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十季

心には四季どころか十季(とき)くらいあって。
日々起こるよしなしごとや大きなもの、初めてのもの、繰り返し行くそのすべて。
喜怒哀楽で納まらない風景はみな十季なのだと思う。

私の十季、あなたの十季。私たちの十季。

時薬とは言うけれど、それが効かない人もいて。
そも時に薬とはあまり風流でないな、などとも思う。
斯様に風流ではないなと頭の片隅に思うくらいの難癖を懐中に。

そういうもので納まらない場合に、これは十季の景色なのだと思うならば。

なるほどこれは遠き日の眺めなのだとこれからの時間に身を置いて反対から迎え入れ。

一服嗜みつつそれを飾り、あなたと肩を並べて掛け軸や絵画のように鑑賞する。
静けさという茶と共に。墨痕から漂う力強さとその香り、掠れた筆の痕、濃淡の織りなす滲みを心身で私たちは嗜み。肩を寄せ無言で空間に厳かに身を浸す。
互いの今行われる呼吸をききながら。
ただ鑑賞する。
足が痺れるのを期待して。
やがて産まれたての子鹿のような足取りで立ち上がり、支え合い。
互いの爪先が繰り出す見たこともない角度の楽しげなダンスのステップになるのを目の当たりにして笑い出す。

どんな踊りなんだよ。まあ、こんな経験もよかったね。次は何をしようか。
息を弾ませて見つめあい、いまをみる。

そうなることを私とあなたが知っている。

そうして、そういう季節にはひとさまよりも多くの景色を拝領したのだと思うようにしている。


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