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ラーメンと祖母


 僕はラーメンが好きだ。年間何杯食べているか分からないし、数えてしまうとラーメンは身体に悪いと一点張りのアンチラーメニストに食べ過ぎだというもはやテンプレート化した文言で僕は説き伏される。だから数えることはしていない。一風堂や一蘭、家系から二郎系、日本全国に展開しているチェーン店からこじんまり経営している中華料理屋。どんなお店が提供するラーメンも好きだ。

 僕はふと考えることがある。僕はいつからこんなにラーメンが好きになったのだろうと。誰しも何かにハマる時、その今の楽しさを享受するだけであまりその原点は振り返らないものだと思っている。ただ偶然、その原点に向き合う機会があった。

 最近、僕の父方の祖母が亡くなった。享年85歳だった。祖母は厳格で教育に非常に熱心だった。3人兄弟の2人は有名大学に進学させた。だたもう1人はその想いとはうらはらに高校を卒業して大学には行かず、美容師になり、経営者になるという道を選んだ。それはお察しだろうが末っ子だった僕の父である。祖母が僕の父に一層厳しかったのは彼が可愛くそしてチャレンジングな人生を送っていたからかもしれない。

 祖母と僕との思い出を回顧すると、まっさきに思い浮かぶのが、ラーメンの思い出である。

 僕の家から祖母の家は歩いて30分。そう遠くない場所にあった。僕は幼稚園生の頃、その家で焚いている線香の匂いや祖父母の優しさに惹かれてよく遊びにいかせてもらっていた。はじめは両親と一緒に行っていたが、僕を祖父母の家に預けるようなこともあった。僕にとっても居心地の良い第二のおうちで、預けられることは小旅行な気分がしていてとても好きなものだった。

 ある日、いつものように僕は預けられた。その日はたまたま僕と祖母しか家にはいなかった。何か忙しくしている祖母を見て、僕はあることを企んだ。それはその家で入ったことがない部屋にこっそり侵入することだ。

 慎重な下調べの結果、家は2階建てで部屋が1階に3つ。2階にも3つあることは分かっていた。その中でも、1階の家の奥の奥にある暗い部屋と、2階にある鍵がかかった部屋はまだ足を踏み入れたことがなかった。

僕はまず2階に向かった。この部屋に父と祖父が入っていくのを見たことがあった。そこに何か秘密があるのではないかと気になっていた場所だ。鍵の場所もわかっていた。そこから銀色の小さな鍵を取り出して、こっそりと祖母にばれないようにひざ立ちで階段を上がる。そして鍵も音を立てないようにゆっくりと手首を捻りながら開ける。そして開くとそこは真っ暗だった。明かりをつけるボタンは壁の少し高い場所にある。僕はイスによじのぼってそれを押した。


するとそこにはたくさんの書物と、棚の中にはさまざまな銀と金のコインがところせましと並べられていた。
これは大人になってからわかったことだが、祖父は父の会社の経理を手伝っていて、そして熱狂的なコインコレクターだったそうだ。

そうして2階の部屋の秘密を知った僕は、次の目的に向かっていた。それは1階の奥の奥の部屋だ。

そこはキッチンの奥にある。そこを通るにはふた通りのルートがあった。まずはキッチンの横を通る方法。ただ祖母がキッチンのそばにいるためここは使えない。別のルートは外から入る方法だ。庭に出て家をぐるりとまわり裏にはいる。そこに古びたドアがあるのだがそこから入れるのだ。

 僕は祖母にバレないようにそのドアの鍵を取り出して庭に出た。とても丁寧に剪定された盆栽たちを目にも留めず家の裏側へ回る。僕にとって1番価値がある場所へ一直線だ。そして僕はまたゆっくりと鍵を開ける。すこし錆び付いていて鍵穴に鍵を挿すのも少し力が必要だった。数分格闘してようやくドアが空いた。よし、中に入れると足を踏み入れたとき、目の前に祖母がいた。

僕は厳しい祖母にこっぴどくしかられると反射的に思ってしまった。とんでもないことをしてしまったと、、
そして固まっていると、祖母が「何でこんなところから入ってるんやあ。普通におばあちゃんの裏側を通ればいいのに」と顔をしわっとさせて笑いながら祖母は僕に言った。僕は企みがバレてしまったことと意外な祖母の優しい姿に驚いて何も言葉を発せなかった。
すると祖母はこう言った。「この部屋がそんなに気になるのかい。こっちにおいで教えてあげるよ」
祖母は電球にくくりつけられた紐を引いてカチカチっと引いて電気をつけた。電球の寿命がきているのか点滅を繰り返していた。薄暗い部屋に少し明かりが入った。
「ここは食糧庫や。お野菜とか色んなものを貯めてるんやで。他にも普段着ない服なんかもあってな、あんまり人を入れるのが恥ずかしい場所なんや」
祖母は僕に目を合わせずに言った。薄暗くしている理由がわかってなおいっそう申し訳なさが増した。
僕が食料がたくさん入っている棚を眺めていると、みたことがない筒状のものがあった。白くて赤い色で文字が書かれている。
祖母は言った。「これはねえ、カップヌードルって言うんやで。」カップヌードル?僕はそれが何かもわからなかった。僕はその白くて肌触りの良いしかし無味無臭な容器を持って振ったりして、シャカシャカ音が鳴ってそれにまた驚いたりした。
相当関心を示している僕を見てか、祖母は言った。
「お昼の時間やね。それこっちへ持ってきてくれんか。」
僕はその白いやつを台所に持っていき、祖母へ渡した。
「テーブルに座ってなさい。すぐにできるからね。」
僕は何ができるかも見当もつかなかった。5歳の僕はいままでにないほど心臓が高鳴った。
数分したら、その白いやつが僕の目の前に出された。
「はい、召し上がれ。」
先ほどは味気のなかったものが、今は白い湯気を立てて香ばしいスープの香りが鼻腔に飛び込んできた。僕にとってはもはやマジックだ。


そこからの話はもうしない。ここで僕はラーメンと出会った。祖母は忙しくて僕に料理を作る余裕がなかったのかもしれない。そんな時にさっと出してくれたのが日清カップヌードル。それ以降、僕はラーメンの魅力に取り憑かれてしまった。

 祖母はその後アルツハイマーが進行して、厳格だった姿からとても柔和な性格に変わっていった。それはまるでその人の本質だったのじゃないかと、厳格にしていただけでその鎧を下ろした姿だったのかもしれないと今は思う。もう僕が大人になった頃には僕の名前も顔も覚えていなかった。「この人は誰やあ。変な人がおるでー」と無邪気に言う祖母。この病気をひどく恨んだ。そして祖母は昨日亡くなった。

ちょうど祖父も数年前に旅立った。あっちの世でまた再会してくれることを願っている。いつか会いましょう。いつの日か僕もそっちに行った時には、僕のことを覚えているといいな笑 そして一緒にラーメンを食べよう。

終わり

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