見出し画像

【久保田豊】国造りの相談役!土木スーパースター列伝 #04

こんにちは。土木広報センター土木リテラシー促進グループ長の鈴木三馨です。

土木リテラシー促進グループでは土木の世界をもっと広く多くの人に知ってもらおうと『土木偉人かるた』を制作し、その普及活動を行っています。

今回ご紹介するのは、"海外で活躍した土木偉人"の流れのまま、海外技術協力のパイオニア『久保田豊』です。

建設コンサルタントの先駆けとして、160の国で実績を持つ日本の企業である日本工営の創業者です。

45_絵札全体


日本工営の本社に行ってきました!

IMG_0400 - コピー

こちらは、FIDIC*大賞トロフィー。2013年にこれまで100年間で世界的かつ歴史的なエンジニアに授与されたトロフィーで、久保田は個人で授与された2人のうちの1人だったそうです。

そんな久保田のスーパースターたる所以をひも解いてみようと思います。

*FIDIC:International Federation of Consulting Engineers。コンサルティングエンジニアリングと建設のための国際標準組織


先見力がすごい!〜電気代が4割減、需要は220%増

久保田は将来を考え始めた高校時代に、明治30年代後半ですが、まだ黎明期だった水力発電に出会います。

長距離送電の先駆けとして、明治40年に建設された山梨県の桂川系駒橋に大規模水力発電所が、80km離れた東京に送電していますが、この発電所の建設以降、東京電灯の電気代はおよそ4割減と大幅値下げをされ、1年間に電力需要は約220%と激増したといわれています。

まさに「水力発電」が産業の近代化を可能にしたのです。

久保田は当時の新聞記事で、新しいエネルギーを作り出すこの「水力発電」に国の発展の源を感じ、故郷の熊本に近い白川、黒川の滝を開発して発電所をつくろうと「水力発電」を極める決心をします。

東京大学に進学し、鬼怒川の実地調査を行ってまとめ上げた卒業論文「発電の土木技術」は、当時最新鋭のダム形式であるコンクリートのマルチプルアーチダムの設計で、そのレベルの高さに教授たちの間で話題になったそうです。

おそらく、久保田にはこの「水力発電」で人々を劇的に豊かにしたいという強い願い、その実現には自分が何をすべきかが見えたのだと思います。


行動力がすごい!〜6ヶ月に及ぶ現調

水豊ダム

水豊ダム(日本工営HPより)

久保田は起業し独立すると当時植民地であった朝鮮に渡り、鴨緑江(おうりょくこう)の支流・赴戦江(ふせんこう)、長津江(ちょうしんこう)、虚川江(きょせんこう)に水力発電所を建設するという計画を練ります。

モットーは「現場は自分で歩く

山の道のない雑木、雑草の生い茂るところを、時に700mmもの大雨にも見舞われ、クマやオオカミが出るという恐怖心と戦いながら歩き回り、現場の測量・調査を約6か月間続けました。

そうして難工事の末に数々の水力発電所を手掛け、昭和19年には、当時世界最大規模と言われた水豊(すいほう)ダムを完成させます。

水豊ダムは当時、東洋一といれれる規模の重力コンクリートダムです。現在の北朝鮮の国章にも描かれていることからも水豊ダムが朝鮮の大いなる恵みであることが想像できます。


先進的なスキーム力がすごい!

朝鮮半島の水力発電開発を成功させる経験を積んだ久保田は、技術者として無双状態となります。なぜなら、世界ではまだ「水力発電」の開発による近代化が切望されていたからです。

その後多くの海外に展開するために、ある先駆的な仕組みを作ったことが実業家としての久保田のすごいところです。

その仕組みとは、のちの日本のODA(政府開発援助)につながる二国間の戦後賠償・経済協力協定で、ビルマのバルーチャン発電事業はその原点となりました。

画像5

1960年竣工時のバルーチャン第二発電所(日本工営株式会社提供)

プロジェクト全体の指揮・監督だけでなく、技術協力・経済援助の仕組みをつくったからこそ、ビルマのバルーチャン発電計画だけでなく、ベトナムのダニムダムラオスのナムグムダムなど海外のビックプロジェクトを次々と手掛けられたのです。さらには、PPP(官民連携のパートナーシップ)によりインドネシアのアサハン多目的総合開発事業を手掛けます。

時代に応じた海外援助のスキーム作りにおいても天才的だったと思うのです。


もし、久保田豊が現代の若者であったなら

画像5

1956年、ECAFE*から委嘱されたメコン河踏査行の船上で、久保田豊66歳
(日本工営株式会社提供)
*ECAFE (Economic Commission for Asia and the Far East の略) 国際連合アジ
ア極東経済委員会

久保田はその先見性から「水力発電」が国の発展に役立つと考え、持ち前の実行力、事業推進力により世界的かつ歴史的なエンジニアとなりました。

明治維新でもたらされた開国の勢いの中で、日本は海外の有能なエンジニアを雇い、土木スキルを磨いてきました。そして戦後、久保田は、日本の技術を海外に輸出する新しい扉を開いたわけです。

もし、久保田が現代の若者であったなら?

今回、久保田豊をまとめるにあたり、たらればを考えたくなりました。でも、導き出した答えは一つでした。

久保田が現代の若者であったとしても「水力発電」に代わる「何か」に未来を創造する可能性を見出し、世界中を飛び回り、やっぱり世界を変えるようなスーパースターになっているような気がしてなりません。


お知らせ

最後に、土木リテラシー促進グループから土木偉人イブニングトークのお知らせです!

~みんなで作る土木偉人かるた 第3回 土木偉人イブニングトーク~
■日時:2021年8月27日(金) 17:00~17:30ごろ
■場所:オンライン開催 (Zoomウェビナー)
■費用:参加無料
■話題:『土木偉人かるた』に私の土木偉人がいない!
■メインスピーカー:
 田中尚人(熊本大学 准教授)通称ナヲト博士
 松永昭吾(土木偏愛note「from DOBOKU」 編集長)通称マツさん
 鈴木三馨(土木リテラシー促進グループ長)通称ミカさん
■司会:寺村淳(第一工科大学 准教授)通称てっちゃん
■申込み:「本部主催行事の参加申込」よりお申込みください。

また、『土木偉人イブニングトーク』×『しらべよう!47都道府県 郷土の発展につくした先人』コラボ企画、『私の土木偉人』感想文大会も行います。
募集要項は、こちら

フライヤー_ver2

皆様のご応募をお待ちしてます。

文責:鈴木三馨(土木リテラシー促進グループ長)
プロフィール
土木酒場の女将。絵本作家かこさとしさんの『土木の絵本』をきっかけに、共著者の緒方英樹さんに出会い、土木偉人の沼にハマる。土木偉人愛好家たちと推し偉人について語り合うことを夢見ている。海外といえば、ブラジルで1か月ホームステイし、今でもブラジルの食卓でおなじみのポンデケージョ(チーズパン)をパン屋で見かけるとつい買ってしまう。