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『まちカドまぞく』リコくんが飄々とした不器用さで親近感を抱かせてくる

アニメから入った『まちカドまぞく』の原作マンガを最新6巻まで読み終えた。作品全体の構成としてはやはりシャミ子が好きなのだが、私が個人的な親愛のような情を感じるのはリコだ。彼女には独特な孤独の匂いがするのだ。

リコは狐狸精という化け狐で、あすらという喫茶店で調理を担当している。状況に対しての心のブレなさがあって、自分を守ったり長所を発揮できたりするだけの能力があって、柔和な表情。それに加えてアグレッシブさとか空気の読めなさとか図々しさがある。この性格面のスパイスが、日常シーンにおけるボケになったり、本人以外が対象のシリアスのさなかに清涼剤として機能したりする。

リコ(アニメ公式サイトより

リコは料理が得意だ。おそらくは国をまたいで各地を転々とし、様々な料理を習得した。だがそれは結果としてであって、彼女が望むような形ではなかった。彼女は、本当はどこでも調理場で雇ってもらえさえすれば、そこにずっと居たかった。兄弟を飢餓で亡くし、どこにも行くあてなど無かったからだ。しかし、彼女は働かせてもらっているうちに「よ~分からんけど追われるように辞める羽目になる」ので、一箇所に留まることができなかった。彼女の多彩な料理の引き出しは、不本意に続く旅の過程で得たものなのだ。

リコがあちこちの店を放浪せざるを得なかったのはなぜか。ひとつには、彼女がまぞくであり、魔法少女の討伐ポイント稼ぎの対象だからというのがある。もし好戦的な魔法少女に出会ったら、店への迷惑を考えると辞めて逃げる以外に選択肢がない。

だがもっと直接的には、リコの作る料理が理由だった。彼女は、美味しく食べてほしい気持ちなどといった魔力を込めることで料理に様々な効果を付与することができる。込める気持ちの加減がうまく行かなかった頃は、その魔力で麻薬のような中毒になったお客が大挙し街を混乱させることがあったという。繁盛するくらいなら店にとって有難いが、人々の行動がおかしく見えるほどの影響は問題である。

リコは何か悪意があって料理に変なものを混ぜているわけではなかった。空気が読めないのだって、悪気はない。悪意や悪気がないから良いのかと言えばそうでもないが。とはいえ彼女は美味しく食べてほしかっただけだし、調理場の人たちと仲良くしたかっただけだ。しかし、それらが噛み合わない時や場所というものはある。だから出て行くしかない。 

彼女には、居場所がなかった。

白澤店長のもとで、10年も同じ店で雇ってもらえているのは、たぶんリコにとってはとても長いことなのだろう。店長は彼女がヤバい言動をしたときにきっちり厳しいツッコミを入れる。が、同時に彼女のことを受け入れてもいる。だから、店長はリコにとって大事な人になっている。居場所になっている。そしてそれゆえに、店長の店に魔法少女が来たときには追い返そうと対決姿勢になるし、「ウチ逃げるって言葉嫌いやわ」(3巻p.86)と店長に言う。今までだったら諦めて逃げている場面で彼女は逃げない。

ちなみに店長は店長で、喫茶店を開いている理由を「腰掛ける所のない誰かの居場所を作りたい」(5巻p.79)からと述べている。それは来てくれるお客さんに対してだけでなく、従業員のリコのことも同じように思っているのだろう。だから、うっかりお店ごと料理して燃やしてしまうなどやらかしの規模がひどいリコをずっと置いてくれている。

2人をつなぐ関係性のキーワードは、居場所だ。

4巻の口絵では、リコのプロフィール欄に好みのタイプは「都合のいい人~」と書かれている。そして人物相関図では、リコから店長へ向けて「都合がええわ~」と書かれている。つまり、リコは店長が自分にとって都合がいいので好きだということになる。これは一見すると、極めてドライな価値観の表明に見える。けれど、彼女の言葉に「孤独」という補助線を引いてみると、別の味わいが出てくるように感じられる。

彼女は各地を一人で転々とし、いくつもの調理場を辞めてきた。その度に人間関係はリセットされてしまい、彼女は居場所に飢えていた。だから、いま居場所を与えてくれている存在に対しても、いつか立ち去らなければならない日が来るかもしれないと思うと、心を預けきることができない。結局私は自分に都合のいい人を好きになっている、そういう側面もあるよね、という考えが、柔らかい心の奥にまとった無意識の鎧のようになっている。

だから、「自分にとって都合が良いので店長が好き」というのは、自分の利己的な面を見れば真な命題を言っているし、状況を取っ払ったときの純粋な気持ちから見れば無意識の抑制とも取れる。

リコには、誰かを心から信じたり誰かに心を委ねたりすることへのためらいがある。どこへ行っても、いずれここも自分の居場所でなくなると思っている。彼女が自由奔放に振る舞うのは、たぶんこういう根本的な孤独感に根ざしている。

結局何したっていずれここも居場所じゃなくなるのだから、初めから自分のしたいようにすればいい。そして、一度拒絶されたら「やっぱりね」とあっさりその場を去る。事情関係なく現在自分に敵対している人は容赦なく切り捨てるのも、仲良しの距離感がバグって人を煽っているように見えるのも、リコの「一人で生きる理論」から導かれた態度だ。

長年の放浪で身につけた理論だが、しかし今回の喫茶店は事情が違った。白澤店長はリコを驚くほど長いこと受け入れいれ続けてくれているのだ。だから、リコは一人で生きる理論を行動方針にしつつも、実際には白澤店長に精神的に依存している。そして、店長に心を預けてダメだったときに自分の心を保てるほどの心の強さは持っていない。だから、依存先である店長当人への確認無しに店長と恋人関係にあると勝手に思っていたのだ。

私はリコのこういういじらしさに共感してしまうのだな、と思う。

検索エンジンに「まちカドまぞく リコ」と入れると、サジェストに「かわいい」と「嫌い」が出てくる。リコには、人を煽ったり図々しい態度を取ったり要らないお節介を焼いたりといった行動を天然でするという目立った欠点がある。リコが好き嫌いの分かれるキャラクターなのは、この尖った一面をフレーバーとして受け入れられるかが読者の間で二極化するからだろう。

しかし私は、リコの孤独感に端を発する人間関係に対する不器用さに自分と似たところを見出してしまう。だからリコのことはどうにも嫌いになれそうにない。とは言えこうして考察を重ねたことで、大好き、と自信を持って言える風でもないことに気付いた。リコに対する私のこの感情を表すのに最も近い言葉はおそらく、親近感なのだ。


とか言って、素直に好きと言えずに「都合がええわー」とか「同類への親近感に過ぎない」なんて言って自分の感情を誤魔化すのだから、私たちは一体どれだけ似た者同士なんだろうか。


リコくん、好きだよ。


(サムネイルは『まちカドまぞく』3巻p.81より。)

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