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【時に刻まれる愛:1-3】失踪の経緯


不揃いな名前

食卓に向かう途中で、ボクは爺やに聞いた。

「ねぇ、爺や。
 ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」

爺やは、歩きながら優しく答えた。

『なんでしょうかな。坊っちゃま。』

ボクは、今日感じた疑問を素直にぶつけた。

「お父さんは、どうしていなくなっちゃったの?
 爺やは何か知っているの?
 あまり聞いたことがないから。」

ボクが話し終える頃には、ちょうど食卓に着いた。

爺やは、ボクをテーブルに付かせると、静かに口を開いた。

『食事を召し上がってください。
 私が、その間にお話をお聞かせいたします。

 お父上のお名前は、
 唐子孝俊(からこ たかとし)。

 いくつもの会社を経営する、
 優秀な実業家でした。

 すでにお話ししたように、
 お祖父様はお医者様をしていて、
 お父上も裕福な環境で育たれました。

 実は、お父上の経営する会社の一つにも
 医療関係の会社がございました。

 その会社では、
 薬の開発を行っておりました。

 今から数年前、
 その会社で素晴らしい開発に
 成功されたと聞きました。

 その薬が人々に行き渡れば、
 私たちの生き方そのものが
 大きく変わるほどの薬だったそうです。

 お父上の会社では、
 薬の開発は行っておりましたが、
 流通のノウハウは持っておらず、

 とある会社に、
 流通の権利を売ったそうです。

 その権利の売却益は莫大で、
 拓実坊っちゃまが、
 こうして安心して生きていけるのも、
 その恩恵にあるというわけです。

 ただ、、、

 お父上から、
 薬の流通の権利を獲得したその会社は、

 実際には、その薬を
 世の中に広めることはせず、
 
 逆に、薬の存在そのものを
 揉み消したのです。

 お父上に、
 大きく危険な力が迫っていることは
 明白でした。

 お父上は、私に、
 妻と子を連れて隠れ家に移り住むようにと
 命ぜられました。 

 私は、お父上のお言葉の通りに、
 こちらの隠れ家に、
 坊っちゃまとお母様をお連れする準備に
 取り掛かりました。

 あれは、、、

 実際に、こちらの家へ
 坊っちゃまたちがお引っ越しされる
 1週間ほど前のことでした。

 夜中に、お父上の書斎で
 物音がしたので見に行くと、
 お父上は窓を開けて、
 外を眺めておられました。

 何か、声をかけようと思ったのですが、
 考えごとをしているのでしたら
 お邪魔になると思い、
 私はそっと扉を閉めたのです。

 それが、お父上の姿を見た、
 最期となってしまいました。』

この話を聞いていたボクは、食事などまったく進まなかった。

はじめて聞く、父の失踪の経緯。

そして、幼い記憶のために忘れていたのだが、父の本当の名前・・・。

唐子孝俊。

希望の会社

唐子孝俊?

