閉じこめられて

注意:この小説には残酷な表現や流血表現があります。苦手な方はご注意下さい。

目が覚めて、最初に目に飛び込んできたのは見慣れない茶色の天井だった。上体を起こして辺りを見渡す。床に寝ていたらしく視界が低い。正面にはタンスと勉強机らしきものがあり、左手側には扉がある。右手側には窓があり、背後にはベッドが置かれていた。そして隣には後輩の千景くんが横たわっている。身動き一つしないから生きているのか心配になり、恐る恐る口元に手をかざすと規則正しい呼吸が手の平にあたった。生きていることに安堵しつつもう一度部屋を見渡した。
殺風景。そんな言葉が脳内をよぎるくらいには物が少なかった。
此処は何処だという疑問が浮かんできたが、すぐに考えるのをやめた。考えたところで解るはずもないのだから考えるだけ無駄なのだ。
まずは窓から調べようと立ち上がり、窓に歩み寄る。ガラス越しには住宅街が見えた。人の気配はなく、人や鳥の声、車の音も聞こえない。不気味なまでに静まり返っていた。鍵らしいものはないのに窓は押しても引いても開かなかった。
次は勉強机だ。机の上の本棚のようなものには教科書や参考書、辞書が整然と並べられている。天板にはノートが開かれたままになり、脇には鉛筆が転がっていた。勉強の途中だったのかと思いきや、整った字で書かれていたのは日記だった。日付の横にはその日あったことが書き連ねられていた。人の日記を許可なく読み進めるのは気が引けて引き出しに手をかけた。
「夕映さん?」
背後から声が聞こえた。肩越しに振り返ると怪訝そうな表情で私を見ている千景くんがいた。
「おはよう」
「おはようございます……じゃなくて此処は何処なんですか?」
「解んない」
最もな疑問に正直に答える。千景くんは「えぇ」なんて困惑したような声を漏らした。
そうは言われても私だって解らないのだから仕方ない。心の中で言い訳めいたことを呟いていると立ち上がった千景くんが近付いてきた。
「何してるんですか?」
「探索」
「探索?」
「何か手がかりないかなって」
言いながら引き出しを順番に開けていく。どの引き出しにも可愛らしい雑貨が詰め込まれているだけで手がかりになりそうなものはない。
「ないなぁ」
「やってることは空き巣じゃないですか」
千景くんのそれらしい突っ込みは聞かなかったことにして次はタンスに手をかける。しかし押しても引いても開かない。ガタガタと音はしているから中で何かが引っかかっているのかもしれないが、私にはどうしようも出来なかった。
残りはベッドだが、丁寧に畳まれた掛け布団と毛布と枕ががあるだけで何かありそうな感じには見えない。
一通り見たが手がかりになりそうなものはない。
となると次にやることは決まっている。私は落ち着かない様子であちこちに視線を向ける千景くんの横をすり抜けてドアノブを握った。
「ちょっと待って下さい。まさか出るつもりですか?」
「だって他にやることないし」
まだ何か言っていたような気がするが聞こえなかったことにしてドアノブをまわす。鍵がかかっているかもしれないという懸念を裏切り、すんなりとドアノブはまわった。
扉の向こうにあったのは廊下。正面には似た作りの扉が二つあり、左には窓、右には階段があるだけのシンプルな構造だった。
確認のために窓と扉に手をかけてみたが開かなかった。予想通りの展開に一人で納得していると千景くんが背後から顔を覗かせた。
「静かですね」
「誰もいないのかな」
「ここまで静かだと不気味ですね」
家の中からも外からも物音一つしないのは不気味でしかない。まるで世界から断絶されたみたいだ、なんてどうでもいいことを考えながら階段を降りる。制止を諦めたのか、千景くんも後をついてきた。
階段を降りてすぐの所に玄関があった。大きさも色も形も異なる靴が四足、きっちりと並べられているのが見えて不安が膨れ上がっていく。
人がいるはずなのに物音一つしない、不気味なまでの静寂が家を支配しているのはどういうことなのか。最悪の可能性が脳裏をよぎり、有り得てほしくなくて振り払った。
左右のどちら側にも扉が二つずつあり、どれも濃い茶色で塗り固められていて中は見えない。それが余計に不安を煽っていた。
一つ一つ確認しようとまずは玄関に向かった。
「やっぱり開けるんですね」
千景くんには答えずに玄関のドアノブに手をかけてまわした。まわしたはずだったのだが、扉はびくともしなかった。押しても引いても開く気配はない。まわした手応えから鍵がかかっている訳ではなさそうだった。予想を裏切らない展開に一人で頷いて他の扉に取りかかった。
他の三つの扉も同様に開かず、残るは右手側の玄関脇の扉だけだ。
何となく開けるのは最後にした。深呼吸をしてドアノブに手をかけた瞬間、嫌な予感が身体中を駆けめぐった。ドアノブはあっさりとまわる。嫌な予感を振り払うような勢いよく扉を開けた。
中は閑散としたリビングだった。テレビとソファーと小物が置かれている棚、机の長い辺には椅子が二脚ずつ置かれている。奥にはキッチンがあるだけのシンプルな作りだった。
何処かで見たことのあるような日常の風景だが、嫌な予感は消えてくれない。
「何が引き金なんだ?」
「引き金?」
「ごめん。何でもない」
口に出ていたらしい。少し遅れてリビングに足を踏み入れた千景くんに問いかけられた。どうにか誤魔化し、テレビの横に置いてある棚に歩み寄る。棚の上には時計やスノードーム、不思議な形をした置物が並べられていた。その中にひっそりと置かれていた写真たてに目が留まった。水色の飾り気のない縁の写真たてにおさめられているのは家族写真だろうか。手にとって眺める。
男性と女性、小学生くらいの女の子が二人の計四人が観覧車を背景に笑顔で写っているものだった。
