見出し画像

はじめての藤井風聖地巡礼"まつり"🏮を通して悟ってみた。


2022年3月。

これは、わたしが社会人史上最大の残業時間を叩き出す月となった。

土日祝に休むことは当然だし、
あわよくば平日だって休みたい。

仕事を始める瞬間から、何なら仕事始める前に段取りを考えたりもして、とにかく早く帰ることを目標に、一生懸命かつ大真面目に仕事に取り組んでいるし、
残業時間が少なければ少ないほどハッピーなわたしにとって、これは大事件だった。

おかしい。
仕事が終わらない。
いくら繁忙期といえども仕事が終わらなすぎる。
残業なんて最低限に留めたいのに。
朝早くから仕事してるのに、どうして終わらないのかしら。
終わってないのに業務終了して、
次の日を迎えるのが恐ろしすぎる。
終わらない無限ループから抜け出せない。

2022年2月に人生史上最大の残業時間を叩き出したばかりだったのに、
それをも超えてしまう勢いで働いていた。

一体、何時間残業すれば許してもらえるのかの判断ができない。


こんなことを考えながら仕事をしていた当時のわたしの唯一の心の支えは、
3月23日に発売を控えていた藤井風のセカンドアルバムだった。
早く新曲を聴きたい。早く藤井風を注入したい。風くんのセカンドアルバムを聴くまでは、わたしはわたしの人生を放棄することができない。だから何があっても生き抜かねばならない。

何度も何度も心の中で呪文のように唱え続けながら、セカンドアルバム発売を目前に控えた3月20日夜9時。
突如、「まつり」が先行配信されたのである。


なに、このメロディ。

一回聴いただけじゃ理解できなくて、
歌詞をしっかり認識できるまで、何度も再生した。

タイトルからは想像もつかない内容だった。


風くんが、今なら全て受け止めるって言ってくれてるんですけど…?

わたし、何もかも既に持ってるの…?

毎日愛しき何かの祭りなの…?
こんなに仕事が終わらなくて辛い日々さえも祭りなの?

比べるものは何もない
勝ちや負けとか一切ない…

仕事に見切りをつけて終わりにするという能力が著しく低下していた頃、

仕事が終わらないのは「自分の能力が低いせい」だし、
残業時間の増加は「自分の仕事が遅いせい」だと思っていた。

人のせいにするより自分のせいにしたほうがしっくりきたから。

そして、わたしと違って仕事ができるみなさんが平気そうな顔ですいすい仕事しているなかで、
仕事の量も質も圧倒的に劣る自分が辛い苦しい出来ないって言えるはずなかった。

わたしが言い出すことで周りに波及する影響を考えると、わたしがただ耐え忍ぶのが一番平和だと思っていたし、
役立たずの上に、迷惑なやつになるなんて、、、
期待はずれって思われたらどうしよう。
そっちのほうが耐えられない。


「残業に対する辛さ」と「己の無能を認める告白をする情けなさ+失望されるかもしれない恐怖」を天秤にかけた結果、わたしは前者の選択しかできなかった。


でも風くんは、なんとも和風な癒し系メロディにのせて、「比べるものは何もない」って雅に言ってくれた。
誰とも比べる必要なんてないって。

真っ平に生きられたら真っ直ぐにそこへ行けたかな?

わたしの人生に真っ平に生きられた時期ってほとんどないように思う。心の中はいつもジェットコースターみたいで、いろんなことに左右される未熟者なのである。


でも、風くんは

今なら遅くはねーから、って言ってくれてる。

ねえ、わたしも今から頑張ったら真っ平に生きられるようなるかな?

生まれゆくもの死にゆくもの
全ては同時の出来事…

深い…壮大…ここは宇宙…?


あれもこれもが有難し

そりゃそうだ、
こんなわたしの泣き言を聞いてくれる心優しい人は確かに存在する。尊い。

苦しむことは何もない
肩落とすこた一切ない

え…そうなのかな…
そうなんだ…

悪いのは、仕事能力と残念耐性の低い自分だと思ってたけど…

何にせよめでたいんだ…


じーんと来た。
響いた。
沁みた。
救われた気がした。
明日も生きてみようと思えた。

風くんの歌って、
自己否定なんてすることないよ、
あなたはそのままでいいんだよ、と
伝えてくれる。
とにかく包容力に溢れている。
愛と優しさで出来ている。


まつりが先行配信された3月20日は、
メンタルヘルスマネジメント検定III種の受験日で、
受験を終えたあとにこの曲を初めて聴いた。おかげで、ちょっと解脱モードに入れたような気がする。

もちろん、真面目なわたしはちゃんと勉強してたけど、テキスト上での理解を超えて、なんか藤井風レベルで理解できた気がする(事前対策→試験→まつりを聴いて総仕上げ、って感じ)。
決して難易度が高い検定試験ではないけど、合格した自分を愛し、褒めてあげようと思えた。何にせよめでたい。

風くん!わたしセルフケアがんばるね!