ボクの名前は、伊月野拓実(いつきの たくみ)じゃないか。

そうか。
危険からボクらを遠ざけるために、名前を変えさせたのか。

ボクは、すぐにそう気づいた。

その夜は、爺やがずっと、父の話をしてくれた。

父が経営する薬剤開発会社は、世間からは「希望の会社」と言われていたそうだ。

完成した薬の名前は「hope」。希望の薬。

これがあれば、自己治癒力が格段に上がり、どんな病気を抱えていても、細胞レベルで完治に向かうことができるという、人類の悲願とも言える薬だった。

この薬が世界中に届き、人々から死の悲しみを消し去るはずだった。

でも、実際には、そうはならなかった。

父の夢

父の記憶の中でも、特に印象に残っている、あの記憶がボクの中でループする。

「お父さんも、いつかは死んじゃうの?
 みんな、いつかは死んじゃうの?
 でも、死んでほしくない。」

『拓実。世の中には、変えられないものがあると思うかい?』

『世界を変えろ。拓実。』

『世界を変えろ・・・。』

「お父さん、待って。」

あのとき父は、その薬の開発を終えていたのだろうか。

爺やの話の感じだと、少なくとも開発の目処は立っていた頃だったと思う。

あのとき、父は何を伝えたかったんだろう。

死に関するボクの小さな疑問が、偶然にも父の人生を大きく変えた開発のテーマと一致していたんだ。

でも、嬉しいというよりも、少し後悔する気持ちだ。

父はあのとき、もっと伝えたいことがあったんじゃないかな。

ボクはどうして、あのとき、父の後を追いかけなかったのだろう。

『世界を変えろ。拓実。』

その時の父の言葉には重みがあって、思わず立ちすくんでしまったんだ。

普段は、優しく包み込むような父の声が、あの時はすごく重たい言い方に聞こえたのを覚えている。

きっと、お父さんの夢も・・・。だからあの時、ボクに・・・。

そんなことを考えながら、闇のように静かな時間が流れていた。

爺やも、何か考えているようだった。

ボクらだけを置き去りにして、掛け時計の音だけが、カチカチと正確に音を刻んでいた。

de・hat社

父から薬の流通権利を買い取り、その存在を揉み消した会社の名前を、爺やは覚えていた。

de・hat社(ドゥ・ハット社)

・・・de・hat社。
父を裏切っただけじゃない。
人類の希望さえも裏切った会社。

確かに、この問題は難しい。

以前に、爺やが渡してくれた本に書いてあった。

地球上の人口が増えすぎると、資源の枯渇などの難しい問題とも戦うことになる。

でも、、、

それは、わかるけど、、、

だからって、、、

父を、、、。ボクのお父さんを、、、。

ボクの中で、生まれてはじめて、感じたことのない感覚が込み上げてくる。

父ゆずりの頭脳を持っていて、年甲斐にも無い知識をたくさん持っているボクにも、この感覚ははじめてだった。

抑えきれないほどの憎悪が、ボクの中で込み上げてくる。

テーブルの下で、拳をギシギシと握る。

その時だった。

『坊っちゃま。

 お父上は、最期まで、
 坊っちゃまが幸せになることを
 望んでおられましたぞ。』

爺やは、そう言うと、グラスに水を注いでくれた。

「あ、ありがとう、爺や・・・。」

透き通るようなその水を、静かに飲んだ。

不思議だ。

爺やの穏やかな顔を見て、その水を飲み終わる頃には、さっきまでの感覚はすっかり落ち着いていた。

『坊っちゃま。
 今日はもう、お休みなさいな。
 お疲れでしょう?』

爺やは、いつも優しい。

「そうだね。おやすみ、爺や。」

そう言い残して、食卓を後にしようと思ったところで、爺やが話しかけてくる。

『坊っちゃま。

 お父上は、お優しい方でした。
 きっと見守っておられるでしょう。』

「うん、ありがとう、爺や。」

そう言って、少し振り向くと、爺やの目には光るものがあった。

爺やも、きっと父のことを大切に思っていたんだ。
ボクは理解した。

消された天才

自分の部屋に戻ったあとも、ボクの中では答えが出ない。

いくつかの疑問が、延々とボクを渦の中に巻き込んでいる。

父の研究は、決して悪いものではないはずだ。

ボク自身が「お父さんも死んじゃうの?」と疑問に思ったことがあるように、誰だって、できれば死を避けたい。

たしかに、その先には社会的な課題もあるのだろう。

でも、だからと言って、父を消し去って良いことになるのだろうか。

父は、消されるべき存在だったのだろうか。

それに、、、

爺やの、あの言葉。

『お父上は、お優しい方でした。
 きっと見守っておられるでしょう。』

見守っておられるでしょうって・・・。

ボクは父が「姿を消した」とは聞いていたが、「死んだ」とは聞いていない。

その可能性を感じつつも、どこかでは生きていると信じたい自分がいた。

でも、あの言い方から察するに、やっぱり父は、もうすでに・・・。

考えているうちに、ボクは夢の中に堕ちた。

『拓実・・・拓実・・・。
 ほら、見つけたぞ。』

後ろから父の声が聞こえる。

「お父さん!」

でも、振り返ると、そこには父はいない。

同じ悪夢の中で、まだボクの時は止まったままだった。


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