分は感動し、それから少しく冷静になって周囲に余人がいないことを見極め、「久しぶり、こないだはごめんね。君だって気づかなかったんだ」と親しく話しかけた。彼女は歩みを止めて自分の顔をしばし眺めていたが、突如後ろを向いて後方の茂みに全速力で走り去った。


2016年冬 某日

 誕生日が近いということで、妄想上の彼女に自宅近くの評判のよいフレンチのお店に食事に連れていってもらった。料理は評判どおり見た目も味も素晴らしく、こぢんまりとした店舗はシュッとしたコック担当の男性と、笑顔が可愛らしいホール担当の女性の2名で運営されていた。
 気分よくスパーグリングを飲むなどしていたら、妄想彼女が「ダアリン、このお店、あの二人の兄妹だけで切り盛りしているんですってよ」と囁いてきたので自分は危うくスパーグリングを吹き出しそうになった。
 蛇足かとは思うが、忙しくて思考を少しばかり巡らす時間も惜しいビジネスマンの方などのために説明しよう。


 まず、通常の青年層の社会人は、おおむね以下の①〜④の集合で生活が構成されているといってよいだろう。
 ①営業日の仕事タイム
 ②営業日の仕事以外タイム(帰宅〜メシ・フロ・ネル〜出勤)
 ③非営業日(+仕事のアフター)のプライベートタイム
 ④年末年始・盆・冠婚葬祭などによる実家イベント
 ただの同僚であれば①のみ、職場が異なるカップルなら③のみ、普通の兄弟なら④のみ、といった結合度である。もし職場が同じカップルがいるとすると①+③の結合度で、これが同棲を始めると②がさらに加わり、結婚すると①+②+③+④をコンプリートしたダイヤモンド結合となる。
 職場が異なるカップルであれば結婚しても②+③+④が最大であり、これは準ダイヤモンド結合とよぶ。


 もうおわかりと思うが、彼らの関係は最低でも①+④であり、同じ家族が同じ職場に出勤しているということは、同居している(②も加わる)可能性はかなり高い。この時点で準ダイヤモンド結合に等しく、さらに推測をするならば、これほど仲が良いのであれば③の領域に浸食している=正ダイヤモンド結合である可能性すらある。
 何も近親相姦的なやつを懸念しているわけではない。夫婦のように仲のよい兄妹というのは一見素敵だけれども、この準もしくは正ダイヤモンド結合に余人が楔を打ち込む(どちらかに結婚相手が現れる)のは容易ではないと思うのである。
 火曜の夜。
 兄「カナコ(仮名)、お前彼氏とか作らんの?」
 妹「えー、だって出会いないよね。水曜はお店休みだけど、友達と予定あわんし。おにいこそどうなんよ」
 兄「俺はいいよ、今は仕事に専念したいから」
 妹「・・私も仕事楽しいよ」
 みたいな会話が繰り広げられているに違いがなく、考えるだけで赤面する。結果として、2人は婚期を逃してしまい日本の少子高齢化に拍車をかけるかもしれないし、あるいは疾風のごとく現れオリハルコンのごとき鋭さでカナコをかっさらう王子によりダイヤモンド結合が灰と化すかもしれない。いずれにしても不幸でしかないのだ。愛とは?家族とは?社会とは?全米が泣く感動のヒューマンドラマがここに生まれかけている。
 食事を終えた僕(ら)に対して、カナコが「いかがでした?」と天使の笑みを浮かべてきたので、自分は心を鬼にして「いずれにしても君らに未来はない」と回答しかけたものの、ともあれ今宵は美味しいディナーを与えてくれた彼らに対して、これはあまりにも礼を欠くと思い直した。
 自分は「おいしかったです、ありがとう」と尋常に挨拶し、凍える夜の福島の街へ足を踏み出した。


2017年春 某日

 誰もがなんだかやる気の出なくなるような夕刻、自分は駅への道をぷらぷらと歩いていたのであるが、とある曲がり角、ふと自分の死角より飛び出てきた一匹の犬が猛然と自分に向けて吠え立てた。
 一瞬自分は驚いたが、しかしながら相手は畜生、しかも犬は首輪をつけられ紐でおばはんに繋がれている。そりゃあ世間はこんな具合だしその上おばはんなんぞに自由を奪われた身、世を人を恨んで自分に吠え掛かりたくなるのも無理からぬことだよ。と自分は忍耐と慈悲の心をもって犬を赦した。
 ところが吠えられた当の自分が赦したにも関わらず、次の刹那、犬の支配者たるおばはんは「こらっ、この馬鹿犬」と絶叫するやいなや犬を強かに撲りつけたのである。支配者たる身分を濫用して無抵抗な畜生に暴力を与えるとは赦されざる行為であり、逆上した自分は反射的におばはんを平手で打ちのめしていた。おばはんは手で頬を押さえつつ、驚愕して自分を見返した。
 理性を取り戻した自分は、これはやばい。と思った。なぜならおばはんは自分に対する礼節から、自分が管理する義務を負う犬に制裁を加えたのであり、自分はまさにその恩を仇で返してしまった、という事実を悟ったからである。しかし人を平手で打っておいて即座に謝るなどとしてはこれ変節漢の挙動に他ならぬ、そこで自分は言った。
 「犬は僕を脅かした。おばはんは犬を撲った。おばはんだけ何も被害を受けぬのは不公平である、よって自分はおばはんを撲ったのである」おばはんは全てを察したという顔で頷き、それから二人はよよと声を上げて泣きながら抱きしめあった。犬も脇で啼いていた。
 という事件は無論起こらなかった。あああ、今日もアンニュイな一日だったぜ。


