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自律的に動く組織を作るには?

今読んでいる本は内田樹氏の「最終講義 生き延びるための七講」である。
私の左翼嫌いは公言しているのだが、左寄りの人としてはトップクラスに気に入っている人である。
まず、知的であり文章が面白いので、本は読み物として読んでいて楽しい。
また、左派には珍しく身内批判、左翼批判が多い。
これは、左翼や特にフェミニストがよく言う「ホモソーシャル(単一の価値観の社会)」に自分たちがどっぷり浸かりがちな左界隈において、至極珍しい人である。
交友関係にモヤっとすることはあるが、それは人の勝手なので…
その中でも興味深い話題が書かれていたので紹介する。
それは、北方領土に関する論考である。
北方領土は、言わずもがな大東亜戦争「終了後」にソ連(現在のロシア)に不法占拠された島々である。
それらが未だに返ってこない理由はなんであろうか?
常識的に考えると、そもそも領土(少なくともその国が主観的に領土だと思っている地域)なんてそうそう他国に渡すことはしない。
政治家生命(下手すれば物理的な生命)がかかっているのだから、どこの政治家も必死である。
最近ロシアは憲法を変えて、領土は何があっても他国に渡さん!とまでしているのである。(護憲派はこれについて何か言うことは無いのだろうか?)
と、ここまでは常識的事項であり、私の頭もその程度の理解で止まっていた。
ところが、内田氏の論考では、北方領土が返還されない原因はアメリカにある、と論じている。
軍事以外は今や二等国であるロシアに対して、日本の同盟国たるアメリカは北方領土に関して圧力かければ良くね?というのは誰しも思うことである。(言われてみれば、であるが…)
そうしないのは何故か?
ぶっちゃけた話、ロシアからしたら北方領土なんて返してもそんなに痛くないのである。
住民も少ないし、軍事拠点としての価値もそこまで無い。(漁業権は惜しいが、そこは返還交渉に入れ込めばいい。)
では、何故返還が実現しないのだろうか?
それは、アメリカがロシアに不法占拠した北方領土を返せと圧力をかければ、ロシアはこう言うだろう、とのことである。
「北方領土を返還するのはやぶさかではないが、そうであればアメリカが不法占拠している『南方領土』も返還するのが筋ではないか?それがないなら応じる理由はない。」
南方領土とは、もちろん沖縄である。
細かい話をすれば一応ロシアの主張は筋違いなのであるが、沖縄はアメリカにとって東アジアの最も重要と言っても良い戦略拠点である。
それを失うリスクを考えると、アメリカからすれば「余計なことをしてくれるな…」と思うはずだ、ということである。
ロシアからすると、(言っちゃあ悪いが)極東のしょぼい島幾つかを日本に返すだけで、アメリカの西太平洋の一大戦略拠点を失わせられるのは、旨い取引なのである。
確かにさもありなんな話である。
ついでに言うと、私がちょくちょく読んでおり、ここでも何度か名前を出している佐藤優氏という人がいる。
彼は、鈴木宗男氏と共に国策捜査で逮捕された、と事あるごとに主張している。
そして、彼らが関わっていたのがまさに「北方領土返還交渉」だったのである。
日本に対して内政干渉しようとする国は少なくないが、本当に露骨に内政干渉してくる国はどこの国か?というと、明確にアメリカなのである。
もっとも、佐藤氏は私が今まで読んだ本の範囲内では、国策捜査アメリカ黒幕説は訴えていないが、そう考えると、余計に辻褄が合うのである。

