「打牌批判やめて」? バカバカしい。


誹謗中傷と正当な批判

「打牌批判をしろ」という意味ではない

決して勘違いしないでほしいことだが、「打牌批判するな」に反対であっても「打牌批判しろ」という意味ではない。私の意見を述べる前に、はっきりと区別しておきたい。

もう一つはっきりさせたいのは「誹謗中傷」と「正当な批判」だ。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000710964.pdf

総務省の誹謗中傷についての資料には、「誹謗中傷≠批判意見」とあり、「相手の人格を否定する言葉や言い回しは批判ではなく誹謗中傷です」と説明されている。これは「行き過ぎた批判」に対する注意喚起だが、そっくりそのまま逆の意味でこれを紹介したい。つまり、何でもかんでも批判的なコメントを「誹謗中傷」とカテゴライズするな、ということだ。

当然、誹謗中傷は厳に慎むべきで許されない行為だが、それを盾として批判的なコメントなどを全て「誹謗中傷だ」として肯定的なコメントだけを許す傾向があるように感じる。総務省の資料のとおり、人格否定などは誹謗中傷に当たる。つまり、以下のようなコメントはアウトだ。

  • Aが状況を理解していないからあれを振り込んだんだ

  • Bは素人以下だから負ける

  • Cはクズだからいい麻雀が打てない

正直、「人格否定」の個人的見解にもよるはずだ。「Cは〜」は議論の余地なくアウトだろうが、「Aは〜」は人によって判断が分かれるだろう。また、誹謗中傷は人格否定に限らないことも念頭におくべきだ。

しかし、以下のようなコメントは誹謗中傷ではなく正当な打牌批判といえよう。

  • 点数状況的に押すべきなのに押さなかったから負けた

  • 子の現物を落とさずにノーチャンスを選べばよかったのに

  • 勢いに任せず降りれば勝てた

また個人の塩梅によるが、どれも「打ち手」ではなく「打ち手の選択」に焦点が当たっている。ここが大きな違いであると考える。

批判を受け入れる仕事

とあるヴァイオリニスト系YouTuber(海外)のとある動画で、「演奏者である以上演奏に対する批判を受け入れるべきだ。そうしなければ演奏者として成長しない」という趣旨のものがあった。いわゆる「プロ」だ。何かを「プロ」としてやっている人は「趣味」としてやっている人とは違って全力で、真剣にそれに取り組んでいるものである。それで生計を立てているため、当たり前とも言える。自分のパフォーマンスを他の人に見られ、それが評価される。批判的な評価があればそれを聞き改善する。それを拒否すればプロとは言えない。

麻雀プロは楽器演奏者ではない。楽器演奏者はプロ野球選手ではない。野球選手はプロテニス選手ではない。テニス選手は舞台俳優ではない。しかし、どのプロも一定の評価と批判を受ける。

麻雀プロだけ「批判するな」というのは恥ずかしいことなのではないか。それならプロとしてではなく麻雀愛好家として麻雀の普及活動等をすれば良いのではないか。

麻雀という競技の性質上、絶対的な正解というのはない。フィジカルスポーツや完全情報ゲームなどのようにパフォーマンスと結果が一致しない(比較的しない)。そのため、批判・打牌批判を受ける側としては理不尽に思うだろう。それは当たり前だと思う。しかし、その上で「打牌批判をやめて」というのは間違っていると思う。打牌批判に対して自分の考えを述べて批判された選択を反駁する、あるいは批判を理解して改善していくのがプロではないのか。

アマチュアの場合はどうだ

「打牌批判をやめて」をいうのは間違っている、という私の意見はプロに対してである。プロが「打牌批判をやめて」というのはダメだ、ということである。では、プロではない一般の視聴者などはどうかというと、正直どうでもいい。それぞれの意見があるし、プロではないからだ。一般の視聴者の役割は麻雀を楽しみ、誹謗中傷を慎み、必要な批判をすることだ。それに加えて、「誹謗中傷」という概念を力任せに振り回し、この論争を意味のないものにしないことだ。

一方で、アマチュアで活躍する人たちに対してはどうか。確かに麻雀に対して責任を負っている。ある程度は麻雀で生計を立てている(フリーで勝つとかそういうことではなく)。だがプロではない。素人とプロのはざまにいるが、打牌批判をしても良いのか。

人それぞれだろうが、私は原則しないほうが良いと思う。プロを自負して、プロとしての覚悟を持って活動しているわけではないためだ。いずれプロテストを受けてプロになるアマチュアの方も多いだろう。その時はプロとして扱えば良いのだ。

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