2017年夏 某日

 会社帰りに奇妙な男性を見た。彼は新大阪の新幹線駅構内に入ろうとして自動改札に弾かれ、少し経ってまた入ろうとして自動改札に弾かれ、それでもなお「信じられない」という顔をして数秒たたずんだのち、また構内に突入しようとして自動改札に弾かれたのである。
 この種の狂気は大抵、西野カナから生じる。察するにこんなところか。
 男は西野カナの小学校時代の同級生であるライアン中野という。席が隣だったこともあり、周辺からは「カナやん」「ナカやん」と呼ばれ、相合傘を書かれてからかわれた。西野カナは中野に好意的であったが、小学校時代のカナはいじめられていたし、風貌も垢抜けなかったので、長身で爽やかでモテていた中野は「なんで俺がこんなやつと」とふてぶてしい態度を見せていた。
 しかしカナは長じてスターとなり、中野は平凡な遊び好きのサラリーマンになった。そんなある日、ラジオで彼女の新曲「もしも運命の人がいるのなら」を聴いた中野は、どう聴いても曲中の「昔から好きな人には好かれない」「かっこよくて爽やかで私より背が高くて」という「運命の人」が自分のことに違いないと確信した。ファンクラブに入ってライブを申込み、首尾よく7月7日名古屋ガイシホールのチケットを購入した。有給もとれた。
 ところがよりによってそんな日に中野は寝坊した。それも尋常な寝坊ではない。翌日が休みだからと油断して朝方まで遊んだとはいえ、起きたときには19時だったのである。
 それでも中野は新大阪駅まで駆けつけた。けれども南無三、新幹線の乗車時刻はとっくに過ぎていて改札を通らない。もっとも通ったとしても会場に着く頃にはライブはもう終わっているであろう。中野はその事実を、どうしても認めることができなかった・・
 自分は身震いしたけれども、しかし実のところ自分も最近ちょっと狂気じみているというか、バンドを組んでライブをやることになった。バンド経験もないし、手先も不器用だし、時間もないのに。ああ、僕にも側から見れば中野と同じ穴の狢なのかもしれない!


2018年春 某日

 誕生日を迎えた、平素は贅沢を言わない妄想彼女が、洒落たお店で外食をしたいとおかしげなことを言った。自分は不審に思って何度か意向を確かめたが、彼女の意思はあくまで固い。そこでやむをえず、かつて行ったことがある、若い兄妹が経営する素敵なフレンチレストランに出かけることにした。
 店内は混雑しており、神の舌をもつ兄・シンジも、天使の笑顔をもつ妹・カナコも、珍しく殺気立っているように見えた。カナコは何かミスをしたのか兄に叱られていた。職場で実の兄に叱られる心情や察するべしである。けれども彼女は「はい」と従順に返事をし、私たちに料理を出すときには天使の微笑みを向けてくれた。
 自分は料理をいただきながら、妄想彼女に種々のことを語った。職場での昇進のこと。創作活動の展望。まだ自分の脳内にしかない数々の名曲の構想。
 ふと気づくと、厨房でシンジとカナコが言い合いをしていた。先に帰った他のお客が荷物を忘れていったらしく、カナコは「今手も空いたから福島駅まで届けにいく」と主張し、シンジが「今電話の折り返しを待っているのだから、店を出るべきではない」とこれを制していた。カナコは実に献身的であるが、蓋し兄の判断が冷静と言える。結局カナコはこたびも折れて、カウンターの前に戻ってきた。そしてはっとしたような表情の後、私たちに「この席は洗いものをするときに少しく騒がしいので、よろしければ空いたお隣の席に移っていただけませんか」と案内をしてくれた。さすが気が利いている。
 「ダアリン、見て。お兄さん指輪をしているわ」妄想彼女が囁いた。兄は主に厨房の中にいるので気づいていなかったが、なるほどその通りだ。ということはまさか、彼らは準ダイヤモンド結合ではないのか。この私の読みが外れたというのか?!
 店内の客は私たちともう1組だけになっており、カナコはそちらのお客さんと軽く雑談をはじめた。「ええ、わたしたちも近所です。兄は家族がいるので家族とN町のほうに住んでいて、わたしはE駅のあたりから自転車で・・」そういう彼女の顔はどことなく寂しそうに見えた。
 美味しい料理や輝かしい未来の話でうっかり浮かれてしまっていた自分は、カナコの心境を思い複雑な気持ちになっていた。
 幼いころから側にいた兄は、一人前のシェフに成長し店を構えた。自分も飲食の仕事で人を幸せにしたいし、兄の腕を尊敬しているので兄についていった。けれども兄の背中はますます遠く、また一人の男としても家族をつくり充実した日々を過ごしている。それに引き換え、わたしは一人で毎日ここに通って、ただ働いていて・・
 会計を支払った私は、すんでのところで不憫なカナコを抱きしめてしまいそうになったが、妄想彼女がいるおかげでどうにか思いとどまった。彼女がいなかったら私は最低でもシンジの鉄拳を喰らい、未来永劫店には出入り禁止となったことだろう。
 その代わり、自分は「ごちそうさまでした。少なくとも僕は、いつか自分に娘ができるのであればあなたのような女性に育てたいと願っています」と告げて外へ出た。ということももちろんせず、妄想彼女と「寒いね」「寒いね」と言い合いながら家へと帰っていった。

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