玄関の四足の靴は彼らのものとみてよさそうだ。ならば当の本人達は何処にいるのか、行ってしまったのか。浮かび上がってきた疑問を抱えたまま写真たてを置こうとした、その時だった。
『タスケテ』
声が聞こえた。私でも千景くんでもない幼い女の子らしき可愛らしい声。声の主を確認しようと何も考えずに振り返った。それがいけなかったのかもしれない。心の準備が一切出来ていない状態で見るには刺激が強すぎた。
壁や天井にまで夥しい量の血が飛び散っており、斑な模様を作っている。視線を下げると血塗れのソファーがあり、その上には女性が横たわっていた。但し首を切られた挙げ句に全身の至るところに刺し傷がある無惨な死体と成り果てた状態で。更に視線を下げると女性の側の床には血溜まりが出来ていた。
手に持ったままの写真たてに改めて目を向ける。写真は血塗れになっており、それぞれの顔の部分には塗りつぶすかのように濃く血がついていた。
「引き金はこれか」
凝視しても写真に変化はない。見ていても仕方ないと写真たてをあった場所に戻し、移動しようと踵を返して千景くんの異常に気付いた。
「大丈夫……ではなさそうだね」
ゆっくりとこちらを向いた千景くんは顔面蒼白だった。ソファーの上にある死体よりも顔色が悪くて、ただただ心配になる。
大丈夫そうではない人には何と声をかけたらいいのか思い付かず、無言で千景くんを見つめるはめになった。千景くんも私を見ているはずなのに目が合わない。まさか立ったまま気を失っているのかと目の前で手を振れば、ゆらりと双眸が揺れてようやく目があった。
安堵したのも束の間、千景くんが一歩分距離をつめて両腕を掴んでくる。そのまま身を乗り出して顔を近付けてきた。息がかかりそうな近さで見た千景くんの目は充血していた。
「何なんですか、一体全体何が起こってるんですか? 急に死体が現れるなんてそんなのおかしいじゃないですか」
「ちょっと落ち着いて」
「落ち着けるわけないですよ。死体ですよ、死体。しかも血塗れの惨殺死体が急に現れて落ちついてられると思いますか? というか何でそんなに夕映さんは落ち着いていられるんですか?」
息つく暇もなく捲し立てられ、千景くんが混乱状態にあるのを認識した。普通は千景くんみたいな反応を示すだろう。目を覚ましたらいきなり知らない場所に閉じ込められ、挙げ句の果てには惨殺死体が現れる。混乱しない方がおかしいのだ。
自分の異質さを突き付けられ、溜め息の一つでも吐きたくなったのをどうにか飲み込んだ。今は千景くんをどうにかするのが先だろう。
「説明してもいいけど、今の混乱状態にある中で理解出来るの? かなりの確率で信じられない話するけどいい?」
「もう既にこの状況が信じられませんよ」
沈痛な呟きだった。睨むように私を見据えていた目が細められ、床に向けられた。腕を掴んでいた手が離れて体の横に力なく垂れ下がった。
「どうすればいいんですか?」
「私と一緒に行動するか、ここに留まるか。好きな方を選んで」
どちらを選んでも千景くんにとっては地獄に違いない。ならば自分でどちらの地獄がいいのか選ばせようと思ったのだ。私に出来る最大限の配慮だった。
沈黙が落ちる。急かさずに千景くんの返事を待ったのはどれくらいだったか。実際は十秒にも満たなかったのだろうが、何十分にも感じられた。周りの音がないだけで普段は何とも思わない沈黙めすら長く感じられるらしい。どうでもいいことを考えていると、ゆっくり顔を上げたと千景くんと目があった。不安に揺れる瞳に申し訳なさが募っていったのは何故だろう。
「着いてきます」
「解った。部屋には入らなくていいから」
「いや。何も解らない方が怖いです」
「無理はしないでね」
それ以外にかける言葉が見付からなかった。千景くんが頷いたのを横目で確認し、私は死体の横をすり抜けた。
リビングを出て次に行く場所はすぐに決まった。廊下に点々と垂れる血は階段に向かっていたのだ。血を踏まないように階段を昇ると今度は血の跡が二つに分かれていた。最初にいた部屋へのとその向かいの、階段から遠い方の部屋へと伸びるものだった。
肩越しに振り返って千景くんに問いかける。
「どっちがいい?」
「俺に聞かないで下さい」
「一応聞いておこうかなって」
「意味あります?」
ない、とは答えずに最初にいた部屋の扉を開ける。リビング程ではないがこちらもあらゆるものが血塗れになっていた。そしてタンスの前には女の子が倒れていた。首を切られたのだろうか、そこを中心に血溜まりが広がっている。開かれたままの瞳は恐怖に歪んでいた。
傍らの先程は開かなかったタンスの扉が少し開いている。中は見えなかった。嫌な予感がしたがこのままにしておく方が気持ち悪い。開く前に千景くんを振り返った。
「目つぶっておきな」
千景くんはふるふると首を横に振った。真っ青な顔をするくらいなら見なければいいのだが、変なところが頑固で困る。
許可はとったからね、なんて言い訳を心の中でしつつタンスを開けた。
ハンガーにかけられた服がハンガーにかけられている。血を浴びて水玉模様に作り替えられている服の裾、奥の壁にもたれかかるようにして事切れている女の子が一人いた。タンスの前に倒れている女の子より一回り小さい女の子の傷は首に一つだけだった。
タンスは開けたまま、もう一つの血の跡が続いていた部屋へ向かおうとした。パサリと軽い物が落ちる音がして、反射的に振り返った。音がしたのは真横にある勉強机からだ。落ちた物の正体はすぐに解った。机の上で開きっぱなしになっていた日記帳が床に落ちていた。読んでくれと言わんばかりに開いたままだった。
手にとって開かれたページに視線を落とす。



