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このままずっと70歳まで働かなきゃいけないのか、と思うと、


年金支給開始年齢が70歳になるのは、遠い未来の話じゃない。

今働いている人の多くは、70歳ぐらいまで働き続けなければならないだろう。

やりたくもない仕事をやり続けるうちに、年を取り、体調の悪い日がしだいに増えていき、顔にシワとシミが増え、マンガを読んでも映画を見ても面白いと感じる感受性すらなくなったころ、ようやく仕事から解放される。しかし、そのときには、もう死が目前に迫っている。
まるで映画「ショーシャンクの空に」で、人生の全ての希望をなくし、生ける屍となった囚人だけが、刑務所から解放される、という話のようだ。

そんな囚人のような生き方は嫌だと思うなら、いますぐ好きを仕事にしたり、起業したり、会社をやめて自由な働き方をしよう。
そのための具体的な行動を始めた人を冷笑するだけの、現状維持バイアスに囚われた人々なんて放っておいて、さっさと独立起業してしまおう。
世の中、なんだかんだ言って、行動したもん勝ちなのである。

…と思っている人が陥りがちな「確実性の効果」という認知バイアスをご存知だろうか。
ノーベル経済学賞を受賞した認知心理学者のダニエル・カーネマンたちが研究していたやつだ。

これには、次の2つのバージョンがある。

(1)「ほぼ確実」に得られる大きな利得を「確実」にするためなら、損な取引をしてでも「確実」にしたくなる認知バイアス。

(2)「ほぼ確実」に被る大きな損失を逃れるためなら、割の合わないリスクテイクをしてでも逃れたくなる認知バイアス。

このうち(1)は、保険会社が儲かる理由であって、さして害はない。
問題は(2)のパターンである。

たとえば、傾きかけた中小企業で、会社の命運をかけたプロジェクトの失敗が濃厚になってきた。社長の顔が苦悶で歪む。今まで自分が築き上げてきた財産・信用・プライド・会社の未来が、大幅に毀損する確率が98%ぐらい。しかし、そんな現実は、絶対に受け入れたくない。そんなとき、社長は、起死回生の一発逆転を狙う無謀な施策に、なけなしの資金を突っ込む。そのごく自然な帰結として、プロジェクトが失敗するだけでは済まず、会社が潰れ、自宅まで売り払い、子どもたちは進学を諦めることになったりする。

あるいは、紀元前の昔から、日々の暮らしが辛くてたまらない貧困者は、一発逆転を夢見て、なけなしの金で宝くじを買い込む。それによって国家財政は潤い、貧困者はますます困窮し、歴史の闇の中で朽ち果てていった。

ようは、人間というのは、追い詰められると、割の合わない起死回生の一発逆転を狙うのが合理的で正しい選択に思えてしまう生き物なのだ。
他人事じゃない。私も、あなたも、そうなのだ。

だから、「やりたくもない仕事を70歳までやり続けるなんて、考えるだけで息が詰まりそうだ」と感じている人たちは、「好きを仕事に!」「会社をやめて自由な働き方を!」「起業して成功者になって、悠々自適に!」という選択肢の成功率がそれほど高くなくても、その選択肢が、実際よりもはるかに、はるかに、はるかに、価値あるものに感じられるのだ。
そこにさらに確証バイアスが加わり、それに価値を感じない人は、ネガティブで、後ろ向きで、うんざりするやつらだとしか思えなくなるのだ。

このため、生存者バイアスの塊のようなインフルエンサーの書いた29800円の情報商材を ありがたがって買ってしまう人々がいるのも、それほど不自然なことではない。
そして彼らがYouTuberになって、わずか数ヶ月で月収10万円になったことを嬉々としてツイートしまくったものの、そこから月収が伸び悩み、やがて貯金が残り少なくなり、家賃が払えなくなって、押し入れから虫のわく老朽アパートに引っ越して、炭水化物ばかりの食事に耐えながら3年、5年とすぎるうちに、ついに諦め、ろくな職歴もないまま年ばかり食ったせいで、まともな仕事に復帰できず、ようやく底辺の企業に再就職し、年下の上司にバカにされて卑屈な愛想笑いをしつつ、安月給で未来のない仕事をするようになったりするのも、この認知バイアスのせいなのだ。

