『科学的根拠に基づく最高の勉強法』が根拠とする論文から言えることを言っているのかちょっとだけ調べてみた

『科学的根拠に基づく最高の勉強法』という本はamazonで評価が高く、「星の評価が5つと半端ない」と絶賛しておられる方もいらっしゃいます
しかし、それを言うなら、キャロル・デュエックさんの成長マインドセットの本だって、アメリカのamazonで2万1138人に評価されて☆4.6という半端ない高評価ですが、その科学的信憑性については、この記事に書いたとおりです。

『科学的根拠に基づく最高の勉強法』のすべての主張を逐一検証するのは時間がかかりすぎるので、この本の「CHAPTER1 科学的に効果が高くない勉強法」の最初のセクションである「科学的に効果が高くない勉強法1 繰り返し読む(再読)」の「繰り返し読む(再読)のは他の勉強法と比較すると効果が低い」という主張について見てみましょう。

この本がその根拠の一つとして挙げているRawsonらの2005年の論文の中には、以下の3つの条件で行った実験についての記述があります。

その理解度計測テストのスコアは、下図の右側の「Delayed Test」です。

(Katherine A. Rawson and Walter KintschUniversity of Colorado at Boulder 2005,より引用)


single(一回だけ読む)とdistributed(一週間空けて二回読む)の差を見る限り、一週間の間隔を空けて再読すれば、そこそこ効果はありそうですが、これだけでは、他の勉強法より効果が高いか低いかは、わかりません。

この本には、それについて、補足説明があります。

また、再読の学習効果については、どれくらいの間隔をあけて再読するのかによっても変わってくることが知られています。

安川 康介『科学的根拠に基づく最高の勉強法』 より引用

では、さっそく、実験条件を少し吟味してみましょう。

まず、テキストの長さによって実験結果が変わる可能性があるという点に、注意が必要です。
この実験では1730単語よりなる英文を5つのセクションに分割してそれぞれのセクションにタイトルをつけたものを使用しています。
この条件が違っていたらどうなっていたでしょう?
たとえば、短いテキストと分厚い本一冊では効果は違うかも知れません。
短いテキストだと「一回だけ読む」と「立て続けに二回読む」の差が小さく、長くなるにつれ、差が開いていくかもしれません。

さらに、テキストの難易度によっても、変わる可能性があります。
簡単なテキストだと「一回だけ読む」と「立て続けに二回読む」の差が小さく、難しくなるにつれ、差が開いていくかもしれません。

現実世界では、難しくて長いテキストだと、後ろの方に書かれていることの知識がないと、前半に書かれていることの理解が不十分になるということはよくあります。
そういうテキストは、二回目に読むとき、一回目に読んだときの知識を活用しながら前半を読むことができるので、二回読むと、テキストの理解度が大きく上がることは十分にありそうです。

それから、計測テストの種類によっても、結果が変わってくる可能性があります。
とくに難易度の高いテキストの場合、深く理解していないと正答できないような計測テストだと、「一回だけ読む」と「立て続けに二回読む」の差が大きくなる可能性があります。

また、実際の勉強の場合、一回目は普通に読むけど、二回目以降は、分からないところをググったりしながら読む人もいたりするじゃないですか。
だから、現実世界の「再読」とこの実験で行われた「再読」が異なる可能性があります。

たとえば、私がちょっと難しめの厚い本を読むとき。
一回目は、普通に読みます。わからないところは飛ばします。
二回目以降は、分からないところをググり、思いついた疑問をテキストエディタに書き出し、ツリー状に自問自答を書き出し、他書の記述と突き合わせ、仮説を立てたり、分析・吟味しながら読みます。

さらに、再読する目的によっても、何を「効果」と定義するのかが変わってきます。
本に書いてあることを仕事で使う場合、仕事の種類によっては、かなり深い理解を必要とする場合があります。
一方、表面的な理解でいいから、とりあえず内容を覚えておけば、仕事では困らない、というケースもあります。
目的によって、どのような理解をする必要があるのかが異なるので、再読が目的達成にどのような効果があるのかも変わって来る可能性があります。