7月20日
明日から夏休みがはじまる。すごく楽しみ。なにをして遊ぼうかな。

7月21日
日曜日に遊園地に行くことになった。はやく日曜日にならないかな。

7月25日
いよいよ明日は遊園地に行くんだ。ゆいがはしゃきすぎて、お母さんにおこられていた。
楽しみ。早く明日にならないかな。

7月26日
お父さんとお母さんとゆいとわたしで遊園地にきた。メリーゴーランドとコーヒーカップとジェットコースターに乗った。ジェットコースターはこわくてちょっぴり泣いちゃったけど楽しかった。また乗りたいな。
帰る前にかんらん車の前でみんなで写真をとった。お父さんもお母さんもゆいもみんな笑っていた。すごく楽しかった。またみんなで来たいな。

7月31日
お父さんとお母さんがこわい顔でけんかしていた。こわかった。

8月1日
今日もけんかしている。ゆいは泣いている。わたしもこわかったけど、お姉ちゃんだから泣かない。お父さんお母さん、はやく仲直りして。

8月4日
お父さんお母さん、仲良くして。

8月5日
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。
だれか助けて、お父さんとお母さんを仲良しにして。

8月6日
神さま、お願いします。お父さんとお母さんを仲良しにしてください。ゆいはまい日泣いています。前みたいな仲良しな家族にしてください。お願いします。一生のお願いです。お願いします。かなえてください。お願いします。



