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「難しい」という魔法

今の時期は剪定真っ盛りなので
畑に行くと、枝を眺めてばっかりです😂

話はガラッと変わりますが
長男がミニバスを習っておりまして
ある日、お迎えに行った時の話なんですが

別の保護者の人がこちらをじ〜っと見ているんです。
私も、なんか見たことある顔だな〜と思って近づいてみたら
中学の同級生だったことが分かりまして
中学卒業以来の再会を果たす、なんてことがありました🤣

何年振りなのか数えるのも面倒ですが、かなりの年月が経っているのに
顔を覚えているのもすごいもんですね🍎

その同級生は、親父さんが農業をやっているらしく、そろそろ自分が引き継がないといけないと思っているそうなので、いろいろと話をする機会が増えたのですが、その話の中で気になった言葉がありました。

その言葉は
「剪定ってむずかしいんでしょ?」
というものです。

そのセリフを聞いて、農業が発展していかない原因がここにもあるんだな〜と感じました。

まだやってもいない人に、難しいという先入観を与えることが出来るって凄い
ですよね。

確かに
やったことがない人に、いきなりやれと言われたら難しいと感じるかもしれませんが、そんな状況になることは稀だと思いますし、そんな先入観があると、出来ることも出来なくなってしまうかもしれないと思うんですよ。

何でそんな状況(剪定が難しいという概念が浸透している)になっているのか考えてみたんですが、こんな感じなのかな〜とまとめてみました。
・教科書(ルール)がまとまっていない
・人によって言うことが違う
・正解がない

そもそもで
フルーツ栽培における剪定の目的は
美味しいフルーツを栽培するための農作業の一つです。

収穫期になって美味しいフルーツが出来れば目的達成なのですが
美味しいフルーツが出来なかったとしても、原因は剪定にあるとは限りません。

さらに
美味しいフルーツが出来たとして
剪定方法を変えていたら、もっと美味しくなっていたかも?
と思っても確かめることができません。
それを確認するにはタイムマシンが必要になります。

つまり
毎年、正解がぼんやりしているから、「難しい」という位置付けになってしまったのではないかと感じています。

ちょっと個人的な考え方にはなりますが
私の中で「難しい」というのは、調べてもやり方が分からない事を成功に導く事だと思っていて
調べればやり方が分かる事や前例がある事は、難しいことではなくて、やる事が多くて大変なだけだと思うんですよ。
その時、大変な事をやる時に邪魔する感情は「めんどくさい」である事が大半なので、めんどくさいという感情がいつの間にか「難しい」になっている気がしています。

少し前の話になりますが
プロ野球のボールの性質が変わった年があって、ホームランが出にくいボールになるという噂が広まり、結果的にホームラン数が前年を下回る選手が続出する中、前年を上回る選手がいたのです。
その選手は、ホームランが出にくいボールになったという噂を知らなかったから、という話がありました。

この出来事から
人の先入観が持つ影響力の大きさを思い知らされました。

剪定にも同じ事が言えると感じておりますので
私が誰かに選定を教える事になる時は
「剪定はとっても簡単だよ!」と前置きしてから教えたいな〜と今から身構えております🍎

これまで、3〜4人の人から選定という工程について教えてもらってきましたが、全ての話をまとめても、3〜40通りのやり方を覚えるだけです✨
簡単ですよね😊

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