繰り返すが、他人事ではない。その認知バイアスは、誰でも持っている。私も、あなたも持っている。だから、我々も、なにかの拍子に彼らのようになってもおかしくない。彼らは我々とは無関係な愚者なのではなく、ほんの少し運命が違っていれば、なにかのきっかけで我々もそうなっていたかもしれない、並行宇宙の我々自身なのだ。

一方で、「やりたくもない仕事を70歳までやり続けると思うと、…」と感じている人の多くは、この「確実性の効果」バイアスの誘惑に心が揺れつつも、それに流されることなく、地に足のついた日々を送っている会社員だったりする。
そういう会社員たちが、ネットなどで、「しょせん、雇われだろ」「上司の顔色を伺いながら生きてて楽しい?」「まだ会社員で消耗してるの?」などと、『「確実性の効果」バイアスに酔っ払ったり、生存者バイアスまみれの成功者のハロー効果に酔っ払ったりしている人たち』に揶揄されていたりするのを見ると、どうもモヤッとする。

たしかに、独立起業に成功し、好きを仕事にできた生存者バイアスマン達と比べると、彼らは、会社を飛び出す勇気も行動力もない、つまらない生き物に見えるかもしれない。
しかし、本当は、彼らこそが、この社会を支え、回している、主役なのではなかろうか。

彼らのほとんどは、独立起業して成功した生存者バイアスマンたちのように、注目や喝采を浴びることはない。
ただ、例外がいる。
「Twitterのフォロワー数が3桁もいる人はどこかおかしい」と言っている人がいたが、どこにでもいそうな、平凡な中小企業の、平凡な中年サラリーマンでありながら、フォロワーが3.2万人もいる人がいる。
フミコ・フミオ氏だ。
「どこかおかしい」どころではない。完全な変態である。

いったい、彼の変態性は、どこからやってきたのだろうか?

私も彼のtwitterをフォローしているが、彼のツイートは、いわゆる「役に立つ」ということを目的にしたものではない。
仕事や生活の参考になることもあるが、バリバリスキルアップして、立身出世して、金持ちになるための役には立たないのだ。
暑苦しいほどの向上心が滲み出している「役に立つツイート」を必死に続けることで、なんとかフォロワー数を増やそうとしゃかりきになっている人たちのフォロワー数がせいぜい数千なのに比べると、さして役に立たない彼のツイートを読みたがる人が何万人もいるのは、痛快である。

彼は、好きを仕事にできた美人デザイナーではない。独立起業して大金持ちになったわけでもない。月収500万円のYouTuberでもない。
イケてる大企業の執行役員でもなく、副業で何千万も稼いでタワマンから外界を睥睨しているスーパーサラリーマンでもない。

平凡な会社の、平凡な中年サラリーマンである。

なんでそんな人の話を突然持ち出したのかと言うと、「フミコ・フミオ」という名の物語と、「このままずっと70歳まで働かなきゃいけないのか、と思うと、」というテーマがつながっていると思うからだ。

ワンダーな奇行に走る上司や部下やお局様に、理不尽な仕打ちをうけて、「きっつー」とぼやきながらも、中小企業で長年営業マンをやってきて、EDになり、中年になってから失業し、奥方にご無体な仕打ちを受けながらも、低賃金のアルバイトをしつつ職探しを続け、面接で落とされ、「きっつー」とつぶやきながら、どうにかこうにか、また中小企業に再就職し、平社員から営業部長に抜擢されて成果を上げ、会社から一目置かれるようになったが、相変わらず仕事はそんなに好きじゃないし、理不尽な目にあいつづけて「きっつー」と言い続けている、わりとどこにでもいる45歳のサラリーマンの彼の物語は、この話と地続きなのだ。

いったい、彼の何が、それほど多くの人々を惹きつけるのだろうか?