勉強した時にもテキストに書いてあった。
辛さは人と比べるんじゃない、自分の基準で感じるものだ、と。
自分にとってへっちゃらなことが、あの人にとっては辛いことかもしれないし、
わたしにとって超しんどいことが、このひとにとっては朝飯前かもしれないってこと。
人それぞれ得意不得意があるし、何でもできる人なんていないのである。

現に、わたしの残業時間は法定労働時間を超えるものではなく、管理職に注意されるレベルでさえなかった。
だけど、わたしは精神崩壊レベルで辛かった。
また、繁忙期なんだからこの程度は当然、って無言の圧力のように感じて落ち込んだ。
でも、わたしが何も訴えないんだからしょうがない。管理職だからってエスパー能力があるわけではないのだ。どんなことだって気づいて欲しければ自ら主張しなければ伝わらない。

思っていることは口に出して伝えなさい。
これは両親にもよく指導された事項の一つである。

両親がしっかり教えてくれていたのに、わたしが日々の生活で疎かにしたり忘れてしまっている事を、風くんはこうやって思い出させてくれる。
風くんの歌ってほんとにすごい。

風くんの歌は、両親への感謝の増幅装置にさえなる。

わたしが己の限界を知る機会になったのは確かで、これからしっかりセルフケアして、だめならSOSコールすれば良い。と、その後もうちょっと時間をかけてわたしは学んでゆくのである。(学びは続くよね、風くん。)

メンタルヘルスマネジメント検定のためのお勉強で特に印象に残ったのは、
社会人が感じるストレス原因の第一位は「仕事の量と質」だってこと。意外にも、人間関係とかお給料じゃないのだ。まさにわたしじゃん。

ちなみに、この一件で、
「負をチカラに変えているところがサステナブル」「あなたの学ぶ意欲は才能」と、友人に思いがけずお褒めの言葉を頂いた。
大して難しい勉強ではないが(合格率7割弱)、自分の負の思考回路を変えたいと思って受験に至ったので、そんなプロセスを褒めてもらえたことが嬉しく、ありがとうと胸を張って受け取ることにした。合格率とか比べることないのだ。何にせよめでたいんだから。


その後、まつりのMV公開、セカンドアルバムのリリースがあり、
藤井風のオールナイトニッポンをラジオ視聴したりして、
なんとか繁忙期を乗り越えた、

4月の最初の週末。

風くんを追いかけるべく、満を持してまつりのロケ地へと向かった🚗
(前置きが超長くなりましたが、ここまでの思いを抱えて向かった、というところが重要ポイント🙏)

道中は、radikoで風くんのオールナイトニッポンをタイムフリー再生していたので、耳が幸せだった。
ラジオを通じて聴く風くんの声もまた素敵。

風くんの声に吸い込まれていたら、うっかりトイレ休憩を忘れるなどのアクシデントはありつつも、


朝9時!辿り着いたのは

楽山園!!!

朝一入園のため、ほぼ誰もいない。


この門を通り抜けると…


立派なお庭…!
風くんがいた世界…!

aahTが発表された直後だったので、池の前で拝み、当選するように願掛けをした(実らなかったけど…)。


この日のわたしは風くんを意識して、
ホワイト系セットアップ(UNIQLO)+HEATのロンTをインナーに着て行った。

けれども、風民と遭遇することはなかった。
池の前でまつりを踊っているのはわたしくらいなもので、
純粋に楽山園を楽しむために訪れている方々からしたら、
このひとどうしたの?って思ったに違いない。

でもわたしは風くんの世界にお邪魔できて、とってもとっても嬉しかったので、何も気にしない。愛しか感じたくもないから。


ひたすらにまつりMVを再生し、至るところに風くんの痕跡を探す図。



ここで色気爆発の流し目をしながらお馬さんに乗っていらっしゃった…🐴
画角が違うけど、ここなの!


ここで!
このポーズ!!!🏮




この柱に
風くんの背中が!!!
わたしは今風くんと背中合わせ…!!!



風くんが今ここにいるわけじゃないけど、
風くんがここに来て、わたしも今同じ場所にいるという事実だけで満たされるのである。

推し活ってこんなにも楽しいんだ。
びっくりするほど楽しいんだけど。
何なのこれ。
わたしが知らなかった、生まれて初めての気持ち。

ランチを挟み、興奮冷めやらぬまま、
臨江閣へ向かう。

このあたりでちょっと雨が降ってきていたが、、、
ここは屋内だから大丈夫!


ここに提灯ぶら下げたのね
毎日愛しき何かのまつり


風くんたちが訪れていた日にも受付をしていた方に受付してもらい、
やった!風くんとお揃い!と思う。
確かにここに彼は来たのだ!!!

わたしも早く行きたい!
彼のいた場所へ!!!

彼が伸びをしたり筆遊びをした大広間は二階!!!!!

当然!
同じ畳の上で、
何にせよめでたいポーズ!
したい!!!



