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参照元と広辞苑

あれ、この人なんだか言動が被るな…?
タイミングが見計らったかのようだな。
あれ?この人にこの話、したっけ?続きの話みたいだな。
その話を聞いたことがないのにまるで私は続きを喋ってるみたいだな。
などなど。

これに類した経験は誰しもあるんじゃないかなあと思います。

私は子供の頃から割とあって、「きっと参照元が同じなんだなあ」というふんわりとしながらも自分の中での確かな理解というスペースがあります。

そこから更に言語のチョイスがまるで一緒、という人も少ないですがたまーに居る。
それについて、私の理解では「出版社が同じで版の数字も同じ辞典を使っているんだろうなあ」としています。

そういうことが多い人というのは、「本当に自分だけのオリジナルって一体全体あるんだろうか」
と思う日があるかもしれません。
手を替え品を替え、世界の誰もが繰り返し果てなく同じことを述べて語り合う。
それぞれの立つ世界から私に向けて、あなたへ向けて。
耳を傾け合う。涙し肩を落とし、時に手を振り払い、手を取り合い。息を吐いて、認め合う。
それぞれの分野で、それぞれの手段で、同じものを目指し、それぞれの景色を目に映して。
持ち寄り、並べて、分かちあう。
世界は重なる。世界ははなれいく。
そのどちらもが幾重にも響き合う。揺らめきあう。
一瞬のスパーク。
一瞬のブラックアウト。
永遠の響きとハーモニー。
すきなときに手にでき、すきなときにはなすことができる。

だから何なのさってこともなく、何となく書き記しておこうと思いました。
私というのは取り留めのない話を唐突にする、というのも大きな持ち味のひとつ。
私が何を言うのもいいじゃないの、ね?
私が口を噤んだら私の世界は静かになり過ぎる。
静寂とは私にとって愛するもの。
静寂とはなんでしょうか。何と共にあるものでしょうかね。いつかあなたのそれを聴く日を楽しみに。
あなたにとっての愛するものはなんでしょうか。
曖昧さを面白く楽しく使う。
私にはそんなことも必要だからです。

湯たんぽを大小二つ使い。
小を仔犬に見立てて眠りにつく冬の現場の私からは以上です。

あなたは何を抱いて眠るでしょうか。



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