今回も読んでいた本とは別のテーマである。
世の中には、中央集権型組織と自立分散型組織があると言われている。
勿論、区分の仕方は様々であるし、この分け方であっても、これよりも細部の区分は沢山ある。
まずは、中央集権型組織について考えてみよう。
これは、経営者等のトップを核心として、トップダウンで意思決定をする組織であると言えよう。
トップの手腕とリーダーシップがあれば、組織は迷うことなく最適な行動をすることができる。
組織が小さいならば、トップが直接陣頭指揮を取ってリーダーシップを発揮することになるであろう。
組織が大きくなると、今度は管理組織を作ったり、マニュアルを整備したりして、大きな組織としてトップが管理できる様な体制を作っていくことになる。
ただ、こうなると、大きな組織として大きな仕事はできるようになるものの、意思決定が鈍重になったり、末端まで正確な把握や意思伝達が難しくなってくる。
また、往々にして手続き業務が多くなったり、責任回避のために、やることなすこと上司にお伺いを立てることにより、身内の作業コストが肥大する傾向もある。
一方、小さな組織の様にトップがしょっちゅう現場に行くと、その上司への対応に作業コストがかかったり、上司が大局的な視点を忘れてマイクロマネジメントを始めたりするなんてケースも多々ある。(政治家が被災地等に行って嫌がられるのはこうした事情である。)
こうした弊害を防ぐための手段としては、権限を適切な部下に委任して、一定の判断はその部下にやらせることで、迅速かつ適切な判断をさせるようにする、という手法が取られる事が多い。
この際に注意する点としては、権限を委任しても上司の責任は軽くはならないことである。
委任された側に責任が生じないということはないのだが、委任した側が責任を免られると勘違いしているケースが多い。
昨今話題の(昔からではあるが)政治家の「秘書がやったんで…」というのは本来通用しないはずなのである。
ちゃんと監督することで責任を果たすのがトップたる責任者の役割なのである。
また、権限を委任するときに着意するべきなのは、委任した相手に「トップがその場にいたらそうしたであろう判断を現場のプロとして行う」というマインドを持たせることである。
自分の代理として自分の代わりに判断をさせるのであるから、自分と異なる判断をされても困るのである。
もちろん、結果的にそれでうまく行ったならば良いかもしれないが、上手くいかなければ責任を取るのはトップであり、やってられないと感じるのも仕方がない。
それを避けるには、定期的に自身の考え方や判断基準を権限を委任する部下に理解させる機会を設ける事である。
懇談や面談でも良いし、現地指導でも良いし、会議の場も活用できるかもしれない。
私は好きではないが、朝礼や終礼の場を設けて行うのも手かもしれない。
(部下が耳を傾けたくならない環境では徹底のしようもないのではあるが…)

次に、自立分散型組織についても考えてみよう。
これは、機能や地域、場合によっては事業部などを設けて、それぞれ小さな組織が有機的に連携したり、あるいは競い合ったりする組織の集合体である。
こちらは、組織自体が元々高度に分権化されており、その場その場で迅速に問題に対応できたりする。
一方で、大きな組織としての統制ある力の発揮は難しいとともに、中央集権型組織に輪をかけてセクショナリズムに陥りやすい。
小組織間でのノウハウや教訓の共有がなくて問題が起こった、なんていうのはよく聞く話である。
また、小組織間での衝突が起こった時にも、強制力のある中央組織が無いならば、破滅的な組織の崩壊という事態に陥りかねない。

以上を見て頂いても分かるように、組織の構造には一長一短がある。
最善の組織形態というものもないので、何かしらの組織形態を基準として、目的や環境に応じて適切な組織づくりをしていくことになる。
現在の我々が置かれている環境は、変化が早く、またネット等情報伝達手段が発達しており、対応が遅れれば重大な損失を出しかねない時代であると言われている。
そうなると、組織には完全な中央集権型ではなく、少なくともある程度の自律的に動ける組織であることが求められていると言えよう。
逆に、自立分散型組織であっても、他部署との強固な連携が求められるという一面もある。
となると、中央集権型の組織であっても権限の委任は不可避であるし、自立分散型の組織であっても連携を密にする手段を持つことは重要であると言える。
間をとりゃあ良いじゃ無いか?というのは一理あるものの、ただの中途半端な何かが出来上がるだけ、なんてことも避けたいものである。
ということで、現代の環境に適応できる自律的な組織を作る上での着意するべき事項について検討してみよう。

