腑咯

吐出口

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吐出口

最近の記事

錯視心覚集

言いたいことばかり書き連ねても、幾ら書き続けても言い足りないから一向に遺書を書く手が進まない。もう面倒なので今まで書いてきたもの全部纏めて置いて勝手にしてもらおうかな、どう解釈されてもどう曲解されてもいいや。飲み込んでくれる人が居たら本望だ。 幾ら言おうと綴ろうと、言葉だけでは足りない。何もかもが言い足りない。単に相応しい言葉を見付けられていないだけの可能性はあるけれど、今のところ回りくどい言い回しで周辺から見ていることしかできない。立ち入ることができないし、できても全部を

    • 委ねた解釈

      4/4で丁度いいので過去絵たち掲載しておきます、タイトルは人につけてもらったりルーレットで決めたりで結構雑です。 #404美術館

      • 其の場凌ぎの時間潰し

        義務ではないんだけれども、今月投稿したら○ヶ月連続!って出てくるから、じゃあ何か書こうかなって気になる。これで4ヶ月らしい 自分は大学生なんでちょうど春休みだったんですよ。帰省して地元の友だちと遊んできたり、下宿先に戻るついでに寄り道旅みたいなことをして、結構充実していたほうなんじゃないかなと思う。 最近の出来事 地元の友だちと旅行していたとき、まあ酒飲んだし移動で疲れてたのもあったし夜も寝るの遅かったしで、翌朝痙攣で緊急搬送されてしまいまして。自分が自殺未遂以外で運ば

        • 人間擬態

          求められる役割をこなして、少なくとも忌み嫌われる私の核心を隠して過ごさなければならない、人間社会はそういう場所ばかりなのだと現実を突きつけられる。 そうではない場所もあることは知っている。擬態なんてしなくとも(無意識的にしている可能性はある)、そのまま友人で居てくれる人も、そもそも似ている人たちの集まりもある。本音を言ってしまえばそういう所だけで生きていたい、でもやっぱりそういうわけにはいかない。 偶に、幾らか昔の大学生を羨ましく思う。夜通し酒でも呑みながら哲学談義をして

        錯視心覚集

          最終目的の基底

          書かなきゃ、早く、遺書を書き上げなければ。 という衝動だけはあるものの、そもそも何を書けばいいのかよくわからないし、書かずに死んでも良いのではないか、という気持ちもある。 なんだか別に遺書なんて書かなくったって気にせず死ねば良い気がしてきた。書かずに死んだらそうだな、Theモラハラを体現したみたいな父親が無駄に母親を責める気がする。(どちらがと言われれば圧倒的にお前が悪いぞ𝑴𝒚 𝑭𝒂𝒕𝒉𝒆𝒓(^^)) あとはそうだな、正直想像が付かないな。 元々何故遺書を遺さなければと

          最終目的の基底

          抱負

          新年明けましておめでとうございます。 そして、被災した方々の無事と安全を祈ります。 本当はTwitterで短文で書こうと思いましたが、なんだか長くなりそうだったのでこちらに記録しておきます。そして過去の文章同様、死にたいという感情について触れるので、 目標というものが基本的に苦手で、公表したからには達成しなければならないという強迫観念から、毎年抱負は雑に「生きる」と言っていたり、「挑戦を多くしてみる」といったような曖昧なものにしております。今回もまあそんなところですが、せ

          漠然とした「死にたい」の分解

          前提 死にたい理由は様々あるだろう。仕事?学校?金?容姿?病気?人間関係?家庭環境?将来の不安?将又気温?季節性?ホルモンバランス?睡眠不足?栄養不足?はっきりとそう言えるものや多分これだろうというものまで、何かしらはあるだろう。 しかし今回はこれらの具体的事象については触れない。原因から解決するのは、各々検索なり相談なり何なりして実行していけば良い。情報は有りふれている、全然解決しないと言って諦めてしまうこともあるだろうが、私からは何も言えない、関与できない。 私がこ

          漠然とした「死にたい」の分解

          文肉

          文章というのはどうも言いたい骨に各々のやり方で、例えば比喩であったり例であったり同じことを言い換えてみたり反語を使ってみたりと肉をつけて伝わりやすく、心に響くようにしていくもののように思える。この骨と肉の例えもそれだ。 要約は骨だけにする作業なのかもなと思う。ただ自分では骨だけにしたつもりでも、骨を一部欠損させてしまったり、肉を残しすぎてしまうこともある。この辺りは訓練なんだろうけれど、昔は要約なんてしなくてもそれ自体で完成された文章なのになんて思っていたから、最近になって

          言葉で吐くということ

          こうしてネットの海に放流すると決めた文章は、どうしても他者の目を意識してしまう。そうではない誰にも見せないつもりの、手書きのノートでさえもそう。これは多分だけれども、未来の自分という他者を気にするからなのかもしれない。いや、わからないけれど。 書きたいことは山ほどあるから何から書こうか迷うけれど、最初の方だし「書くこと」そのものに言及したいと思う。 まず始めに断っておくと、〜と思う、気がする、といった断定しない書き方が多いのは、自分が言うことに確信が持てないから。どこまで

          言葉で吐くということ

          はじめまして?始めました、長文。

          こういうのは酔った勢いで始めるしかないんですよ、あるいは深夜テンション。二十歳になって酒を覚えてからは酒でこんな気分を意図的に作り出せるようになった。良いのか悪いのかは知らない。すぐ寝ちゃうけど。 承認欲求というよりかは自己顕示欲のほうが強い、承認欲求が無いといえば嘘になるかもしれないが。反応はあると嬉しいけれど、いいねとかよりはリプでの反論だとか自分はこう思っただとか、見た人の思考や感情がわかるものだと嬉しい。自分が人間の思考や感情に対して興味があるから。 他人…という

          はじめまして?始めました、長文。