蘭はまだ、飾られている

 ワクチン二回接種が進み、日本におけるコロナウイルス感染状況は劇的に収束していった。感染を恐れ、とにかく他者との接触を避けて来たが、この状況を見て、少しずつ行動範囲を広げる気になってきた。
 まず行かなければならないのは、歯医者であった。歯の詰め物が取れてから、かなり長い間放置していた。咀嚼のたびに食べ物がその穴に詰まり、非常に不便かつ不愉快であった。剝き出しの神経に食べ物の欠片が直接接触し、不衛生な事この上なかった。自分のSNSの、過去の投稿を読み返すと、詰め物が取れたのは二〇二〇年四月二日のことであった。そこから少しずつ虫歯が進行していた。
 平日休みの日に予約を入れた。雑居ビルの二階の、いつもの歯医者であった。保険証と会員証を受付に提示し、広くて清潔な待合室のソファに座った。この場所に来るのは随分と久しぶりだが、コロナ以前と、特に変わった様子も無い。落ち着いた色彩に包まれた、平和な時間と空間がそこにあるだけのように思われた。
 ソファの横の壁際に、大量の花束が飾られている。その中心には巨大な花瓶がおかれ、巨大な胡蝶蘭が活けられている。何だろう。
 良く見ると、その傍に短い文章が添えられている。読む。この歯科医院の院長が、つい先日、交通事故にて急死したことが、簡潔に伝えられている。待合室の壁に掲げられた歯科大学の卒業証書、各種免状、関連資格のライセンスに記載された氏名や生年月日から、この花が献じられた故人と、この歯科医院の院長が確かに同一の人物であることが確認できた。まだ若かった。
 診察室で待っていたのは、この歯科医院で今までに見たことが無い、老齢の男性歯科医であった。レンズが上側に開くタイプの老眼鏡を掛けていた。状況を説明すると、助手にレントゲンの撮影を命じた。患部の状況を確認し、手際良く型を取り、その日は仮の詰め物を詰めて終わった。全てにおいて手慣れていて、有能な感じだが、周囲の歯科衛生士や助手には、常に少し苛立っているようにも見えた。もしかしたら、事故死した院長の血縁者、父親に当たる人物なのかもしれないなと、ふと、思った。
 治療後の待合室でスマホを見ると、岸田新総理がまさに今、衆議院を解散するところだった。
 
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 後日、新しい銀歯を歯に詰めた。この時も、やはり同じ老医師であった。その手腕は鮮やかなもので、あらゆるプロセスにおいて、全く痛みや不快感を感じなかった。麻酔注射の際には、注射針が刺さったことに気づく前に、全てが終わっていた。銀歯の場所も、一発でピタリと定まり、高さ調整の必要は全くなかった。
 この名人芸は、長い歳月をかけて到達、完成した達人の領域なのか? それとも、そもそも卓越した技術を最初から持ち合わせていた、生まれつきの天才医師なのかは、わからない。その技術は、職人芸のように継承されるものなのか、伝えるべき後継者が居るのかどうかもわからない。待合室に、蘭はまだ飾られている。
 

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蘭は、まだ飾られている。
十月の待合室の平穏な午後

蘭がまだ飾られている。
神無月。
待合室の壁は暖色。

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