…と勇んで向かったら…



和装してるカップルのウェディングフォトスポットになってる😭
しかも複数組いる😭

そうか…ここは本来そういう使われ方をしているのか…なんたって入場無料だし…

なんにせよめでたいよ、
めでたいけど、

なかなか終わらないんだよね、
ウェディングフォトの撮影って…
そりゃ人生でそう何回もあるわけではないイベントの記念すべきベストショット狙ってるんだもんね…

でも、わたしも風くんショットに人生賭けて、ここまでやってきたわけですよ。

気合いの入れ方はそんな変わらないはずだよ。

お願い。
どうかわたしの幸せのためにも使わせてください🙏

と心の中で祈り、

しょうがないので、先に風くんが黄昏ていた廊下を見学することに。

ここは同じポーズ禁止!
本当は雑巾掛けしたかった


窓際は、風くんと同じ場所同じポーズで写真を撮ることはできません🙅🏻‍♀️
建物の保存性や安全性の関係上禁じられているからです。
わたしたちのような風民の態度により、風くんに迷惑をかけるなんてことは絶対にあってはならない。
わたしは、風くんが座った窓の横に立つにとどめた。至極当然である。

廊下でも風くんショット撮りたかったけど、ここでもウェディングフォト撮影をしていたり、カップルの親戚の方々が控えていたり、という状況で、とても雑巾掛けできる雰囲気ではなかった。

その後、ひたすらに切れ目を待ち続け、大広間で不完全燃焼ショット(再現度低め)を取り急ぎ撮って、

涅槃ですか?
再現度の低い寝そべり…悔やまれる…



(襖ダンスはできませんでした🥹)

入り口でちょっとだけまつりを踊って、
(三色団子持ってくればよかった🍡)


退散。

帰り道にシャトレーゼで買った三色団子をお家で食しました🍡


ここでも風民には遭遇しなかった。
北関東に風民は生息していないのかしら!?!?

臨江閣については、正直堪能しきれなかったので、平日に雑巾や三色団子や書道セットを持って出直そうかな、と思っている。



はじめての推し活。
風くんで満たされる1日となり、とても有意義だった。
風まみれってなんて幸せなんでしょう。
学びは続く。

なんかいろいろ浄化して成仏したのは確か。

まつりは、間違いなくわたしを救済してくれた一曲。

風くんの紡ぐ言葉は、
ぜんぶ綺麗事なんだけど、
風くんの音楽を通して聴くと、
圧倒的説得力が生まれ、
不思議とすーっと入ってきてしまう。

なんだろう?
風くん以外にも大事なこと教えてくれる人たちはもちろんいるんだけど、
風くんの歌には、それらをしっかりと浸透および吸収させてくれる力があるんだ思う。

本当の意味で自分の一部になっていく感じ。

道徳の授業を受けているみたいな気分に陥ることさえある。

彼の信じるHELP EVER HURT NEVERでLOVE ALL SERVE ALLな世界を、わたしも実現してみようと素直に思えてしまう。



わたしが辛そうにしてるより笑ってたほうが、周りだってハッピーなはずだし、
綺麗事かもしれないけど、そういう想いの連鎖で優しい世界は作られていくんじゃないかなって思う。

わたしの周りには、わたしの不幸せを喜ぶような輩はきっといない(といいな…)。どちらかといえば、幸せを願ってくれているはず。

少なくとも、この日一緒に推し活をした母は、はちきれんばかりの笑顔で風くんを追いかけるわたしの姿を見て嬉しそうだった。
わたしの笑顔を喜んでくれる存在がいる。
あれもこれもが有り難し。

わたしが潰れちゃうほど仕事をすることを望むひとも絶対にいない。

だって、わたしの職場は風くんの作った「優しさ」がこんなにしっくりとくるんだから。

わたしが閉じた心をこじ開ければ、ちゃんと助けてくれる人は絶対にいる。

風くんがきれいな御手手をひらひらさせながら教えてくれたもん。
なかなか気づけんよね。
何もかも既に持ってるのにね。って。


周りをハッピーにするためには、
まずはわたしがハッピーになるように、自分で自分を愛してあげなくちゃいけない。

つまり、わたしが推し活を続けることは、わたしの周りの方々をハッピーにする一つの手段。

ゆえに、当然わたしの推し活はこれからも続く。学びも続く。

風くん、
素晴らしい曲をこの世に生み出してくれてありがとう。
何度も何度もわたしの社会人人生を救ってくれてありがとう。
風くんの話を聞いてくれる心優しい人全員にわたしはとてもとても助けられなが生きています。
今日もわたしが心健やかに生きていられるのは、間違いなく風くんのおかげです🙏
愛しき何かのまつりになる毎日をわたしに授けてくれて、ほんとうにありがとう。


風くんと会えない日々に、自分を愛しながら一生懸命お仕事したり、徳を積むことで、
風くんと会える日には、堂々と胸を張っていられる自分でありたいと、本気で願うのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?