・失敗を責めない
失敗を責めてしまっては一般的に人は萎縮するものである。
当然ながら、すべての失敗を見逃せという話ではない。
戒めるべき失敗も、引き起こしてはならない失敗もある。
戒めるべき失敗とは、後ろ向きな失敗である。
消極的な手段や何もしないことを選んだことによる失敗であったり、怠惰ですべきことをしないで起こした失敗などである。
これらは、その人を叱責してでも戒めるべき失敗である。
引き起こしてはならない失敗とは、人間が死んだり、障碍を負ったりするような安全上の失敗である。
これについてはそもそも起こらないように万全の対策を講ずるとともに、起こってしまったならば原因を究明し、教訓を収集、整理、普及して、二度と同種の失敗が起こらないようにしなければならない。
ただ、これについては人を責めてはならない。(上記の怠惰によりすべきことをしなかった場合は除くが…)
人を責めてしまっては、原因究明や教訓収集が適切に行えないからである。
責任から積極的に逃れるため、原因究明を妨害する、なんてことも起こり得る。
安全上の失敗は、そもそも起こしてはならないし、起こったとしても二度と起こらないようにするのが最優先なのである。
逆に、絶対に責めてはならない失敗も存在する。
それは前向きでチャレンジングな失敗である。
未知の領域にチャレンジする時点で、失敗を繰り返して試行錯誤することは必然である。
必然と言える失敗を責めてしまっては、自主的なチャレンジなんてせずに、責任を積極的に回避するようになるのである。
そんな人間を作ってしまっては、自律的な組織など成り立たないのは自明であろう。
少なくとも、メリットは全て失われると言っても良い。
そうした前向きな失敗についても、当然原因分析や教訓収集はやらせる必要がある。
しかし、ある意味この手の失敗は責めるのではなく推奨する、組織の模範とさせることが必要であろう。
これは組織全体で徹底すべきことだが、前向きな失敗とは、組織を代表して失敗をしてくれたのだ、という意識を共有する事が必要である。
確かに、失敗の後始末に巻き込まれることもあるだろう。
失敗した本人が後始末と再発防止に中心となって取り組むのは当然である。
しかしながら、組織がアグレッシブに動いている限り、その人が失敗をしなければ、いつか誰かがしていた失敗なのである。
それを、たまたま今回はその人が代表して失敗してくれたのである。
それを支えるのは組織として当然では無いだろうか?

・現場の判断を尊重する
上司としてついついやってしまいがちなのが、マイクロマネジメントである。
現場のすることにいちいち口出しをし、現場の判断を妨害、否定することである。
叩き上げの上司だと、自分が現場でやってきたことだから、ついつい口を出したくなるのも分かる。
時には、全体最適を考えて現場の判断を軌道修正する必要もある。
(これについてはむしろ上級管理者の責務でもある。)
ただ、細々したことを重箱の隅をつつくように指摘されて、愉快な気分になる人はいるだろうか?(いたとしたら、相当なマゾヒストである。)
そんなことをされたら、現場責任者は当然やる気を無くす。
細々したことまで自分の考え通りにできないのであれば、細かいことまで指示待ちをしていた方が二度手間もなく効率的だからである。
そんなことでは、現場の自主性が育まれる訳がない。
確かに現場が思い通りに動かないこともある。
問題を起こしたり、停滞することもあるだろう。
その場合は、高い視点から問題を解決するとともに、小組織の垣根を越えたマネジメントをするのが上級管理者の仕事である。

・小さい単位で責任感を持たせる
権限の委任はなるべく小さな単位で行わせた方が良い。
小さなチームに分ける場合もあるが、階層的な組織でも段階的に下部構造を小さく区分していくこともあるだろう。(マネジメント的には一人が多数の小組織をマネジメントするよりも、小組織の下に更なる小組織を作る方がやりやすいだろう。)
大きな組織のリーダーとなれる人は限られる。
これは能力的な問題と機会的な問題である。
ハッキリ言って、例えば部下を10人でも持ってひとつの事業(の一部分の場合もあるが)をマネジメントをするのは、中々大変な業務であるし、それなりの経験が求められることが多い。(場合によってはキャリア採用の人材がそれを担う場合もあるが。)
しかしながら、2,3人の部下をまとめて仕事を回すことは、経験が少ない人でもなんとかできる話である。
そうした小さな組織で業務を運営し、リーダーシップを発揮し、マネジメントの基礎を若いうちから体験することで、早いうちから自分で考えて業務を運営する意識をつけさせられるだろう。
また、その小組織内で起きた問題については、その小組織内で責任感を持って解決する、という意識を持たせることも重要である。
ただ、本質的な責任は然るべき責任者が取るべきであるし、手に負えないと判断したならば速やかに上司に報告させなければ致命的な失敗が起こり得るが…