日記はそこで終わっていた。めくった次のページからは白紙が続いている。
何故日記がここで終わっているのか。浮かんできた疑問は口に出さなかった。今まで見てきた光景とこの日記とを照らし合わせたら、予想がついてしまったのだ。
私は日記を閉じ、机の上に置いた。倒れている女の子を横目で見、勉強机から離れる。
「行くんですか?」
部屋から出て行こうとする私の背中に千景くんの声がかかった。
「行くよ」
「解りました」
予想を確信に変えるために血の跡が続いていたもう一つの部屋に向かう。最初は開かなかったが今はう開いていると自信を持って言えたし、実際にドアノブは簡単にまわった。扉を押す前に一度長く息を吐き出す。ドアノブを握る手が震えたが誤魔化すように勢いよく扉を開けた。
開けたはずだったのだが、扉は少し開いたきりで止まってしまった。何回か開けようと試みたが、その度に重そうなものにぶつかる鈍い音が響くだけで扉は開かない。
音を聞く度にリビングのドアノブに手をかけた時と同じ嫌な予感が大きくなっていく。ドアノブから手を離して恐る恐る少し開いた扉の隙間から中を窺う。覗いた正面には目立った異常はない。しかし、視界の下方にちらつく黒い影が存在を主張し続けている。ゆっくりと目線だけ下に向け、喉元まで出かかった悲鳴をどうにか飲み込んだ。
黒い影の正体は人間だった。俯き加減になった顔の付け根、首の辺りには太い紐が巻かれていた。ネクタイだろうか、太い紐はドアノブに伸びいきほどけないようにしっかりと結び付けられている。視角情報が脳に到達してから状況を理解するのに数秒、扉から離れるまでに更に数秒の時間を必要とした。
「やっぱりね」
「夕映さん?」
「何が彼をこうさせてしまったんだろうね」
「だから、何が」
『タスケテ』
千景くんの問いかけを遮るようにして声が聞こえた。それはリビングで写真たてを手にとった時に聞こえたのと同じ幼い女の子の声だった。一回目よりとは違い、声はすぐ近くで聞こえた。もしやと振り返ると最初にいた部屋の前に女の子が立っていた。血塗れなのに半透明というチグハグな出で立ちの女の子は無言でこちらを見つめているだけだった。
「どうしてほしいの?」
このまま黙っていても埒が明かない。痺れを切らして女の子に問いかける。
『タスケテ』
この言葉を聞くのも三回目だ。たった四文字だけでは何も解らない。無意識に吐いた溜め息に女の子が小さく身動ぎする。初めて人間らしい動きを見たな、なんて思いながら私は口を開いた。
「それじゃ解らないよ。どうしてほしいのか、ちゃんと言って」
『仲良しな家族にもどして』
女の子から言葉が返ってくるのは案外早かった。
『お父さんとお母さんとゆいとわたしと、みんなで仲良く笑っていられる仲良しな家族にもどして。もうけんかはイヤだ』
「無理だよ」
体の横で両手を握りしめて目の縁に涙を浮かべて、必死に懇願する女の子の切実な叫びを私はざっくりと切り捨てた。薄く開かれた唇から声が漏れ、女の子の目が見開かれる。その拍子に涙が頬を伝う。
罪悪感や心苦しさがないと言ったら嘘になるが、表に出ないように顔を引き締める。
「死んだ人間を生き返らせるのも、過去に戻るのも、起きてしまった事件をなかったことにするのも、全部全部無理なんだよ」
女の子にとっては辛い一言かもしれない。現に女の子は両目から大粒の涙を止めどなく流し、しゃくり上げながら泣いている。頬を流れる涙を拭いもせずに泣き続ける女の子に私は歩み寄り、手を伸ばす。半透明だからすり抜けてしまうと思ったが、手の平には温もりこそないものの女の子に触れた感覚があった。
「私には成仏の手助けしか出来ないんだ」
『じょうぶつ?』
「えーっと……此処からバイバイすることだよ」
『そしたらどうなるの?』
「さあ。死んだことないから解らない。でも此処にいるよりはましだと思うよ」
怖々と尋ねてきた女の子に優しい言葉はかけてあげられなかった。
成仏した人間がどうなるのかは知らない。彼の世があるのか、それとも魂ごと消滅してしまうのか。解らないが、こんな悲しい空間に何時までも留まって、助けを求め続けるよりはいいと思いたかった。
『そしたらまたお父さんとお母さんとゆいに会える?』
「会えるよ」
私が答えるより早く千景くんが返事をした。私の隣にやってきた千景くんはしゃがんで女の子に目線を合わせる。強く握りしめられていた女の子の手をとり、両手で包み込むようにして握った。先程までの顔色の悪さとひきつった表情はどこへやら。千景くんは穏やかな眼差しで女の子を見ている。
「大丈夫。ちゃんと会えるから。ね?」
私を見上げ、同意を求めてくる千景くんに無意識のうちに頷いていた。
何時の間にか泣き止んだ女の子はふにゃりと表情を崩す。年相応に見える無邪気な笑顔にもうこの子は大丈夫だと思えた。その証拠に半透明だった女の子の体の透明度が増していく。女の子の姿が薄くなっていくのに比例して、周囲を包む白い光の眩しさが強くなっていくのを感じた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう」
晴れやかな女の子の声が鼓膜を震わせたのを最後に意識は途切れた。

続き物を予定していたので、面白い終わり方をしています。
続くかどうかは未定です。

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