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一般大学やめて美大に来たら超楽しい

こんにちは。ちょことと申します。
私はもともと一般大学の英語系の学部に通っていたのですが、色々あって美大を志して受験し無事合格でき、現在は美大に通う大学生になりました。
このnoteではなぜ一般大をやめたのか、休学中にしていたこと、美大に受かってからの話を順を追ってしていきます。

高校生


もともと進学校の高校に通っていた。イラストを描いたりすることは好きだったが全く美大進学という選択肢が頭になく、とりあえず国公立大学進学を目指して受験勉強をする。イラスト描けるタイプの人間だと文化祭でクラスの宣伝ポスターなどを任されがちであり、自分もその立場になる。ここでイラストだけでなくちょっとデザイン方面にも興味が出る。
センター試験の点がよくなかったため第一志望の国立大学から志望を下げる。
私立大学の英語系の学科に受かる。志望大学を変え対策を全然出来ておらず国立に受かる気がしなかったためそこで受験をやめる。

旧大学1年生


自分が受かった英語系の学部は華やかで賑やかな帰国子女の人が多かったため、オタクともそもそ楽しんでいた高校時代だったが明るい人間になることを決意。ダンスサークルと広告研究会に加入。ダンスサークルはとにかく所属してる子と気が合わず、運動も苦手なので新鮮な体験だったがやめることを決意。広告研究会は活動内容は自分の興味分野と合っておりコンペで優勝したり楽しかったのだが、飲みなどが多く活動時間外の活動が気が合わなかった。
夏休みから秋学期序盤にかけて学校の勉強とサークルの両立が出来ず、キャパオーバーになり適応障害に。部屋の布団から出られなくなり、休学することに。
休学中にVtuberにハマり、熱心に二次創作をTwitterでアップするようになる。

旧大学2年生


病院に通いながら適応障害の改善を目指す。コロナ禍で授業が全てオンライン授業になったこともあり復学できるんじゃないかと意気込んだが、どうしても学科の授業に興味が出ず課題やレポートを出せなかった。
そもそも自分の学科の授業に興味を持てないのも問題なのでは?とサポートセンターの方との話し合いのうちに結論づける。

旧大学3年生


1年間大学を休学し、美術予備校へ。美術大学への受験を目指して毎日予備校へ通う。大学のいろんな授業を同時にこなしていかなければならないマルチタスクと違い、毎日デッサンか平面構成の練習をするというシンプルタスクだったことにより適応障害が治りかけの状態でもなんとかこなすことができた。特に平面構成はグラフィックデザインにおいて重要な色彩や構図の勉強ができたのしくこなせた。
夏期講習でデッサンが全くわからず心が折れかけたが、どうにかゆっくり持ち直して受験へ。
第一志望の大学の学科に合格できた。

新大学一年生


第一志望の大学に入学。気が合う友達もたくさん出来、授業もだいたい興味があるもので無事落単せずそこそこいい成績で春学期を乗り越えた。
秋にある学園祭で模擬店を出そうと友達の間で決めていたので、夏休みはそこに向けて浅草巡りをしたり作品制作をしたりした。
秋学期、模擬店の最終追い込みに入るが、締め切りがわかっていなかったり破ったりする人が続出。空気が悪くなるが、どうにか無事に出店し終えた。
学園祭の模擬店のメンバーで春休みに展示をしようという話になる。学園祭での失敗を糧にメンバーが成長。コツコツと計画を遂行。
私は他の美大の学園祭でリソグラフ印刷に出会い、授業でシルクスクリーンをやった経験から、リソグラフ印刷とシルクスクリーンにメロメロになる。印刷所・工房見学の日々が始まった。

以上が私の最近の人生です。バイトの面接の時などに履歴書を見せると結構驚かれるので、自分でもなかなか楽しそうな人生だな〜と気に入っています。もし今自分と同じように一般大学に進学してみたけどなんか違うな……。とモヤモヤしている人がいたら、こんな人生もアリだよ!という一例になれば嬉しいなと思います。美大、サイコー!両親本当にありがとう!

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