・自分のすべきことを認識させ、やらせる
これについては以前の記事「己が為すべきことを為せ」を参照されたい。

・大きなビジョンを示す
組織のトップの仕事は、組織のビジョンやあるべき姿であったり、重要な業務の方向性を示すことである。
その上で、基本的には現場に細部の業務要領を考えされる事が必要である。
新入社員であったり、異動したての部下なんかには、手取り足取り教えてあげる必要がある場合もあるかもしれない。
しかし、その部門を統括する立場にある部下に対してそれが必要であろうか?
重要な局面で適切な指示を行うことは重要であるが、それ以外の個別の業務の進め方は、部下の自主性を重んじて、しっかりと任せる事が重要である。

・必要な資源を要求させ、配当する
金もないモノもない人もないのナイナイ尽くしでは、組織は成果を上げることはできないだろう。
言い訳にもよく使われるが、実際問題として必要なものが無ければ、できないものはできないのである。
ただ、現場も口を開けて待っていれば良いという話ではない。
現場で必要な資源を見積り、要求し、それによる効果を主張させるのである。
それに対して、適切に経営判断して資源を配当することにより、現場が求める資源を手に入れて、現場で成果を出せるようになるのである。
もちろん、資源とは有限なものである。
どの小組織にどのように資源を配分するかを決定するのは上級管理者の仕事である。
上級管理者側も、現場からの要求を口を開けて待っているのが仕事ではないことを忘れてはならない。

・情報を共有する基盤を整備する
どうしても、小組織に区分して責任と権限を付与し、成果を競わせるとすると、セクショナリズムに陥りやすい。
自分の所で情報を囲ってしまったがために、全体に損害が出たり、ある部署のやった失敗が他の部署でも起こったりする場合がある。
それは組織全体として不利益を被ることになる。
そのため、必要な情報であったり、失敗等から得られた教訓は、適切に共有できるプラットフォームを整備する事が必要であろう。
最近はイントラネットでデータベース化もできるし、何ならe-learningなんてのも使用できる。
しっかりと情報を出すことを評価する組織文化を形成する事が必要であると言えよう。

・判断力を養う
これは各階層各人の判断力の話である。
判断力を向上させることは、中々一朝一夕にはいかない。
座学でやるとすると事例研究になったり、少し応用的なレベルであればワークショップなんて手段も使えるには使える。
しかしながら、本質的な判断力は結局OJTとして、普段の業務の中で困難にぶつかりながら乗り越えた経験から得られるものが多いだろう。
そのため、普段からしっかりと判断できる機会を与えてあげるのが、上級管理者の仕事であると言えよう。

・トップが責任を取る
権限を分散すると、トップはついつい無責任(な気分)になりがちである。
しかし、いざという時に自分に責任が降りかかると思えば、下の人間はチャレンジしようとはしなくなる。(トップがそれであっては困るが…)
誰しも責任を負うのは嫌である。
自分の人生なり、人によっては家族の人生もかかっているのである。
雇われの身で、そうそう簡単に責任を問われていては身が持たない。
結局、トップの最終的な仕事は責任を取ることなのである。
責任を取るために、普段から良い待遇と高い給料をもらっているのである。
当然、現場の当事者や責任者の責任の一切が免除されるということはそうそうない。
しかし、可能な限り上がしっかりと責任を取ることで、現場が不必要な責任を被ることがないようにしなければならない。
部下への責任転嫁なんて論外である。

これらの着意をしつつ、自律的に動ける組織を作ることができたならば、勝手にどんどんと成果を上げていく組織が作れるだろう。
ただ、注意するべきことは、自由かつ積極的であることは、ある種の危うさと紙一重である。
往々にして、がっしりと管理された組織と比べて問題も起こしやすい。
その問題に適切に対処することが上級管理者の主な仕事となる。
また、組織の人員も人間なので、必ずしもトップの動いて欲しい様に動いてくれるとは限らない。
その不確実性を受け入れる度量を持つことが必要となるだろう。
セクショナリズムに陥らない様に、小組織に対して横断的な大局的で難しいマネジメントもすることになる。
大きな成果をもたらす可能性がある反面、リスクもある程度覚悟する必要があると言えよう。

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