見出し画像

サイレン


 僕はいまは東京の郊外で一人暮らしをしていて、平日は在宅勤務で働いています。基本的には1人で過ごすことが多くなったが、だんだんその生活に慣れ始めてきました。ただ人と会うことがやっぱり好きだと最近再認識した出来事があって、1人だけで過ごすことに慣れすぎるのもきっとよくないのだなと思ってもいます。またそんな話も書ければいいな。

 これから書く話は、なんだか結論があるようでないようなそんなはっきりとしないものです。僕が書く言葉のどれか1つが読んでくださる方の心に響けばいいなと思っています。では、短いお話の始まりです。



 ある穏やかな晴れた日曜日の朝、救急車のサイレンの音で目が覚めた。といっても自分に何かが起きたわけでもなく、誰かに何かが起きたんだという音の意味を無視しして、ただその音で目が覚めただけだ。

  「休みなんだしもう少し寝させてよ」と思っていると、それを邪魔するかのように東向きのすりガラスの窓から朝日がちょうど差し込んでくる。いや、、本来なら「朝だー!!」と立ち上がり両手を上げて伸びをするべきなのはわかっている。朝日もきっとそれを求めてるのもなんかわかる。そんなことは考えもせず、まだ眠たい僕は朝日と逆方向に寝返りを打って、サイレンの音が寝ってからまた寝ようとしていた。

 ただ、サイレンでふと思い出してしまったことがある。それは、自分がその音の当事者になった話だ。僕が小学2年生の時のこと。

 僕には兄がいる。1歳上の兄だ。小さい頃は、兄にはたくさんの友達がいて、いつも兄の友達に遊んでもらっていた。近所から歩いて5分のところに寺院があるのだが、そこにある広場で缶蹴りをしたり、キャッチボールをしたり、また時には境内でカードゲームもした。そこは僕たちにとっては宗教施設ではなく、落ち着ける遊び場だった。

 そんなある日のこと。学校が終わって夕方に例の如くその寺院で遊ぶことになった。はじめに僕の家にみんなが集合する。5、6、7人。。。だんだんと兄の友達が自転車に跨って家の前に集まってくる。兄の名前を何度も呼んで寺院へ行こうと急かしてくるのだ。
 
 その時、僕はとても焦っていた。なぜならやらなければならない宿題が終わっていなかったからだ。そんな僕の状況には誰1人として気づかなかった。兄と友だちはそそくさと先に寺院へ行ってしまった。僕は、とても寂しかった。同世代に遊べる友だちがいなかった僕にとって、彼らこそが友だちだった。なのに僕のことなんか目もくれずにその場を立ち去ってしまった。寂しいけど泣かないぞ、と歯をくいしばり宿題を終わらせる。マラソンで最下位で目の前には誰もいない状況にいるランナーの気持ちがわかった。いやランナーは競争している敵だから例えとしてはふさわしくなさそうだが、その時は友だちが敵に思えてならなかった。

 その長い暗い時間も、なんとか終わりを迎えた。宿題を終わらせた達成感がさっきの孤独をかきけしてくれたのか、僕はやっと遊べるとウキウキした。1リットルの重たい水筒に氷を入れて母が作ってくれた麦茶をろうとを使って注ぎ込む。ろうとがあまりに小さすぎて注いだ水が今にも溢れそうになっている。ここで焦ってはいけないぞと言い聞かせ、ろうとの限界水面ギリギリを維持し続けるくらいにお茶を注ぎ込んだ。その落ち着きっぷりは親や先生に見てもらいたかったくらいだ。

 そして玄関のタオルをとって、マジックテープの靴をバリバリと音をならしながら履く。ドアを開けるとぽつんと1台残された小さな自転車があった。寂しさを感じさせないようにすぐに自転車にまたがって走っていく。ようやくみんなに会えるんだ!と胸の高鳴りが止まらなかった。


 今までにないくらい勢いよく曲がり角で自転車を切り返す。遠心力で重たい水筒は宙を舞っている。数回細い路地をものすごいスピードで曲がって、その先にある交差点を曲がったらもう寺院だ。僕は交差点を勢いよく曲がった。

 その時だ。感じたことのない重たい衝撃が小さな身体に襲いかかってきた。視界は真っ暗で、身体は地面に叩きつけられてまるで自分の身体ではないかのようにグルグルと回転して止めることができなかった。程なくして身体の回転がおさまった。水筒のからんからんという音だけが聞こえた。僕は仰向けになって夕焼け空を見ていた。

 夕焼け空が綺麗だったかは覚えていない。ただ、その視界をさえぎられたところから覚えている。大人たちが僕を覗き込んできたのだ。
大人たちがとんでもない形相で慌てていた。その大人の会話では「運転手」「怪我」「親」「救急車」といった僕も知っている言葉が出ていた。

 徐々に僕に何かが起こったことがわかってきた。なぜなら僕の服が赤で染まっていたからだ。そして近くにはバンパーが大きく凹んだ1トントラックが止まっていた。

 僕はトラックにぶつかって飛ばされたことをようやく理解した。それとともに大量の涙が溢れてきた。それは痛いからではなかった。友だちにもう今日会うことができなくなることがわかったからだ。数分経つと親が駆けつけてきた。救急車に乗せられてサイレンとともに病院へ運ばれた。寺院の近くを通りすぎたが、何も知らない友だちたちは誰かに何かが起きたんだろうという音の意味なんか無視して、ただ自分たちの世界で遊んでいるんだろうと思うと余計悲しくなった。

 結果として、何も異常はなかった。1トントラックを頭で大破させた僕は、すり傷と鼻血だけで済んだ。ご先祖様に感謝しないといけないねと親に言われたことを覚えている。

 病院にいるとトラックがボロボロになった運転手さんがきてくれてお詫びとしてクッキーをくれた。なぜ謝られているか分からずに僕は大人の話には参加せずにボリボリと食べた。

 はい、おしまいです。起承転結なんてものをこの文章に当てはめると赤字で埋め尽くされるでしょう笑

 友だちはそれから後もずっと一緒に仲良くしてくれたし、今もご飯に連れて行ってくれたりしています。この1日をこうやって書いた理由は、寂しさを伝えたかったわけではなく、幼いながらに出会う新しい感情に直面した時の情景を思い出したかったからなんです。
 
読んでくださりありがとうございました。また何かあったから書いていけたらと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?