恋愛の「恋」ってなんだろう。

宇多田ヒカルさんの「Be My Last」という曲の中にこんな歌詞がある。

“いつか結ばれるより 今夜一時間会いたい”
宇多田ヒカル「Be My Last」(2005年)より

恋愛の恋と愛の違いについて、人類の永遠のテーマのひとつであるような気がします。「恋」という言葉について考えると、僕の中ではこの歌詞がいちばんしっくりきます。
誰かに恋をしてしまったときの、未来をかえりみない今この瞬間にかける儚さと切実さ。この一文にはその美しさが鮮明に表れています。

文学の多くがこのテーマについて取り上げるのもそこに惹かれるからだと思います。恋に恋い焦がれるとはよく言ったもの。

と、まぁ、仰々しく言ってみましたが「未来をかえりみない今この瞬間?そんな大層なこと考えてないよ。普通に今付き合ってる人と結婚したいって思うし、もっと穏やかな恋だってあるじゃん」って意見も多いかと思います。

「ふむふむ、確かに」と感じる一方、その感情は恋の先にある感情であって、「恋」ってもっと手前の段階にある感情なんじゃないかと仮定してみました。

※ここから先、喩えがかなり古くなりますが、そこは僕の年齢を考慮の上、ご了承ください。

自分の過去を振り返ったとき、誰かを好きになったとき、まず何を思ったか、

「メルアド知りたい」

これだった気がします(笑)

僕は自分に自信を持てるタイプでもなかったし、積極性もなかったので、この衝動と拒否されたときの絶望との葛藤でなかなか動けずにいて、何かの運が巡って向こうから聞いてきてくれたりするのを待っている子だったと思います。

そんな感じで勇気が出せずにそのままなぁなぁに終わってしまうことも多々ある中、その葛藤を突破してでもメルアドを聞き出したいと思えるような素敵な出会いもありました。
そう、僕は確かな恋をしたのです。
このときの僕はこの子といつか結ばれたいと思っていたかと考えると「とにかくメルアド知りたい」だったと思う(笑)

そして、勇気を出してメルアドを知り、送信ボタンを押す・押さない葛藤を超えて押してしまった時の激しい後悔。
返事が来ない時間を経てやっときた返事ときのよろこび。
素っ気ないやりとりを経て、いつもはこちらから送ってばかりのメールだったのに、向こうからメールがきたときの衝撃。

様々な感情の起伏を超えた先に紡いだ言葉
「今度、映画行かない?」
そう、恋はここで終わりを迎える。

そこから先は何なのか。そこからをいわゆる「恋愛」と呼ぶのであって、それがやがて愛に変わるのではないか。

つまり、恋愛とは恋と愛の二段階ではなく、恋・恋愛・愛の三段階だったのだ。

恋愛と愛については、また気が向いたら。

宇多田ヒカルさん、ごめんなさい。


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