彼のブログは大勢の人に読まれているが、彼のブログを読んでも、いわゆる「成功者」になるために役に立つことは書かれていない。
好きを仕事にできたり、会社をやめて自由な働き方ができるようになったり、起業して成功したりする方法など、どこにも書いていないのである。

しかし、役に立つことが書かれた本など、どこの本屋でも山積みされている。ネット空間も役に立つ記事やツイートで溢れかえっている。
いまや、「役に立つ」ものは供給過剰で、レッドオーシャンどころか、あまりにも赤が濃くなりすぎて血の池地獄のように粘着質の泡を立てているありさまである。

だから、毎日、必死こいて「役に立つ」ツイートでフォロワーを獲得しようとしても、そのほとんどは、血の池地獄に沈んでいく運命にある。

たしかに、彼のブログがなくなっても、私は困らない。仕事にも生活にも影響しない。
けれど、私は、彼のブログがなくなったことを、心から惜しむだろう。
葬式で「惜しい人をなくしました」という社交辞令があるが、社交辞令ではなく、本音で「惜しいブログをなくしました」と私は言うだろう。

彼のブログは、「役に立つ」を超越した何かなのだ。

友達と付き合うのは、「役に立つ」からじゃない。
「こいつは役に立つから、こいつと付き合っている」という人を、友達とは言わない。
友達とは、「役に立つ」を超越した何かのために、付き合っているのだ。

文学作品を読むのは、「役に立つ」からじゃない。
人は、役に立てるために文学を読むのじゃないのだ。
「役に立つ」を超越した何かのために、人は文学作品を読むのだ。

しかし、その『「役に立つ」を超越した何か』とは、いったいなんなのだろうか?

彼のブログを読む時、僕の脳裏に「生きてゆく」という言葉が去来する。
西原理恵子さんの「ぼくんち」という漫画に「生きてゆく中華料理店」の話が出てくる。
いかにも西原ワールドの住人という感じの家族が経営するお店で、どんなときも休まない。
その家族は、生きてゆくためにお店をやっているのだ。
そして、そのお店には、客が絶えない。

何度読んでもぐっとくる、僕の大好きな話だ。

彼のブログは、「生きてゆく会社員」のブログなのだ。
そこには、「会社員として生きてゆく」ってことが、綴られている。
それが読みたくて、大勢の人が、彼のブログを読み続けるのではないだろうか。

「生きてゆく中華料理店」に客が絶えないように、彼の「生きてゆく会社員」のブログにも客が絶えない。

そんな彼が、本を書いたと言う。
「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。」という長いタイトルの本だ。

私は、自分が本を書いた時、彼に無料で一冊進呈した。
それも、発売前に、という特別扱いでである。
だから、彼も、当然、彼の本を無料で僕にくれるものだと思っていた。それも、発売前に。
にもかかわらず、いつまでたっても、僕になにか言ってくる素振りがない。
なんだこいつ。仁義ってものが分かってないな。と思っていたら、ようやくツイッターのDMで話しかけてきたので、開口一番、「本ください」と書いたら、本を無料でくれることになった。
話のわかる人だ。

で、読んでみた。
役に立たないことが書かれていた。
「生きていく会社員」が書かれていたのだ。
ああ、こういうものが読みたかったのだ、と、心から思った。

私は生きてゆく。彼も生きてゆく。みんな生きてゆく。
理不尽でワンダーな登場人物たちに、何度も何度も笑かされながら、そんな思いに浸れる本だった。

「役に立つ」本ばかり読み続けて疲れた?
「確実性の効果」バイアスや、生存者バイアスマンのハロー効果に酔っ払っていたが、酔いから覚めた?
この本は、そういうあなたにうってつけの本だ。

この本を読んで、今一度、会社員として人生を生きてゆくことに思いを馳せ、自分なりの「生きてゆく」を見つめ直してみよう。
それは、もっとずっと深いレベルで、人生の役に立つと思うのだ。


このフミコ・フミオ氏の本はこちら

この記事の筆者(ふろむだ)のツイッターはこちら

この記事は、面白文章力クラブのみなさんに添削していただいて出来上がりました。

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