なにより、「繰り返し読む」という言葉が表す行為の内実が、人によって、テキストの種類によって、目的によって、場合によって、異なります。
我々が「読む」という行為を行っているとき、実際に起きているのは「テキストに書かれた情報の脳への転送」ではなく「解釈の創造」です。
再読のたびに創造される解釈がアップグレードされていくように読む人と、そうでない人では、「繰り返し読む」という行為の内実が大きく違います。
創造された解釈は、たいてい、確証バイアスや感情ヒューリスティックスやアベイラビリティバイアスやハロー効果で歪んでいるので、再読のたびに、その歪みを意識的にデバッグする人と、単に、前回読んだときに創造したバグだらけの解釈を再生するだけの人では、「繰り返し読む」という言葉が表す行為の内実が大きく違います。
もちろん、やっているのは単なるデバッグではありません。著者や自分自身の確証バイアスと戦えば、結果的に弁証法的プロセスがよく起きますし、自分の創造した解釈の構造自体を修正したり、別の知識と結びつけたり、新たに必要な創造を付け加えることもあれば、根底から解釈を作り直す場合もあります。

現実世界の「繰り返し読む(再読)」の内実は、そういう複雑さがあるので、この実験の結果を、そのまま現実世界の「再読」一般に適用するのは無理があります。

基本的に、「実験条件が変われば実験結果も変わる」のは、めちゃくちゃよくあることです。
なので、この実験を根拠に「繰り返し読む(再読)のは他の勉強法より効果の低い勉強法だ」と主張するのは、一般化しすぎだし、ミスリーディングです。
とくに、これ、一般の方向けの勉強法の本ですので、勘違いする人がけっこう出てくるんじゃないかと心配です。

誤解のないように言っておきますが、この本は、別の箇所で、ちゃんと限定条件をつけているので、最後まで丁寧に読めば、そこまで大きく間違ったことが書いてあるわけではないと思います。
わかりやすく言うと、『カイジ』の利根川さんみたいな書き方をしています。

(『賭博黙示録カイジ』より引用)


「再読は他の勉強法より効果が低い……!  低いが…… 今回   まだ  どんな人が、どんな難易度の、どんな長さのテキストを、どのような間隔で、どのようなやり方で、どんな目的で再読すると、いつ、どのような効果が、どのような意味で低いかの指定まではしていない     そのことを   どうか諸君らも思い出していただきたい」

というわけです。

いやー、普通に、最初から、「少なくとも、こういう実験条件だと、こういう実験結果が出ている」と書けばいいじゃないですか。
なんで「繰り返し読む(再読)のは他の勉強法よりも効果が低い」と断定をして、読者に「ドキ。し、知らなかった!」と思わせてから、よくよく読むと、あとの方で、「難易度によっては……」「読み方によっては……」とか条件をつけていくような書き方をするんでしょうか?
その書き方だと、「再読は他の勉強法より効果が低い」と思い込んで、再読が他の勉強法よりも効果が高い場合まで再読を避ける人がでてきちゃうと思うんですが。

もちろん、状況と用途を限定すれば、そこそこ穏当な主張になると思います
たとえば、「すでに理解しているテキストを、暗記するために何度も読むのは効率悪いからやめとけ。すでに理解しているものの記憶を定着させたいときはAnkiというアプリを使え。もしくは問題集を解け」というのは穏当な主張だと思います。

警戒すべきは、「過剰な一般化」です。
先日の記事にも書きましたが、論文を根拠に何かを主張する人がいたら、根拠としている論文の実験条件を少し変えたらどうなるのか?を吟味するクセを身につけると、利根川さん的な書き方をする本にミスリードされるリスクが大きく減ると思います。


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※この記事は、文章力クラブのみなさんにレビューしていただき、ご指摘・改良案・アイデア等を取り込んで書かれたものです。


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